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cover of episode カントが挑んだ大問題。合理論 vs 経験論 #124

カントが挑んだ大問題。合理論 vs 経験論 #124

2025/5/10
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ゆる哲学ラジオ

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平田トキヒロ: 康德的《纯粹理性批判》旨在解决当时哲学界理性主义与经验主义的争论。莱布尼茨-沃尔夫学派代表的理性主义认为,通过理性可以推导出普遍真理,甚至认识神;而休谟代表的经验主义则质疑因果律,认为其只是人类的思维习惯,并非客观真理。康德本人既受到理性主义的影响,又理解经验主义的批判,因此他试图调和两者之间的矛盾。他认为,莱布尼茨-沃尔夫学派的合理论存在局限性,其推演过程依赖于预设的前提,并且可能导致二律背反。休谟的经验论虽然指出了理性主义的缺陷,但也过于怀疑,甚至否定数学和科学的客观性。康德在1764年柏林学院的论文评选中,以一篇反对沃尔夫学派的论文获得第二名,这体现了他对理性主义局限性的认识。他意识到形而上学面临危机,需要新的方法来解决理性主义和经验主义的矛盾。 よしのぶ: 康德的《纯粹理性批判》试图解决理性主义和经验主义的根本矛盾。理性主义者,如莱布尼茨-沃尔夫学派,相信通过理性可以推导出所有知识,包括神学和道德。他们认为,数学和科学的成功证明了这种方法的有效性。然而,康德指出,这种方法存在局限性,例如可能导致二律背反。休谟的经验主义则从另一角度出发,质疑因果律的客观性,认为其只是人类的思维习惯。康德认为,休谟的经验论虽然指出了理性主义的缺陷,但也过于极端,甚至否定客观真理的存在。康德最终的解决方法是提出一个新的概念,认为理性主义和经验主义都是错误的,需要一种新的方法来理解知识和经验的关系。他认为,理性主义和经验主义都忽略了一个重要的概念,而这个概念正是解决两者矛盾的关键。

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カントが 57 歳の時に表した主張となる純粋理性批判 まあ難しい本としてね伝わっているわけなんですけれども名前は聞いたことあるし難しそうな名前なのもわかる これはですね当時はい哲学界がね落ちていたある大問題を解決するためにカントが書いた

本なんですねこれがどういう問題だったかと言いますとプロイセンとかで主流になっていた合理論と呼ばれるですね哲学の派閥がありましてそこと

スコットランドのスコットランド経験論っていう風に言われる思想の人たちのですね仁義なき戦いがありまして合理論と経験論についての説明はちょっとまた後でするんですけどプロイセン側のねこの合理論は正しさをね

追求していけば神にたどり着くみたいな合理っぽいですよね理屈詰めでいけばいいんでしょうみたいな感じが受けられますね理屈をつなげていけば神とかそういう究極的な真理に合うよねみたいなので合理という風に呼んだわけじゃないですけどそんなイメージですそんな中でスコットランドからそんな無理やでという攻撃がありましたよ

お前らがやってることは全くそんなことじゃないというですね警告みたいなのがスコットランドから来ました黒い線にそんな中カントはですねどっちの言い分も分かるなとは思うんですよ前回の話で言うとまずそもそもカント自体は

プロイセンにプロイセンにいましたいますしルーツはスコットランドって言ってましたよねそうなんですよもうこれカントが考えないといけない問題になっちゃってそうなんですよ完全にねカントからしたらプロイセンにもう全ベッドもできないしスコットランドに全ベッドもできないけど自分の出自としてのスコットランドここから生まれてきた思想にも共感できるし

プロイセンで今自分が教育を受けてきた中で正しいそうだなというふうに思ってきたこともわかるカントというですねこのスコットランドの血を引くプロイセン人はですねこの思想界の混沌とした状況を我が身に起こったこと

自分事としてめちゃくちゃ捉えてたそうだねちょっと人事じゃないじゃあこのどっちも正しそうっていうところがじゃあ一体何をもって正しそうだという風に言っていたのかということですね今回は扱っていきたいと思いますこの当時プロイセン関東外ね住んでたプロイセンという国の哲学とか学問全般に

あるね空気感みたいなのが漂っていましてそれは俺たちは科学というものを発展させてきたとちょうど 16 世紀 17 世紀ぐらいに科学革命みたいなのが起こって例えばニュートンコペルニクスヘプラーティコブラーエとかそういう人たちがそうそうたるメンツですねこんな素晴らしいことはないと俺たちは科学という営みを進めてくることができた

これはもう自然に対する人間の勝利である輝かしいさすが人間素晴らしいこの知識と理性を持った人間こそが自然を滑る

支配する生物足りえるというねもう科学の自信に満ち溢れていたんですねそしてそうした人たちはじゃあこういう科学ってなんでできたんだっけなんでこういうことができるんだっけみたいなことを

通ったわけですよ人間のさ理性とかって間違えることもあるしさ感覚的にさ白い猫ちゃんだって思ったらビニール袋だったみたいな間違いもさ余裕である起こすわけじゃないですか毎朝のように何かしら起こす間違いはね見間違いとかあるじゃないですか全然あるよそういう感性を持った我々がじゃあなんで科学と

数学みたいな普遍的な事柄厳密なねどうやって俺らはこれ組み立ててきたっけ確かにこんなポンコツなポンコツに思える我々がポンコツ思考エンジンがでも何かすごく厳密で美しい数学やサイエンスを築き上げてきたどうやったんだっけその答えは数学って

っていうものがまず一つ考えられるだろうと特に気化学とかだと例えば直線というのは点と点をある別の 2 点を結んだ時の最短距離であるみたいなそういう疑えないこれ氷っていう風に言いますけど氷を積み重ねて積み重ねていくと普遍的な絶対に正しいものが知識として得られますとこれをやっていけば自ずと神とかうん

真理とか禅とかも我々はたどり着くことができるとなぜなら数学がまさにそうだったからまだ見ぬ氷とかを積み上げていけば自然の表しとか宇宙の表し神の表しわかりそう

まあまあそんな気もするね名前がありましてこういう風潮みたいなライプニッツボルフ学派という風に言われる人たちがこういうことを考えてたんですけどゴッドフリートライプニッツという哲学者とクリスティアンボルフという哲学者がいまして彼らがこういう流れを徹底的に推し進めてきまして

数学の正しさを模範とした学問をやっていけば自ずと真理にたどり着けるんじゃないのみたいなことでこれはですね合理論っていう風に言われたりとかあとはね独画論っていう風に言ったりとかして独画?我一人で我が孤独にで独画へー

論なんですけどこれは何の経験もしなくても自分一人の理性さえ働かせれば何でも知れるみたいな例えば僕は寿命が 1 億年ぐらいあったら一人で生まれてもいきなりちょっと数学やりたいなと思い始めて 1 億年勉強し続けたらいっぱい氷見つけれそうな気もするしそんな感じかな一人でも積み上げることできるよねみたいな感じ

そうねあと一人でっていうのもそうなんですけどこれ経験をしないでみたいなのもあって経験をしないで例えばさ三角形は三つの頂点を持ちますっていうのが正しいでしょうか間違ってるでしょうか正しい正しいですか

はい?はいあってますあってますよかったよかった三角形は 3 つの頂点を持ってきますとだから三角形だねよかったよかったこれって別に三角形を見たことがなくても正しいって判断がつくんですよこれまあ三角形だとちょっと分かりやすすぎるんですけどじゃあ例えば 5928 角形はうーん

5928 の頂点を持ちますかはいはいはいイエスですかノーですかイエスじゃああなたは 5928 角形見たことありますかないですないですよねけど確かに三角形は 3 つの点を持っている四角形は 4 つの点を持っているっていうのを

ある意味ね合理的に推論していくとそりゃ 5000 何角形は 5000 何個の頂点を持つはずだってのは確かに経験してないけど言えるわこうやって分かることを徐々に積み重ねていけば私たちはいずれ経験してないことも明確に答えが出せますよねというのがボルフ学派という風に言われる人たちの合理論の考え方

なるほどじゃあ神を知るのに神を目視する必要はないんだ別にないです神を見たり会ったりする必要ないとないです積み上げていけば合理的に推測てか考えつくことができるとそういうことです確かに宇宙を知るのにね宇宙を見に行かないと分かりませんではないよとではないですなるほどね数学とか気化学とかあとは物理学とかもそうですよね

確かに天文学とかはさ厳密に言うと直で宇宙とか言ってないもんね言ってないですねニュートンもね本当に摩擦係数がない世界に行ったわけではないですもんねそう違うねその当時から摩擦はないものとするってやったわかんないでもわかんないけど多分シンプルにシンプルに考えてそうだからそんな高校受験みたいなことやってたんだわかんないけどでも少なくとも惑星軌道なんでさとか地球が丸いとかもさ見たことはないけど

わかったわけじゃないですかそれは確かに経験してないけど合理的に考えたらたどり着いた答えで合ってるって感じだねというのがボルフ学派の考えでこれと同じことを繰り返していけば神もわかるし善というのもわかるというのがこの人たちの考え方だったわけですな神とかはちょっとわからんけどでも僕らが漠然と思ってる科学的な

意外とそんなに突拍子もない感じではないな

ただねこれまあ問題がありまして疑いようない前提からいろいろなこう気結結果を導き出していくというのはですねこれが正しいんだったらこれも正しいよねだからこう正しいよねみたいなそんなイメージだよねこれにはですねちょっと限界があるんですよねそうなの?はいこれって本当に進歩してるんか?

っていうですね疑いがありまして進歩ねこれ何でかっていうとこの時論理学で言うところの矛盾率っていうものをこのボルフ学派はすごい大事に矛盾率はいしてましてこれはですね主語がありますとはいで述語がありますとこの述語はこの主語概念と矛盾してはいけませんっていうルールが矛盾率なんですね簡単に言いますと例えば

全ての猫は爬虫類であるというのは間違いです確かに矛盾してるね主語が猫の時点で哺乳類であるということは明らかなのに爬虫類であるという述語は明らかに間違ってるっていうか矛盾してることですねそういうことなんですこれって主語の中にあらかじめ

あかじめ入ってる概念がわかんないとその矛盾率が働くかどうかってわかんないまあ確かにじゃないですか猫が哺乳類ってことを知ってるから今言えました哺乳類も爬虫類もよくわかってなかったらああ爬虫類って言うんですねで終わりだもん例えば俺がさ新しい動物を生み出したとして

ニパリュウみたいなニパリュウという動物がいますよく数秒間の間に何にも似てない言葉をよく生み出せましたすごいニパリュウは爬虫類であるとこれシンですかギですかちょっとねリュウだからねでもドラゴンもいないけどね

あいつが爬虫類なのかもしらねーなわからないですということで主語概念わかってなきゃ無理じゃねみたいなのとかじゃあそれで真ですニパ流が爬虫類は真です爬虫類ということはこれも真でみたいな風にやってたとしてもそれってニパ流はニパ流ですって言ってるのと変わんなくないみたいな

それってただの道後反復でニパ流についての概念が分かってなかったものが新たに明らかになっただけでそれって進歩じゃなくて無知が晒されただけなんじゃないのみたいな進歩と言われるとね地動説が分かりましたつった瞬間ドドドドドドって大量の高層ビル群が起き上がってきて現代社会が生まれましたとかではないもんねおー

どの例えだ今の知識が増えたとかわからないことがわかったとかは確かにその通りかもしれない進歩

と言われると現実のこの世界の動きは何も変わってないしまた明日が始まるだけで言っちゃいけちゃうだけだし新たな情報は付け加わってなくないみたいな限界があったりとかしてですね例えばこれ矛盾率を利用した神の存在証明みたいなのもあって神というのは全ての性質を備えた絶対的なものであるとはいはいはい言われそうねそういう感じで

なので絶対的なあらゆる性質を持っているということは存在しないはずがないみたいななぜなら神が実在するとか実在しないとか考えると実在しないというのは一つの欠如を表すので全ての諸性質を持っているという守護概念に矛盾するので矛盾率から言ってそれは取れないとつまり絶対的な神というのは実在してなくてはならないと

というのが神の存在証明あるんですねこれがねカントがね神の存在証明どんなのがあるかみたいなの分類してるんですけどそんなに証明ってあるんだはいあるんですよ神の存在証明ねカントはね 3 つ 4 つぐらいに分けているんですけど神が存在するというのは神は存在するという属性を持っているからみたいなのをね

神の存在論的論章っていう風に言ったりするんですけどあとね 2 つぐらいあって目的論的論章と宇宙論的論章っていうのがあって目的論的論章は世界がこんなに美しいのは神

神が作ってくれたからだみたいなこんなに美しくて成功なこの自然の姿はもう絶対的な神が作ったという風に考えないとおかしいみたいな生き物界とかよくあるその目的論的な説明を誤ってしてしまうこといっぱいありますねというのが目的論的論章ですもう一つ宇宙論的論章っていうのは

例えば僕が今ここにいるのは電車に乗って池袋に来たからですとかまずそもそもゆる学徒のラジオをやっているからですとか因果関係があるじゃないですかこうだからこうなったこうだからこうなったすべて

結果というのは原因を持っていて原因というのは時間的に先行するこれをどんどんどんどん繰り返していくとじゃあなぜ世界が生まれていったのかみたいなことを考えていくと根本の原因は一個にたどり着きますよねとこれが神です

なるほどというのが宇宙論的論章ですねこれは後にカントによって全部論爆されておーすごいはいおります論爆するために分類したんだそういうことですすごいねこういうタイプの論章はこう論爆すればいいみたいなってことですねはいことをやっていたりとかはしましたけどもこうして本当にそれってできんのみたいな

本当にそれって進歩してるみたいなのとかですねあとはその二律背反というのも行われていてというか二律背反ってねアンチノミーって言われたりとかして例えば宇宙には始まりがありますという命題がはい

対立命題として宇宙に始まりはありませんという命題がありますこれがどちらも正しいもしくはどちらも間違っているという状況になるのが二律背反という状況なんですけど関東はですねこの二律背反というのが起こっている

ってことを合理論の限界ですよねということをね指摘したんですけどニーツハイハンってのは起こっちゃ本当はおかしいのにさっきの言うと始まりはありますと始まりはありませんってのは一緒になり立つわけないのにそれが合理論だと全然起きちゃうよ起きちゃいけないことが起きてるけど大丈夫ってことを言ったってことですかそういうことです

アンチのみの例としてこの石川文康さんのカントニューモンからちょっと引きますけど世界に時間的な始まりがあるかないかみたいなことを証明するんですけどこの世界には始まりがないとしますと始まりがないとすれば始まらないので世界はありませんと

簡単に言うともし世界に始まりがあるとしますと始まりがあるとすると世界が始まった瞬間と始まってないその前の時点がありますよねそうだね始まりがあるってことはねその前がありますからね無から世界が生じてることになるのでこれは無理ですとということで証明終了みたいな

ことがですねやって世界には始まりがある世界には始まりはないこれはどちらも誤りであると言えちゃうね今の感じだとねというのがですねアンチのみとか二律背反って言うんですけど合理論っていうのは突き詰めていけば絶対正しくなるみたいな感じで言ってるけど本当かみたいな

こんなことだって言えちゃうんだぞみたいなすでにねことでこの当時からですねライプニッツボルフ学派はちょっと疑いの目を向けられていましたそうなんだ

いけるそれみたいなまあねもちろん一部はね分かったこといろいろあったでしょうけどそれで全部いけるよってのはさすがに言い過ぎじゃねえって感じかなそうです本当かな神とかいけんのマジで正直思いますねそこにですねスコットランドからの北風がやってきますスコットランドからなんだね

イメージだけなんですけどはい偏狂なイメージあるじゃないですか少なくともヨーロッパ大陸から見たらイングランドですらないですからねスコットランドからそういう新しい風が吹いてしかもそれが強烈だったから強烈です大陸まで来たんでしょ面白いですね偏狂からそういう思想が生まれるうん

当時のスコットランドはねちょっとまたわかんないですけどもしかしたらもっと反映してたのかもしれないですけどもじゃあこれ何なのかというとここでデイビッドヒュームという人が出てきます北風っぽい音の名前してますねヒュームみたいな感じがしますけど彼がね

まあすごいですよこの人の思想はおーなんすかこの人がね因果律というのを批判したんですよ因果律つまりさっき言った因果関係神の存在証明のところに触れた原因があって結果があってまたその結果があってみたいなのでなんなんならばなんなんであるを繰り返すみたいなそうそうそうさっきの二律背反で陥ったやつですねこの因果関係というのは存在しないという風に言った人なんですねへー

存在しない場合もあるとかではなくじゃなくてですね存在しないんですよ存在しないです例えばですね風が吹きましたはい吹きましたヒュームヒュームと吹きましたねはいでロウソクに火がついててそれがふっと消えました

はいどう理解しますかこれまずありますね火がついてますそれにまあ風が火に当たるわけですよねはいはい風が当たることによってシューってなってシューってなって消えますはい風のせいで火が消えましたよはいそれで因果関係としては風が吹いたからうんそうだね火が消えたそう思ってますという原因と結果があります

ヒュームに言わせてみればさっきのさ矛盾律みたいな感じで風が吹くということはみたいな主語で述語の火が消えるというのはじゃあ風が吹くという概念に入ってるんですかという風に問いかけます主語概念と述語のやつは矛盾しちゃいけないみたいな言ってたってことはもう主語の側に入ってることと述語の側に入ってることが一致してる内包されてるものが一致してるよねってことだけど

風が吹くとは火が消えることであるみたいなのが含まれてるかっていうと猫は哺乳類であるみたいな感じに

言えなくないみたいなまあそうね吹きが消えることもあるうん消えないこともあるしはいでも風が吹くの本質では全然なさそうだしという風にですねヒュームはこの因果関係って実は客観的で科学的に正しいとかそういうものではなくてあと普遍的なものではなくてただのそういう人間の思考習慣に過ぎないああ

全くもって主観的なものであると思考習慣そう思いがち原因があると思いたがってる原因結果の関係に何でもかんでも詰め込もうとする習慣があるだけで何ら客観的なものではない習慣がありそうなのは何となく経験的にも 31 年も生きてたら思います何でもかんでも原因を求めようとしちゃうじゃないですか何で失敗したんだろうとかね例えば事故とかでも

なんであの時俺はこういう選択をしたんだろう偶然だからみたいな事故だからどうしようもねえだろみたいな感じなんだけどそういう思考習慣僕も持ってますそれをですね科学とか数学とかにもヒューマン当てはめるんですよ

例えばそのボールをね塔の上からポンと落とすとブワーと落ちて何秒かでストンといくじゃないですかそれも全然客観的でも普遍的でもないですとそういう習慣になってるからそう考えがちなだけである日たまたまバッと離したら上に行くかもしれないじゃないですか

あーそうかなだって因果関係なんてないんだもん自然界に絶対上に行きませんかこれ後一生もう何億年後も絶対上に行きませんかと言われたらちょっと言い切ることはできないですけど合理論的な人たちはそんなことないと生きるんでしょうね僕もどっちかというとそっち寄りな気はしちゃうんですけど今だとまだ

ヒュームはねもう疑いすぎて例えばなんか 7 たす 5 が 12 みたいな足し算あるじゃないですか簡単なはいはいありますあれももしかしたら 7 たす 5 が 13 になるかもしれないじゃんみたいなでもねいやそんなわけないと思っちゃうの思考習慣にあなたは染まってますよそうそうそうそうなのだとしたらちょっと人間だからなとか思っちゃうねだって 7 にも 5 にも 12 という概念は含まれてないからああ

さっきのね因果みたいな考え方するとね確かにそこに何か新しいものを付け加えようとするとその途端にもそれは全て主観的なものであって

何ら客観的でも普遍的でもないただ偶然に過ぎないというですねヒュームは批判を行い偶然だけどよく起こる偶然みたいな感じかなそうそうよく起こる偶然めっちゃ再現性の高い偶然そうですけどそれが何兆回やっても同じ結果になるかはまた別でしょみたいなという感じですヒュームは今まで科学とかが成功してきて発展してきたっていうのはまあまあそうなんでしょうけどただ

あなたたちがやってることは全然客観的でも普遍的でもないですよそれはよく起こる偶然なんですなぜならそれは分析的に概念に含まれてないものを付け加えちゃってるからそれはもうあなたのトッピングあなたのエッセンスじゃないですかとだってそのもの自体にはないんだもん

というのがヒュームの考え方ですなんかね僕はそのいやもうよくある偶然でもええやんって思っちゃったんだけど最初はいけど多分さ少しでも客観じゃないものが入り込む余地があるのだとしたら神とかをさ合理的に説明するまでに最初はちょっとした偶然だったものがいっぱい積み重なって大きなエラーになりそうみたいなのは確かにちょっと思いましたね日常生活とかもいいんだけど別に神の証明するぐらいそれ積み重ねるんだったら少しでもああ

偶然の可能性があるんだったらなんか怪しいのかなとかそうですねそういう感じだったらちょっと僕もまだ理解できなくないなって感じですねこのね合理論とヒュームの経験論っていう風に言ったりするんですけど自然科学と哲学の関係への態度が違って合理論は自然科学とか数学は素晴らしいからその素晴らしさをどうやって哲学に結びつけようか

といって神や道徳とかは数学を模範として僕らは知ることができるという派閥特にヒュームの派閥というのは自然科学も哲学も神とか道徳とかも全部もう偶然ですと

全部客観性普遍性はありませんという考え方をするのがヒュームですそれ経験論なんだねこれ経験論で名前ネーミングがイギリス経験論という風にまとめられてそこにヒュームが入ったりとかしてるからなんですけどじゃあこの人たちはみんな私たち経験論チームですっていう風にやってるわけではないんでたまたまそういう風な呼ばれ方をねくくられ方がされちゃったっていう感じかそれだけです

このヒュームによる警告というかお前らがやってんの全部無駄だぜみたいなそう言われてるような感じだよねなんでかっていうと科学とか数学とか哲学っていうのは

というのは絶対普遍的なものを探求しなきゃいけないからそう思ってるヒュームはそんな普遍的なものは全部あなたの主観ですとあなたの感想ですとという風に言っているわけですあった私も偶然です偶然そうなってる偶然それが数万回やられているだけであと 1 回やったら違うかもしれないよね明日崩れてるかもしれないということをヒュームは言ってカントはですねなるほどと

おー賢い人は思うやなうん分かるぞとでも 5 足す 7 って 12 じゃん全然ねそう思っちゃうよね僕もそっちよりですどっちかっていうとっていう風にカントはスコットランドからの北風としてのヒュームの警告も分かる分かるで

同居だしねルーツはそっちだからねプロイセンで教育を受けてるのでボルフ流の教育をめっちゃ受けてるわけですよそっちもずっと正しいと教わってたし自分も正しいと思うし批判する思考習慣に染まりきってるしねどうしたらいいんだろうみたいな

これもいわばアンチのみ状態ですよねそれ二つ相反するものがね二つとも存在しちゃってるんだねそうなんですよなんか自分の中に分裂するような感じがあったんですもやもやするねそんな中で

前回のカントの生涯をちょっと振り返ろうみたいなのでカントは大学をちょっと休学して兄弟たちを家庭教師で養いながら大学に戻る道も模索していた中でベルリンアカデミーというのが毎年検証課題というのを出して言ってたねこれね

すごくてレベルが高くてですね例えば地球の時点は始まってから今まで変化したでしょうかそれを物理学的に確かめる術は何ですかみたいな論文とかですね何も何も取っ掛かりがない俺ね今とか地球は老化してますかどうやってそれを調べますか

とかという論文の課題があったりとかしてだから終わりがあるのだとしたらそれにどれぐらい近づいてるのかってことかなそうそうそうというのがベルリンアカデミーの検証課題すごいねそういうのにちゃんと金出して募ってくるんだねゆる生態科ラジオで一回ね自然発生説

パスツールさんがねいたね科学界で自然発生はないよねってのを主流にした学説を唱えたのもあれも確かフランスかどっかの法律アカデミーの検証論文のでしたね検証で投稿したのが自然発生説の検討っていうのがしたので当時はヨーロッパ各国がそういうことをねやってたんだねすごいねなんか今もあるのかなちょっとよかったねあるかもしれないもしかしたらね

1764 年のアカデミーの検証課題はですねボルフ流の考え方が正しいのかヒュームの警告に耳を貸すべきなのかというのをですね象徴的に表しておりまして自然心学言うとは神ですよねとか道徳といった経時常学的真理一般の第一原理が幾何学的真理のように判明に証明されるか否か

ということでございまして道徳とか自然心学の氷みたいなものがありますかあるのだったらそれは自然科学として突き詰められるものだしないのだとしたらそれはもう扱えないものあるのだとしたら

ウォルフ学科の言う通り合理的に神とかも道徳とかもわかるだろうしないのだとしたらウォルフ学科の言うのはちょっと違っていてそれはまた別ジャンルなのかないしたどり着きませんよそのやり方じゃっていうことですよねこの検証論文にカントは書いてすごいね応募しますその結果ですねよくすごいな

主席に選ばれたのはメンデルスゾーンという誰誰誰ハイトチにしちゃった主席に選ばれたってもうおーって言ったらどうあって言ったらあれと思ってメンデルスゾーンメンデルスゾーンを一切知らないわ音楽家にですね作曲家にフェリックスメンデルスゾーンという方がいましてパパパ

パーンみたいな結婚行進曲を作った人ジャーンジャーンジャジャーンですかそうそうそうゼクシーの CM でよく流れてるような結婚行進曲を作曲した人のおじいちゃんおじいちゃんは哲学者で関東の時代に活躍していた哲学者なんですけどこの人はボルフ学科が正しいですとうん、効率ありますと数学とか科学は量を扱うジャンルで

哲学とか神学というのは質を扱うジャンルですとジャンルは違うけど同じように研究とか探求はできるんですよっていう風に 100%肯定したのがこのメンデレスゾーンの論文が 1 位みたいな 2 位にカントのですねそんなことは 100%無理ですっていう論文が

私の邪推だけ言っていいですかはいはいどうぞまずプロイセンで行われたものですよねはいはいまず 1 位にボルファーク正しいと 2 位でボルファークは間違ってますとバランス取りにいった感じがすごいしますねなんかねまあ確かに結局最初も主席でノーは言えない感じするよねうんうんうん

しかも超お膝元ですよねうんうんでも一応 2 位はちゃんと反対派を取る 1 位になったら出版できますみたいな感じだったんですけどカントの論文も見逃せないぐらい素晴らしいってなってそう?

そうだよね普通 2 位とかあんま発表するイメージないもんね 1 個だけだよね 2 位というのが判明し 1 位も 2 位もどっちも出版しますということでこれ関東が 40 歳の時なのでまだねこれ志向子時代なんですね大学に戻ってきて行動借りて生徒からスパチャを募って学生からねに論文出してへー

このアカデミーで表彰されるに 確かにそう捉えるべきか 2 位として全く違う意見もアカデミーがその一見の価値ありと示したのが逆にすごいと捉えるべきかすごいですねそのお膝元で手ぐらい見るべき価値があると判断したんだねアカデミーがそう考えるとすごいなカントはこの論文の中ではもう経緯上で扱う対象というのは科学で扱う対象と全く違うので全く違う方法をやらなきゃいけないけどうん

その方法はまだできてないよっていうような感じでですねまあ言って否定はした違うってことはちゃんと言ったんだねそういうことでございますこれもさアンチのみっぽくないどうですかっていうのに対して 100%オッケー派も 100%ダメ派もどっちも表彰されちゃったんですよ逆に言うとアカデミー側が結論出ませんでしたって

って言ってるようなもんだよね決めきらなかったってことだよね分かりませんでしたとも捉えるカントはこの論文において初めてちょっと自覚的にこれどうにかしないといけないなとこんなアンチノミーが乱立する状態だと誰も刑事上学のことを尊敬してくれないとこのまま刑事上学はただの言葉遊びの学問になってしまうと

学問ごっこになっちゃうというのはですね純粋理性批判の最初の方でも触れられていてもう今刑事上学というのはもう無別の概念になってるみたいなその哲学をしてる人で外野がわけわかんねえなと思ってる人が投げるような言葉ってもう当時から投げられてたんですよ投げられてました言葉遊びとかさ哲学会は批判するときにさ使われそうじゃないですか使われますね何言ってんの逆にも立たねえ

言葉遊びばっかしやがって概念こねくり回してよみたいなみたいな言われてそうなのそれもその当時からの 18 世紀からありますこれあーそうなんだはいでこれは関東はどうにかしないといけないとうんまあ多分スコットランドうんとかプロイセンとかそういうのが対立してるうん真っ向からうんっていうのが自分の中で釈然としてなかったんですよねそうだね無視できなかったんだろうねうん世の中で 100%こっちにもうん

100%はあっちにも行くことができなかった中でどうにかしてこれを解決しなきゃいけないと言ってカントは哲学の思考を繰り返してやっとその 57 歳の時に 57 だもんね 40 の時 40 の時にこの検証論文やったんで 17 年かけて働きながらとはいえそうそうそうだいぶ考えましたねだいぶ考えて革命を成功させるおー

わけなんでございますけどもじゃあ何をしたのかどうやってこれを解決したのかということを次回扱いたいと思いますまだね何を言ったかわからないからねこれ解決するんですかするんですこれこれをカントが解決したからこそこれ以降の哲学はカントをわかんないと語れないんですよアカデミーのお偉いさん方がわかりませんって実質と言ったようなものをカント一人でどうにかしちゃったとそうなんですこれね

ちょい出ししますとカントの解決法というのは合理論も経験論もどっちも間違ってるという風に言いますなるほど新概念を出すんだそう皆さんが気づいてないところに重要な鍵となる概念があって経験論も合理論もそれを見つけてないなるほどいやなんかね節中案とか出すのかなって思ったんですよそうじゃないね新概念どっちも間違ってるどっちも間違ってる熱いですねそれはアプリ寄りな総合判断

って言うんですけど 新概念なのはわかりましたそれをちょっとね次回来週扱いたい と思いますので皆さんお楽しみにということで高評価コメントチャンネル 登録グッズも売ってますしサポーターコミュニティも募集しております サポーターになってくださいお願いします本当に楽しいよ ということで本題はここで以上にしたいと思いますありがとうございました さていきましょう今週の drews 語りは

今週のトゥルーズワードは鉛筆的強要でございます鉛筆の対立効としては例えばシャーペンボールペンとかもしかしたら消しゴムとかねじゃあそれと比べて鉛筆どうなんだとかそういう強要ってどうなんだとかねあるかもしれませんので皆さんコメントで教えてくださいベストアンサーはこの雑談会でね触れたいと思いますということで以上にしたいと思いますありがとうございました

ご視聴ありがとうございました