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cover of episode ニーチェの伝言「この世界は病気である」#129

ニーチェの伝言「この世界は病気である」#129

2025/6/14
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ゆる哲学ラジオ

AI Deep Dive AI Chapters Transcript
People
平田
Topics
平田:尼采认为世界是病态的,这与他所处的时代背景密切相关。当时的科学革命和工业革命带来了进步,但也引发了对传统价值观和信仰的质疑。尼采批判了人们逃避现实、寻求安慰的行为,例如沉迷于浪漫主义、社会主义,甚至宗教,这些都是病态的表现。他主张要直面现实的痛苦,肯定人生的价值。 よしのぶ:异世界转生等现象也是一种虚无主义的表现,因为人们总是幻想在另一个世界获得成功,以此来逃避现实的困境。这种对现实的不满和对理想世界的向往,正是尼采所批判的病态心理。

Deep Dive

Chapters
ニーチェの哲学は難解な概念で語られることが多いですが、彼の生涯をかけたメッセージは「この世界は病気である」という単純なものです。番組では、ニーチェが病に苦しみながらも精力的に執筆活動を行っていたこと、そして彼が考える「健康」と「病気」の定義について解説します。
  • ニーチェは病に侵されながらも多くの著作を残した
  • ニーチェは自身を病人としての側面を持つ健康な人間と評価していた
  • 健康とは自分に負荷をかけられる状態、病気とは体をいたわる状態

Shownotes Transcript

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ニーチェの哲学って、「神は死んだ」とか「永遠回帰」とか「意志の力」とか、聞いたことあるような小難しい概念で語られることが多いですよね。パワーワード一覧みたいな感じ?すごい響く言葉、12秒で言えそうな人ですよね。そうなんですよ。ただね、実は彼の生涯をかけたメッセージ、意外と単純で、それは…

「この世界は病気である」ということなんです。そうなんだ。先週の動画で、ニーチェが26歳で普仏戦争に従軍した際に赤痢とジフテリアにかかってしまい、55歳で亡くなるまで常に体を何かしらに蝕まれていた、常に体調の不安があったという話をしました。そうですよね。ニーチェの作品として残されている著作の多くというのは、この病に侵された約20年間、26歳で…

病になってから45歳で精神を病む前の20年間に精力的に書き上げられたものです。いくつかここで著作と年齢を挙げます。悲劇の誕生(28歳)、ツァラトゥストラはかく語りき(30歳頃)、反時代的考察(29歳~32歳)、悦ばしき知識(38歳)。

ちょっと飛ばしたのもありましたけども、だいたい1年に1冊は出してる。すごいね、多作ですね、みたいな人です。よく体調が不安定な中で、確かにこれだけの作品、しかも全部短編じゃないですよね?

そうだよね。哲学書みたいな、全部ぎっしりとしたすごい哲学書を1年に1冊ぐらいのペースで書いてるんですよ。きっと自分の身体とか精神の状態、残されたロウソクみたいなものの小ささに比べて自分の思想の大きさ、多分ちょっと焦りがあって何とか少しでも残しておかなければ…

という気持ち、こんなに言いたいことあるのに体が言うこと聞かんっていう感じだったのかもしれない。かもしれないので、かなりガーッと書いたんじゃないかなと。つまりニーチェの哲学を研究するときには、どうしてもそこにはですね、病が痕跡として残っているだろうと。だって病の中で書いたんだから。そうだね。ずっと何かしら何かしら病の影響を受けて精神的にきますからね。そうなんですよ。ただそんなニーチェは自分のことをどういうふうに言っていたかというと…

言いますと、「病人としての側面を持つ健康な人間である」っていう風に自分を評価していたようです。あくまで健康体だよと言ってたんだ。病気ある時もあるけど、ベースは健康体ですよって感じ?いや、どうですかね。

前回ね、聞いてくれた人は分かると思うんですけど、そもそもね、感染症にかかる前もね、めちゃめちゃ元気ハツラツとした感じでもそもそもなかったし、病気にかかってからはずっと何かしら、シンプルに体調悪いんでしょ?ずっと。恋の病もね、浮かれたり沈んだり激しい人生。しかも40…34歳とかで発狂してんだっけ?はい、そうです。健康的な人の人生だったな、あんまり思えないですよね。

結構苦労が多い人だったなって感じですよね。じゃああなた病人じゃないですか?どこが健康体なんですか?と時にですね、ニーチェはこう答えます。「では、君にとって健康な時とはどういう時か?病気であるとはどういうことなのか?君、説明してみたまえ」と。あら、哲学者っぽいこと言うなね(笑)。

ニーチェが「健康とは何か」「病気であるとはどういうことか」みたいな文章もあるんですけど、ここで書かれているニーチェの答えって、すごくなるほど確かに思えるんです。僕はすごく腑に落ちたので、僕の経験からですね、ちょっとこれを話していきたいと思います。ぜひぜひ。面白そう。「あなたの風邪はどこから?」ってテレビかなんかで聞かれることがなぜかよくあるんですけど、僕は完全に喉からなんです。あなたは?喉から?私は鼻から。

鼻からですか?鼻からですね。僕はまず喉痛くなって、そっから背中が痛くなって、39度以上の熱が出て、頭痛がして、最後鼻が詰まって終わるみたいな。いいですね。回数こなしてるかな?だいたいパターン分かんないね。自分のパターン。もうもう。はいはい。このパターンね。私も鼻からなんですけど、鼻でこれ風邪になるタイプの鼻の痛さだって。分かる分かる。これは!はいはい。来ました!これじゃあこの後喉に来ますね。朝起きて喉来てますね。じゃあ熱上がりましょうかみたいな…

みたいな感じです。分かりますじゃないですか?体のパターン。はい、分かります。これがいわゆる病気の状態ですよね。喉が痛い、頭が痛い、背中が痛いとか、ちょっと咳していい?

病気の状態再現していただいて…ずっと喉がイヤイヤして…病気の状態かもしれない。万全じゃないですね。じゃあ熱が出たというふうに思っていただいて、39度5分出てます。結構出たね。結構出てます。こういう状態の時に人は自分の体をどういうふうに扱うか…

ということなんですけど、じゃあご飯とか何食べますか?39度の時。39度だと、まあ消化がいいお粥的なものとかね、ゼリーとかね。ゼリーとか食べますよね。消化に良さそうなドロドロ系食いますね。食いますよね。じゃあ日中何して過ごしますか?39度ごぶで…

寝ますじゃないですか?寝ますよね。ベッドとかお布団の中で体を冷やさないようにして、スマホ見るぐらいじゃないですか?もう39度とかでも見る余裕もね、確かに力尽きてますよ、じゃないですか。

病気の時って体にあんまり無理をさせないようにする、体をいたわる、そっとしておくということが病気の時には行われてます。じゃあ回復しました。平熱に戻りました。じゃあ何食べますか?

おかゆでいいかなって言われたら、ちょっとね、「大丈夫?なんか調子悪いな」みたいな…

とかってなるじゃん。なるなる。健康な時って、もう二郎系とか家系とか…二郎系は健康な時しか行けないね。カツ丼カレーセットとか、そういうやつをさ、食べることができる。親父中瀬の肉豆腐定食とかね、あの池袋ね、16…場所近くにあるところの定食ですよね。はい。謎のネーミング。何が親父中瀬なのか分からないですけど。お粥とかじゃなくて、がっつり行きたい。うん、行きたい。なんで?

なんで?健康な時じゃないと二郎系食べれないの?二郎系だけで言うと、食べるの結構しんどいから。しんどい時にはしんどいのはできないからですよね。箸で天ぷらが箸で持ち上げられないとかできないと思うんですよ。できないですよ。もううーってなって箸が震えちゃって…いや、もうそうです。黒烏龍茶大量に持ち込んどいて…

まず、前黒烏龍茶飲んで、もう書いて、ちょっと友達のペースとかを見ながら、「全然平気だけど」みたいな顔しながら、最後苦しみながら帰るっていうのが大体二郎ですからね。はいはいはい。すごい解像度が高いですね。もう、かつて言ったなと思って。はい。運動だって、一日中ね、布団にいるとき、健康な人でも、最近は土日一日中布団にいますよみたいな人もいると思いますけども、やっぱり外で元気に動き回るというのが、健康そのもの。そうだね。象徴みたいなところがあります。本当に健康なの?

健康な時に寝続けるのしんどいからね。うんうん。そう。なんか「そろそろやんなきゃな」みたいな気持ちとかもね。初めてこの前ヤブサメを去年の夏にやった時には、次の日太ももとかが…

結構馬に乗るんで筋肉痛が来て、「うわ、ちょっと休みの日動きすぎたな」ってなって、足が痛いながらも通勤をするとかありますね。これが健康。筋肉痛ももはや嬉しい。「あー、それはある。ちょっとある。ちょっと頑張ってやって…来て…

来てる来てる」みたいな。そうだね。「鍛えたら明かし」みたいな気持ちぐらいで思ってるよね。そう。体が健康であれば、人間というのは自然に自分に負荷をかけるわけです。お粥みたいな消化がいいものじゃなくて、カツ丼とかの消化に結構時間かかるものとか。そうだね。あとは二郎みたいにしんどい、食べるのがしんどいやつ、苦行だねとかを食べる…

食べれるわけですよ。確かにそれを望むわけですよ。そうだね。お粥とかサラサラな食べ物とか望まないね。「やだよ、せっかくなんだから」みたいな感じになっちゃうね、ってなるじゃないですか。これがニーチェが病気と健康について考えていたことでございます。

ございます。つまり、健康とは自分に負荷がかけられる状態が健康な時である。まあまあ確かに。病気の時というのは自分の体とか生命をいたわる時であると。面白いね。というのがニーチェの洞察でございました。ほう。

問題はね、ニーチェに言わせれば「この世界は病気である」っていうふうに言ったところなんですよ。これを理解するためには、当時ニーチェがどんな世界に住んでたかっていうのをね、見てみる必要があります。この当時の状況を分かりやすくするために、今回は2つの革命という観点からちょっと整理したいんですけど、その革命というのは、17世紀ぐらいに起きた科学革命と…

18世紀ぐらいに起きた産業革命。1844年に生まれて19世紀の後半をまるまる生きたニーチェの時代というのは、こうした革命が起きました。いろいろテクノロジーが進化してとかに対する反省とか…

批判とか、あとその革命を推進して支えてきた理念とか理論とかが「やっぱおかしいんじゃね?」みたいな、そういう時代だったんですね。「一回ちょっと行くとこまで行って落ち着いたんだ。さて、これまでの我々正しかったんでしたっけ?」みたいな、ちょっとタイムアウトだったんだ。「ちょっと見直しましょうか?」っていう時期だったんだ。

時期にニーチェはいたんですね。まず科学革命のとこなんですけど、一番大きかったのは天動説が覆されたこと。これに象徴的な科学革命は、この前も話したようにカントにも大きな影響を与えて、哲学もあんな風にしっかりした…

土台を持たなきゃということで、批判哲学というのを彼が探求していく動機の一つになりました。それに加えて、これはちょっと科学革命から少し離れちゃうんですけども、ニーチェがいた時代の科学の大きな動きとしてはダーウィンの進化論、『種の起源』出版はニーチェ15歳の頃です。ちょうど高校時代。そもそもこれ『種の起源』が…

出版できたんだっていうのがすごいことじゃないですか?分かります?『種の起源』ってよくキリスト教との対立が語られがちだけど、出版して売れてますからね。出版して売れるだけの素地があったってことですかね。そうなんですよ。だから実はね、本当にキリスト教社会で何もできない超封建的な中に一石を投じた…

ってよりは、割と土壌ができてたというか、そういう科学的なことを一般市民とかある程度知識ある市民たちは少なくとも受け入れる土壌があったから出して売れて広まっちゃったんですからね。そうなんですよ。実はそこが割と重要で、この時も科学革命からだいぶ時間は経っていって、ルターの宗教改革とかももう遠い話なんですよ。

あんなのも「アダムとイブという最初の人類が神によって作られてエデンの園を追放されて原罪を背負ってて」みたいな考えが絶対だとしたら、ダーウィンも出版できてないんですよ。そうだね。出る前にね、止められてますから。絶対だから。まず出版できました。「で、進化というものがあるんだと…

我々は猿から進化したんだ。猿も一緒なんだ」みたいな、いろいろ批判はあったと思いますけど、その当時からね、なんですけど、そういうのがある程度需要されていたという時代。そうだよね。「聖書の記述ってやっぱフィクションに過ぎないよね。神っていないよね」みたいな、「科学こそ正義」みたいな雰囲気というのは…

この時代には出てきています。あまりですね、キリスト教自体が熱心に信仰されなくなった時代ですし、ニーチェは牧師の生まれです。確かにそうだ。牧師の生まれですけども、この当時牧師にならずに大学の教授になるというのも別に珍しくはなかった。普通だった。「なんでニーチェは牧師にならないんだ?」とか、確かに…

という批判はなかったとされてます。そうか。キリスト教絶対だったらね、絶対牧師の方がいいもんね。うんなんですけど、もう普通に古典学の教授になってます。あーそっかー。頑張れーで終わってた。そうぐらいの地位になってた。キリスト教がね。だからここでまあ象徴的なのは、牧師とかっていう宗教よりも学問の方が重んじられていたというような時代、世界観でございました。はい、いただきました。

そんな科学万歳、科学は素晴らしいという進歩の最中に、新しい分野が開始されて、科学界に揺らぎが発生することになります。これが熱力学という新たな分野でございます。「昔ながらの物理学、俺はこれすごく正しいと思ってた。でも最近出てきた熱力学は全く違う認識を持っている。全然違うジャンルが出てきちゃったぞ。これどう整合性つけんの?」

なるほど。「科学って本当に正しいの?」みたいな風潮が割とありまして。「例外結構あんじゃね?」みたいな…

「俺らが見てた科学って何なんだよ?そんな正しいのかよ?」と言って、この当時ドイツではオカルトブームとかスピリチュアルブームとか、先制術ブームみたいなのが割と起きていたらしいです。おもろいね。そういう方に行くんだ。キリスト教に逆戻りではないんだ。オカルトとかに行くんだ。疑似科学みたいなのに行くんだ。おー、面白いね。高齢術とかあー…

もうなんかあったらしくて流行るんだ。やっぱそういう時って、ニーチェはそういうのあんま興味なかったんで、科学にも興味なかったし、オカルトにも興味なかったから、一回なんか目当ての教授が高齢術の講演会するからとかって言ったら「クソつまんねー」って言って変えたらしいの。あそこにはあんまり影響受けてない。あんまり影響受けてない。そしてさらにカント…

もうまあ科学をね、模範にしたりとかして研究を進めていったそういう話だったね。けどこのカントの哲学とかカント以降の哲学も「本当に正しいんかね?これとか何の役にも立たねえじゃねえか」とか、そんな風に疑いの目を向けられていきます。はい。

次に産業革命の話なんですが、この産業革命によって都市というものがまあ工業的に急速に発展するようになります。もちろんそれによっていいことも起こったし、産業革命が起きてなきゃこれだけ僕ら便利な暮らしをしてない。そうだね。カメラもマイクも何もないだろうね。こういうYouTubeで配信とかもそうだよ。そうだよ。なんか全部ね、後藤にそがってね、なんかね…

技術の進歩なんて素晴らしいんだと思うんですけども、この当時から何か新しいテクノロジーに関してはやっぱり反発する人たちっていうのはまあいたわけですよ。公害とかもあっただろうしね。あとはラッダイト運動とかって世界史ではありましたけど、機械打ち壊し運動とかね。「俺の仕事を奪うな!」ってありましたけどね。イギリスで特に文学とか芸術とかでは中世への憧れ…

あとは理論よりも衝動を重視するようなロマン主義と言われるような流れが起こり、それに反発するような、また自然主義っていうやり方も出てきたんですけど、そういう時代だったんですね。産業革命とそれに伴った工場の経営の形から資本主義というのが拡大していきまして、人々はかなり疲弊するように…

なっていきます。格差とか。そうだね。ドイツでは都市じゃなくて自然に戻ろうみたいな感じで、森を散歩するブームになったりとかしたらしいですけども。田舎ブームみたいなのあったのかな?今もあるじゃないですか?古民家とかさ、回収してカフェとかにしたりとかさ、するでしょ?強いなこれ。古民家にしてカフェにしたりとか、どうせ古民家カフェにするんでしょ?まあ多いですね。実際僕の地元も増えましたよ。Iターンというかね、縁もゆかりもない人とかも…

来るようになってね、やったりとか。あとテレビ番組もさ、「ポツンと一軒家」的な番組増えましたね。あー増えたね。テレビつけたらよくやってんだ。「田舎に行ってみよう」みたいなね、そういうの増えたってことは、なんかそういう時代なんですかね?今。そう。同じような時代なんですよ。あと社会的に言えば、まあそうした現状を変えるための社会主義。あーそっかそっか。カウンターだもんね。社会主義はこの時フランスでも一大勢力になりまして、1832年の6月暴動というのが…

ありまして、これね、大きく取り上げた作品として『レ・ミゼラブル』が知られています。

これが出版されたのが1862年。ニーチェ18歳。プフォルタ学院にいた時でございます。そういう時期に10代を過ごしてたんだ。ちなみにニーチェは古典語にむちゃくちゃな才能を発揮しました。古典ギリシャ語、ラテン語、スラスラ読める。すごいな。大天才だったんですけども、フランス語はもう全くできなかったらしい。そこは違うんだ。全然違うらしい。なんでだ?ニーチェはそこ全然興味なかったらしい。興味の問題か?どっちかっていうと多分ね…

今喋ってる言語が何であろうと俺は関係ねえ。古典と対話できればいいみたいな。いいですね。面白い。多分『レ・ミゼラブル』をニーチェは読んでいません。うん、読んでないか。じゃあ影響は受けてませんけど、そういう時代だった。はい。『レ・ミゼ』のラテン語訳とかがあればニーチェは読んでたかもしれないよね。一回挟まなきゃいけない。はい。とにかくこの時代というのは「何が正しいのか」とか…

「何を信じればいいのか」とか「これからこの世界はどうなっちゃうんだ」とか「こんなにおかしなことになってんのは俺たちがキリスト教を信じなくなったからじゃないか」みたいな、一種厭世的とか、ちょっと終末論的な…

風潮。「もう終わりだ」みたいな。確かにキリスト教を捨てたと思ったら科学もなんか曖昧になってきて、今周り見たら高齢術とかやってる。ちょっと終末感ありますね。「終わりだってな。日本も終わってきたな」みたいになりますよね。そういうのが広まってたらね、なるじゃないですか?神社礼拝ブームとかさ、本屋さん行ったらそればっか並んでるとか、ちょっと大丈夫か…

って思っちゃう時ありますよね。なりますよね。日本への影響で言うと、例えば太宰治とかが影響受けてて、デカダンスとか大敗的な流行。「人間失格」とかさ、そういうイメージですよ。暗いね、タイトルだよね。「人間最高」とかじゃない。「人間最高」ではないね。そういう時代だったんだよ。世界的に。あとはロシア文学とか…

ドストエフスキー。長くて、鬱で、なんかダラダラ書いてるみたいな。隅とバツみたいな名前もね、全然面白くなかったもんね。『けいおん!』とかじゃないもんね。やっぱね、『プリキュア』とか流行ってるじゃない時代だったね。やだろ。『ドストエフスキーがプリキュア』とかって…

絶対暗い話になるだろ。それ。「ハピネスプリキュア」とか書いてないんだよね。書いてないよ。そういうのが流行っちゃったんだな。こういうちょっと大敗的な風潮ですね。一般にニヒリズムみたいな感じで、まあ批判されたりとか、あだなされたりとかしてたんですね。「ニヒル」って虚無、何もねえみたいな…

という意味です。今で言うとかちょっとわかんないんですけど、もうマジ無理みたいな、すぐ否定したから無気力な感じって感じかな。みんながみんなちょっとそう、もうマジ無理平成ギャルみたいな感じだったっていう風になってたんです。このニヒリズムが兄ちゃんにとっては病気だなっていう風にね、映ってたんです。はいはい、そういうことか。それならわかるわ。これならね、なんだ、そういうことかみたいな。

そりゃ病気でしょうよと、高齢術とかお神経やってる教授みたいに病気だなと思ったってことでしょう。もう少しね、もっといく下るんですけど、兄ちゃんにとってこれがなんで病なのかっていうと、例えばロマン主義とか社会主義、あとは慌ててじゃあちょっとキリスト教戻んなきゃみたいな反動でね、そう消えする人とかこうした人たちというのは、考えたくない現実から目をそらして現実逃避して、うん。

何か安心しようとしてませんかと、突然俺にもね、今向けられたような感じがしました。なんかあなたは心をお布団の中に寝かせておくようなことをしてませんかと、それは病気なんじゃないですかと、ここでかかってくるのか。例えばロマン主義だったら、今の工業的なものはダメだと、工業的になってしまっているこの現実ではなく、

中世は良かったよね。あったかどうかわからんね。美化されたね。やっぱロマンだよね。うん。

岸道がねとかね、そういう世界です。それは異世界転生がねとかかもしれない。もしかするとね、異世界転生ってまさにニヒリズムというか病だと思っていて、わかる。僕ね、異世界転生苦手で。なぜかというと、ある意味一番僕がニヒリズム的だった浪人時代を思い出しちゃうんですよ。あれ見ると、それで本当、うん。

生まれ変わったらとか、こんな才能が突然芽生えたらみたいなことばっか考えてたから、現実で目を染めたくなる。その時の自分を思い出しちゃうの、あれ見ると。すぐレベルアップして、なぜかゲーム的な世界でさ、脈絡もなくスキルゲットして、好きになってくれる可愛い子がいてみたいな、そういうのばっか考えてたら自分を思い出して嫌になっちゃう。ニヒリズムって言葉が合ってるかわかんないけど、同じだと思う俺。

そうなんです。この今の現実世界だとパッとしなかったんだけども、異世界だったら俺はきっと活躍できる、きっと無双できる。そうそうそうそうみたいな思想が、ニーチェからしたらそれは現実逃避だよね、病だよね。わかるわ。何かそれはおねんねしようとしてるよねと。俺実際だってそれ寝ながら考えてたもん。ずっとおねんねしながら浪人して勉強しないで、あと1週間でセンター試験みたいな時にめっちゃ考えてたもん。

勉強しろよ。あー、目覚めたら中学生くらいって天才少年として無双できれんかなとか考えてたもん。やっぱ考えますよね。考えるでしょ。やっぱ浪人だけじゃなくて、やっぱ辛いのが来てそういうことばっか考えるから、言う通りです。俺がゴムゴムの実を食ったらとかって考えるもん。考えてた俺オリジナルのが。

悪魔の実考えようとか考えながらですと。俺何がいいから何もしいいとか言ってワンピースあんま見てないのに、俺の考えた悪魔の実がもう被って出てんじゃないかと思って、それのためだけにビックリしてやったから調べたりしたもん。俺もあったなそれ。なんか悪魔の実って海に嫌われるみたいな、そうだね。なんか溺れちゃうみたいなのがあったんだけど、いやこれ水水飲み。

海とかあったら最強じゃねえかと思って。あーわかる。考えるわそういうの。海のみとかあったらこれ最強だなとか考えるわー。海を攻略できるね。そうそうそう。わかるわー。俺がこれ食ったら最強になれるとかって浪人中考えてました。俺も考えてました。病です。病ですね。私あの時お布団の中にいました。病でした。それは現実から目を背けて、何かこの現実とは別のところに理想的な正しい世界がある。うん。

それを目指せばいいっていう安心を得ようとしていると、それは病気の時にお粥を食べるのと全く一緒だよっていう風にニーチェは言ってるんです。ロマン主義とか社会主義とか海の実とかだったら病だなってわかるけど、ニーチェはプラスキリスト教とか近代科学とか近代哲学に対しても病ですよ。

っていう風に言います。全部だね。全部です。ヨーロッパがいいとしていたもの、ヨーロッパがこれを目指せばいいよ。例えば科学やればいい。科学は素晴らしい。近代哲学、これは理性の成果だ素晴らしい。キリスト教、これ素晴らしい。みんなで信仰するべきだという風に言ってたものを、ニーチェは全て病と診断します。

例えば哲学に関して言うと、ゆる哲学ラジオでは3人でやる哲学史ってことで最初にプラトンを置きました。置いたね。これはニーチェも同じ判断をしてます。哲学はプラトンから始まっている。それはどういうことかというと、プラトンが一番最初にこの世界とは別の世界がある、イデアという理想がある。我々はそれに近づけるべきだと

いうような話をしたんです。僕の哲学の定義もそうです。何か違う世界があってそれを探求するゲームのね、RTAのバグみたいな、RTAみたいなゲームを捨てないみたいな、裏技あるんじゃないかみたいなことばっかやってる。何かこの現実世界はおかしいから、

正しいのが別のところにあるから、じゃあそれを探求しましょうみたいな。プラトンの生涯とかソクラテスの裁判の話とかもしたんですけど、やっぱり当時プラトンの中ではソクラテスが死ぬ世界はおかしいからイデアを考えようとしたわけです。そうだね。それはニーチェから言わせてみれば、

そんなもんねえと。それは安心しようとしてた。そういうイデアというものを仮説的に考えることで、甘えんなみたいな。実際お師匠さん亡くなったし、その後理想としてたイデアをハントしたような生態もできず現実では終わってますもんね。そうなんです。現実見たらそんなことになってないから、ただの夢、ただの妄想ですよと言われてもしょうがないかもしれない。

これはアトランティス界とかでね、プラトンが理想の国家を論じて実際政治やってみたら全然ダメだったみたいな話をしましたけども、そういうことなんですよ。ニーチェから言わせたらそれは自分の心とか思考とか認識に

負荷がかかってないですよねと。そういうことも言えるのか。健康な時というのは思考とかにも負荷をかけなきゃいけないので、今病気の状態ですよと。それはもうおかゆ食うのと一緒ですよと。カツ丼食べましょうよと、二郎食べましょうよ。負荷かけましょう。筋トレしましょうよ。明日筋肉痛になりましょうよっていうのがニーチェなんです。

なるほど。私科学者ですけど、いっぱい科学実験して頭悩ませて負荷かけてますよと。違う違う、そういうことじゃないんだよとニーチは言うわけですよ。あなたは科学でキリスト教批判、宗教なんかみたいな感じで批判してますけども、実験とか

論章とか積み重ねていけばあなた心理にたどり着けると思ってるでしょみたいな。実際の人間にそんなこと無理なんで、人間が感覚で動いてるからそんな無理じゃないですかと。実験を積み重ねていけば正しくなれるっていうのは、これ信仰ですよねと。

そういう風にして安心しようとしてますよね。この実験をすれば何かが明らかになるはずだ。この実験は無駄じゃないはずだ。それはありそうね。無駄です。これ無駄なんじゃないかって考えること不可だもんね。無駄じゃない。

絶対に科学の積み重ねの一つになれるっていう信仰。そうです。そういう信仰があってあなたはそれで安心しようとしてます。それは病気です。僕は大学院生じゃないけど、大学院で研究されている友達とかサポーターの方にもいて、

学振とか小学院とか取るためには自分の研究がいかに役立つかみたいなことをアピールしなきゃいけない。そうだね。けどもニーチェからしたらそんな役に立つこととかありません。全部無駄です。何かそれで明らかになることは特にないです。なぜならそれは全て人間の感覚を通したものなので、何か真理というわけではないし、人間の理性で真理に近づけるということももはや妄想でありますというふうに

日は批判をします。これはキリスト教徒が信仰していれば、この苦行とかね、修行とか拷問とかを乗り越えれば神の国に近づけるという風に思っているのと一緒なんですよと。

同じ病ですと。こことは別の世界、この苦痛にまみれた現実以外の世界というのはありませんし、この世界にあなたが生きてる意味とかもないです。この世界が存在してる意味とかもないですというふうにニーチェは言っています。それが信じられてる時代もありました。この世界何か意味があるんじゃないか。それはあなたたちが積極的に手放してきた世界ですと。それはキリスト教の神を唯一のものとして信仰する世界であり、

今のこの世界というのは神が死んだ後の世界なんです。だからニーチェは神は死んだっていう言葉で結構有名ですけども、キリスト教の信仰がなくなったということに関してはニーチェは否定的にというか、そんなことしない方が良かったじゃんっていう風にも言っています。イメージ全然違うね。うん。

アンパンマンマーチでさ、「何のために生まれて、何をして喜ぶ、わからないまま終わる。そんなのは嫌だ」と言ってますけども、そんなのがわかることはありません。この世界に意味はないから。アンパンマン今負荷かけてるじゃないですか。「嫌だ」って考えて、まだ答え出てないんで、いやでもそれでバイキンマンを殴れば正しいことは「嫌だ」って

やってるはずだみたいな。大丈夫ですか?以前アンパンマンのことを安易に扱ったせいでコメント欄荒れたことありますか?荒れましたね。けどそんなのは嫌だって言ってるんですよ。いや、嫌じゃなくて、それしかないんだっていうのがニーチェなんで。「わからないまま終わる」っていうのがニーチェ。それしかないよねみたいな。これをですね、ニーチェは徹底したニヒリズムとかって言うんですけど、もう何もない。うん。

なんもない中にお前らすぐなんか意味とか違うものをなんか見つけて安心しようとすると、例えばロマン主義とかで言うと、もう機械まみれのこの都市なんて嫌だみたいな風に言って、自然みたいなものを見出そうとする。自然のものに対してもないものに勝手に意味つけたりし始めるからね。次は自然にも意味を見出し始めたりしてさ、それこそ生きる意味みたいな。見てくださいライオン。

そんな別に美しい生態がとかね、生態がって実はその全然違う例外を起きてまくったりするんですけど、意味をすぐ見出そうとしますよね。僕もそうなんですけど、気をつけないといけないですよね。他のニヒリズムというふうに言われる遠征主義的なものも、遠征とか言いながらなんか違う希望を見出そうとしてるんですよ。

ニーチェは重要なのは、この世界、人生というのは苦痛しかありません。だからといってそれは否定する理由にはなりませんというのがニーチェのですねメッセージだし、ルーザロメというね女性がいて、「ニーチェさん、こういうことでしょ」っていう風に言った。その「こういうことでしょ」っていうのは、ルーはですね、ニーチェの思想からあなたは生、生きることを肯定しようとしてるんですよねという風なところを言い当てたと。

もうマジ無理みたいなインターネットの公文であるんですよ。もうマジ無理リス化しようみたいな。あるね、あるじゃないですか。このリス化というのは自殺をほのめかすような文章が続くんですけども、これただのニヒリズムなんですね。これなぜかというと、死ねば何とかなると思ってる。うん。

のが逃げなんですよ。ニーチェから言わせてみればね。死をほのめかせばなんとかなると思ってるかもしれないねとか、異世界転生するかもしれないとか、生まれ変わったらとか。生まれ変わりとかないよっていうのがニーチェの言ってることです。すぐ安心しようとしないでください。と思う。思考停止すんなということか。この世界は苦痛まみれだけど、

逃げるな。お前二郎まみれだけど、それはずっと二郎食ってるようなもんだっていうこと言ってない?そうそうそう。美味しいじゃねえか。めっちゃ二郎食って健康じゃん。いいじゃんっていうことを言ってると。「お前毎日二郎食えるってすごいぞ」って。「すごい健康じゃん」ってことか。そうっていうことなんです。それは健康だ。毎日二郎食えるやつだったら健康以外の何事でもないわ。最悪のとにかく明るい安村みたいな感じ。どういうこと?安心しようとしましたねって。

そんなことないですみたいな。吐いてませんよ。でもいいじゃんみたいな。最低です。最悪の安村がニーチェですね。ニーチェの入門書なんかね、よく読むとニーチェはキリスト教を批判したとか、当時流行していたニヒリズムを批判したとかって結構書いてあるんですけど、そんな印象だよ僕。でもさ、僕らって別にキリスト教信仰の土地の中で暮らしてきたわけじゃないし。そうだね。日本は多くはそうだもんね。

当時の大敗的な風潮とかって言われてもあんまりピンとこない。そうだね。ちょっと時代も離れてるしね。人種の問題意識ってあんまり日本人からしたら理解できないんですけど。けど今の日本でもこのニヒリズム批判っていうのはすごく当てはまる気がしてます。さっき言った異世界転生もまさにニヒリズムの典型。めっちゃ流行ってるもんね。だと思いますし、もう少し真面目な例を出しますと、過去で言うと例えばファシスト政権とか、

あとは今のアメリカとかで起こってるポピュリズム。日本でも起きてるというふうに言われてますけど、あとは万博とかもそうだと思うんですよ。例えばポピュリズムの核には、この人の言うことさえ信じておけばいいという安心感。「あいつに任せとけばなんとかなる。なんとかなる。あいつに何か発言させておけば何かすごいことが起こる」とか。ヒトラーがやってきたこともそうですよね。「俺についてこい」って。

お礼がなんとかするみたいな。「いいじゃねえか」みたいな感じになったりとか、あとなんか万博とかも、もうなんか大阪でやればいいんでしょうみたいなとか、宇宙から持ってきた石見せればいいんでしょうみたいなとかね。過去成功したものを追いすがって、もうそれしかない何か答えがないんですよ。もうまあまあ月の石とか見せとけばいいでしょうとか。はいはいはい。

そういうね、安心しようとしてる。2シリーズも僕はすごい感じる。大阪万博、あの成功した高度経済成長、太陽とかバーンみたいなね、あの夢をもう一回見させればいいんでしょうみたいな、うね、安易な感じがね、結構してしまうんです。

まあ一個あるよね。でかい祭典とかをするっていうのは、まあ一個そっちに向くからね。そうそうそうそう。それはまあ多かれ少なかれ歴史では繰り返されてる気がしますよね。パントマイムじゃないけど、とりあえず催し戻して視線そらすっていうのはありますよね。実際だから僕はこれがすごくニヒリズム的、ニーチェから言わせたら病的だなというふうに思いますし、実際ニーチェは生きている間にユダヤ人への差別みたいなことも行われ始めたんですけども、

一貫して否定的でした。あれはもう最悪の行為だみたいなことを言ってました。それはニーチェにとっては最悪のニヒリズムとして映っていたからだと思います。

ニーチェが批判したニヒリズムについてですね、主にちょっと解説をしてきました。今回の台本を作るにあたって色々読んできました。「ニーチェ入門」みたいな本とか、「ニーチェ全集」とかね、「ニーチェの辞典」みたいなのを読んだりとかしましたけども、ちくま学芸文庫から出ている清水さんという方の「ニーチェ入門」、この本でされていた整理がかなり分かりやすかったので、今回の話は大部分この本に依拠して

おります。ニーチェのこの思想の何がすごいって、哲学をですね、人間のもとに取り戻したことだと思っていて。「ニーチェの哲学を生きる」って書いて「生の哲学」っていう風に言ったりするんですけど、プラトンのね対話編で「クリトン」っていうのがあって、ソクラテスが処刑される直前みたいなシーンを描いたものがあるんですけど、ここにはね、

哲学というのは死の練習であるっていうソクラテスの言葉が載ってるんですね。どういうことかというと、これは魂を解放することなんだと。哲学をすることで魂が解放されて真理を見れるのは肉体はいらないよねみたいな。死というのはそれと同じなんですよみたいな感覚。なんとなく言いたいことはわかる。これって今のこの現実世界の生というのが否定されるべきもので、死

死後の世界とか正しいイデアの世界こそが肯定されるもの。「魂の解放」ってなんか良さそうだもんね。良さそうでしょ。なんとなく良さそうだもんね。ニーチェからしたらこれは人間の生というのをすごく侮辱していると。

これはいけないと。「死んでから本番」みたいな。はい。1話でまず事故のシーンから入る世界ものみたいな。そうそうそうそう。「ガンツ」みたいなみたいだね。でも全部一緒だね。それを言うとね、何か人間のこの肉体には世界を歪めさせるものとか、この生きている世界というのは醜くて間違ったものである。

正しいものはここからさらにこうちょっと一段階上がったところとか別の世界にあるっていう思想はこの後哲学とかキリスト教に形を変えて、ソクラテスの思想というのが継承することになります。そこからニーチェがこういう「全部病です。健康になるためにはこの苦痛にまみれた生というのを肯定しなきゃいけない。

そこから始めなきゃいけない」っていう思想というのは、やっとこの哲学が生きた人間のものになった。

生きた人間の営みになった。「ずっと死んだ後の話とかばっかしてたけど、そうそうそうそう。やって生きる話しようぜ」って感じになったってことか。これが1900年に亡くなったニーチェの思想だったので、ここからまだ125年ぐらいしか経ってない。そうだね。そのぐらいしか経ってない。だからこれからの哲学というのを考えていくためには、ニーチェの思想というのはかなり重要だなと思いますし、実際にこのニーチェの考えというのが広くヨーロッパに広がって現代思想という風に言われるもののほとんどはニーチェ

ニーチェの影響を受けています。そして人間のこの混沌ってどういうとこから生まれてきたんだろうとかっていうですね、思想につながっていっておりますので、ニーチェの哲学はすごく僕は価値のあるものだと思っております。せーの!哲学取り戻した!

そうです!125年前ぐらいにやっとそうです。ということなので、哲学の歴史2000年、3000年ぐらいありますけど、やっとこの125年前に哲学というのは生きた人間のものになったんじゃないかなというふうに僕は思っております。ずっと病気だったんだね。2000年ぐらい病気。3000年病気だったんだ。病気でした。それがやっとですね、やっと健康になりました。「健康体の話しません」ってなった。

そうです。おっとということで、今週のデルーズ語りワードは「美容院的攻撃」でございます。おー、難しそうだぞ。難しそうだね。「美容院」の他の言葉。例えば僕だったら美容院じゃなくて、僕理髪店に行くのが、はいはいはい、好きなんですけど、美容院

雑誌もたされてさ、「どの髪型がいいですか」とか思う。「お前が好きにやってくれよ」とかって思うんですけど、分かる?最初にどのようなお髪型がいいですか?知らん知らんみたいな。まずそこの会話からじゃないですかね。どこへ行けば眉の上にしますか?

要不要把刘海修到眉毛上面?鬓角怎么处理?后面留多长?好,就这样可以了吗?然后把整体修整一下之类的。我比较喜欢理发店这种感觉。如果是乡下的理发店的话呢,不管你说什么,最后出来的发型都一样,这种情况也有吧?反而很方便吧?一定会以高速被允许的运动狩猎的方式被对待,不是那样吗?美容院式的攻击,美容院理发店不行的,什么样的

概念是什么,请在评论区告诉大家。写评论的时候,请先写上你的电台昵称,然后写上“医院式攻击是什么”这句话。那么,这次呢,稍微聊了一下尼采的虚无主义,他是一位相当有名的人物,但是我觉得也有很多人不了解他

那么大家现在呢,在支持者社区里正在进行武田诚二先生的筑摩书房出版的《尼采入门》读书会呢,太棒了太棒了,据说有人把《尼采入门》做成鱼汤喝掉,每月1000日元就可以加入这样的支持者社区,还有周边商品。是的,有笔记本啊,嗯

还有托特包、书签等等,另外每周进行的德勒兹讨论会,棋盘游戏版已经可以在Value Books购买了,所以请务必去看看。那么,评论、点赞、频道订阅就拜托大家了。本周的轻松哲学电台就到这里,谢谢大家,谢谢大家