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cover of episode ニーチェを読み解く、3つの「病」#128

ニーチェを読み解く、3つの「病」#128

2025/6/7
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ゆる哲学ラジオ

AI Deep Dive AI Chapters Transcript
People
吉野部
平田
Topics
平田:尼采的一生可以用三种“疾病”来解读:感染症、恋爱和中二病。通过这三个角度,可以更容易理解尼采的哲学思想和人生经历。尼采的身高体重可以从他当时的官方记录中得知,他出生于牧师家庭,但不太喜欢他的母亲和妹妹,认为她们无法理解他深刻的思想。尼采对希腊神话非常熟悉,因为他从事古典文献学研究。 吉野部:尼采的身高大约174厘米,体重75公斤,体格健壮,与人们通常认为的瘦弱形象不同。尼采可能将自己投射到了被鞭打的马身上。

Deep Dive

Chapters
ニーチェの身長と体重を当時のヨーロッパ人の平均と比較し、意外な大柄さから、中日ドラゴンズ監督である落合博満氏ら野球選手との体格比較を通して、ニーチェ像を再考します。
  • ニーチェの身長174cm、体重75kgは当時の平均を上回る大柄な体格だった。
  • 落合博満氏、高木守道氏ら中日ドラゴンズ監督経験者と体格が似ていた。
  • ニーチェの体格は当時のヨーロッパの上流階級の特徴だった可能性がある。

Shownotes Transcript

Translations:
中文

日本でもよく知られている哲学者フリードリヒ・ニーチェという人がいますニーチェ僕でも聞いたことあります彼の哲学って結構難しいんですよ難しそうただねこれなんと 3 つの病の観点から整理するだけでかなり分かりやすくなります病気?はい病気です一つに感染症感染症なんかもっと心の病とか言われるのかと思った感染症感染症二つ目が恋の病はい

3 つ目が中二病です中二病、病ですかまずは彼の基本情報から触れていきたいと思うんですけど彼の公的な書類、今で言う運転免許証みたいなそういうのに身長とか体重とか残されてて今もわかるんですよニーチェって尖らないイメージ若干ないですか?俺?

俺細長いイメージはある身長どれくらいの体重どれくらいかって当時のヨーロッパ人でしょまあ 175 くらいいい線で 55 キロくらい細い細いガリガリなイメージがあるんですよね実は結構大柄で吉野部がさっき言ったみたいに身長 174 センチの体重 75 キロだったへー

75?結構重いねがっしりしてます重いわ全く同じだよという方はコメントいただければと思うんですけどはいはいはいはい彼ね 1844 年に生まれてます 19 世紀の人ですはい当時はプロイセンとか現在で言うとドイツみたいなところに生まれたんですけど当時のね周りの平均身長これだいたい 160 センチぐらいだった

いう風に言われてますオベジも昔はね今と栄養状態とかも違うからね小さかったとは聞きますよねはいその中で言うとかなり大柄確かにでかいねでしたちょっとイメージ皆さんにしてもらいたいので有名人でこの身長体重の人いないかなと思っていろいろ探してみました 4 人ほどちょっと見つかったんですよ例えばね落合博光落合博光まあ

皆さんよくご存知だと思うんですけど 暮らせないおじいちゃんのね引退した後のおじいちゃん名監督みたいな イメージですけど彼 178cm の 82kg なんですね 小柄なイメージあるけどあくまで野球選手としてか あと高木守道が 174cm の 72kg 谷重元信になると 176cm の 81kg 今のところ野球選手ですかね

173 センチを 70 キロなので高木堀道が一番近いかなと思うんですけどみんなね往年の野球選手中日ドラゴンズの監督中日ドラゴンズかだからニーチェが中日ドラゴンズ落合いって言った時点でもうこの後 4 人ボケ続けるなと思いましたね落合い出さねえだろ一人でじゃんと思って

落合が一番弱いから弱いのか?皆さんご存知だよねということでニーチェは中日ドラゴンズの監督をやっててもおかしくないサイズそんぐらいのサイズ感だね往年の名選手体系結構飛ばせちゃう飛ばせちゃう超だのタイプそうだねだと思います

彼の出自の話をねちょっとしておくと今のところ形の話しかしないフロイセンで生まれた中日ドラゴンズの監督になりそうな人という情報しかないですからねそれだけだとちょっとね歪んじゃうのでニーチェ像がちゃんとした情報を入れておきますと 1744 年に牧師の家にね

生まれましたキリスト教の教会の牧師さんですねこの 1844 年という年は日本だと幕末動乱に差し掛かる直前かなというところですちなみにニーチェの同い年の日本の有名人といえば新選組にいた斉藤はじめ

後の外務大臣ムツムネミツなんかがこの年に産む声を上げております彼らが大人になる頃に幕末へ入りそれぐらいの幕末ちょっと前ぐらいの時代ですニーチェさんが生まれたんだプロイスはいこのニーチェが生まれた牧師っていう職業当時の社会の中では割と上流階級とかあと知識階級っていう風に言われてた

時ですさっき言った大柄これもねこの当時は上流階級の証拠だったらしいですねいいもん食えてるってことかそうそうそういいもん食えてるし多分ずっと働き詰めじゃなくて寝れてるみたいな腰も曲がったりもあんませんそうそうそう確かにっていうのがあったらしいですに

ニーチェの友達にワーグナーっていう音楽がいたんですけどワーグナーといえば悪い救霊の機構みたいなねあーなんだそれはテッテレテッテーンみたいな

なんだっけプラットフォンかなんかのベトナム戦争の映画でヘリコプターがなんか飛んでくる時に確か使われてた始まるぜみたいな始まるぜみたいな曲を作っておりますこの人はニーチェと一時期友達だったんですけどいろいろあって絶好しちゃうんですけどあんまり裕福じゃなかったんですよ羊がそうで身長もなんか 150 センチ台とか

あー低い小さかったからそうだから結構それがコンプレックスで奥さんのね小島さんっていう人がいるんですけどこの人は身長高かったんで家族写真を撮るときに必ずそのワーグナーの方が階段の一段上にいたっていうあー

のがあったりしたらしいですコンプレックスだったらしいですね確かにさっき言ったように長身が上流階級の証みたいな印象ある中だとどうしてもそういうコンプレックスはつきまとうでしょうねそうなんですよ結構さ世界史とかでさ王室

病弱だったとかあんまり身長が高くなかったとかって言って優遇されなかったみたいなのも 19 世紀でこの認識なので確かにね 19 世紀割と最近ですからねもうちょっと昔だと本当に身長低いとダメって

っていうのがもしかしたらあったかもしれないですねただ裕福な家庭だったんですけど 5 歳の時に父親が亡くなってしまいますしかも信じられない理由で亡くなっちゃってですねお父さん禁眼だったらしいんですけど禁眼すぎて階段降りようとした時に足元に寝てた犬に気づかなくて犬につまずいてしまって階段を落ちてしまったんです

その時の傷がきっかけで亡くなってしまうとそうあんなという話らしくてニーチェもねギャグ漫画みたいなねギャグ漫画って言うなよごめんなさい確かにごめんなさいね人の死をねそうですよニーチェもお父さんが亡くなったのはすごく痛いと

お父さんがそれはそうだよね一家の大国ましたら一本が折れたわけだそういうことですよニーチェはその後事前でお父さんのいた 5 歳までの頃がすごく良かったなという風に言っているぐらいでございます人生のピーク 5 歳これからひねくれていく一方が気がしますねそうそうそう

ニーチはねお母さんともう一人妹がいるんですけど妹の話はゆる哲学ラジオで初めの方に結構したのでちょっとそれをご覧いただければなと思うんですけどざっくり言うとろくでもない妹ですよねそうですろくでもない妹がいたんですよニーチはお母さんと妹のことがとにかくあんま好きじゃなかったんだそうなんだお母さんとも会わなかったんだ妹はね見たら分かると思うんですけど会わないと思うんですけどお母さんもかお母さんもカント会ではさ

お母さんが関東を結構連れて行ってでそこで古典学の教授とかに見染められてみたいなあったね先生と知り合ってそうそうそうあったねニーチェはなんかお母さんいろいろやれみたいなのがすごい嫌だったらしくてうん

この辺記述してるのは私の深淵な思想を理解できない愚かな人として私はまず母と妹を思い浮かべるみたいなすごいバカ使えてるねそういうことを言ってるんですよへーそうなんだよっぽど嫌な思い出よっぽどねなんか嫌だったんでしょうね

浅はからに浅はかであるグマイであるみたいなことを言ったりとかしてるんですよ父親がいないながらも親戚からある程度の援助とかをもらったりとかしてニーチェと妹のエリーザベトという人のね 2 人揃ってスクスクと

育っていくことができますちょっと補足情報を付け加えますと彼の名前フリードリヒニーチェというんですけども時の君主王様ですねフリードリヒビルヘルム 4 世という人がいてその人と同じ誕生日だったらしいんですよ 10 月 15 日お父さんはフリードリヒビルヘルムニーチェっていう名前を付けたらしいんですね

ニーチェはその後自分でミルヘルムいらんなーつってフリードリヒニーチェになんか改名したらしいんですけどこれねニーチェの面白いのは 10 月 15 日に生まれてよかったなーっていう風に思ってるらしいんですよそのね理由がすごい共感できるというか

我々と同じだなと思って何が嬉しいんだい?王様と同じ誕生日だったので祝日だったっていうあら可愛い可愛いですねみんなにお祝いしてもらうみたいな祝日だとしやすかったパーティーとかしやすかったんじゃないですかどこかもあるかもしれないねみんな集まって来やすいみたいなねだから良かったってニーチャーは言ってるちょっと人間味があるというかそうだねお母さんと妹は朝墓だけど

誕生日祝日なのはよかった嬉しいみたいな可愛いねもう一つ足すとカントが通っていた王立フリードリヒ学院というのがあるんですがこれは初代プロイセン皇帝のフリードリヒ一世にちなんでいるのでニーチェの名前になったこの王様とは 5 世代ぐらい遠い関係なんですけど一応親族

ではありますこんなニーチェが人生を過ごしていきましてですね 1900 年 20 世紀に入る直前の年に 55 歳でその生涯に幕を閉じます彼のですね決して長生きとは言えない生涯というのは常に様々な種類の病気に悩まされていました次にですねその病気について喋っていきます

先ほどニーチェのお父さんが金眼になったよっていう話をしたんですけどニーチェ自身もだいぶ目が悪かったらしくて絵を描くとか嫌いだし運動とか苦手だしみたいな割と学生の頃から眼鏡をかけていました若い頃のニーチェの写真とか見るとメンデルってわかります?遺伝の実験をやったメンデル彼にそっくりですついでに言うとニーチェってかなり写真撮られ好き

何かにつけて写真撮ってみたいなちょっと陽気なとこもあったねいろんなとこでいろんなポーズして写真撮られたかったらしいあらら可愛いじゃないですか祝日大好きだしそうね可愛いですよね子供っぽいよねニーチェの顔

で割と女性的な顔立ちみたいな感じに評価されることが多くて結構周りの女性とかからニーチェさんはあんなに繊細な顔つきなのになんであんな不恰好な髭を生やしてるんだろうみたいな感じに言われてたらしい今でいう中性的なそうそうベビーフェイスみたいな

感じだったんだけどヒゲをもじゃっと生やしてそれももしかしたらコンプレックスとかあったのかなあったのかもねブタゴリラみたいなのがあったかもしれないブタゴリラ?あ知らないですか?ブタゴリラキテレツ大百科のジャイアンポジションみたいなジャイアンポジションだろうなって思われる人知ってますよそうそうそうブタゴリラって友達から呼ばれてるんですけどキテレツとかから友達から呼ばれてるんだブタゴリラーっていう風に呼ばれてるんですよあれ自分からブタゴリラって言ってって言う

言ったんですよあれは本名は熊田香織って言うんですねその香織っていうのが女性のような名前で嫌だから自分からブタゴリラという風な俺ブタゴリラみたいだからさちょっと見たくなりましたねぜひぜひ見てみてくださいニーチェのこの髭もブタゴリラ的な髭だったらしいそう見られたい写真の話をしたのはニーチェは晩年に精神錯乱状態になって

喋れない状態になったりとかもするんですけど写真好きだったからまともになった時に写真撮っていっていたのかみんなが好んで撮ったのか分かんないんですけどうつろな顔をしたニーチェも写真撮られてるんですよグッタリしてソファーにもたれかかっててどこに焦点があっているのか分かんないみたいなさくらん状態の

ニーチの写真も撮られてるんで結構これは研究者にとってはありがたいまあそうだね先ほどちょっと近眼の話をしまして運動にも自信がないと

学校の体育の成績もあんまり良くない学生時代にですね兵役の訓練に一回参加したんですねその当時いい学校に行ってるといい将校になれるよりもなんか訓練とかするらしいんですけど半年もしないで 5 ヶ月だったかなとかで落馬事故で怪我しちゃいました除隊を余儀なくされました馬にもまともに乗れない乗れなかったんだねうわうわとかってなっちゃうぐらい振り回されたんだろ運動神経だったら

だったらしいですねそんなニーチェに反抗心とかやり残した悔しさ俺はもっとできるのにみたいなのがあったのか分かんないんですけど彼が 26 歳の時にプロイセンニーチェが生まれた国と隣国のフランス

の間で不服戦争というのが勃発しますこれにねわざわざ志願して従軍しに行きます俺だって一般の兵士としてやってけるんだみたいな思いがあったのかもねあったのかもしれないですよねこれ結構奇妙な選択でニーチェは割とインドア系なんですよやっぱり今までの聞いた印象だとねインドアにならざるを得ないよね友達とかからもなんでみたいな国のためにみたいなさそういうのをニーチェは

けぎらっていたのでああそうななんでそんな戦争にわざわざみたいな 国のために体を張って肉体バリバリな感じですもね逆ですよちょっと不思議なんですよ なんかまあそういう後悔みたいながあったのかわかんないんですけどちょっとあったらかもね反応がさらに言うとこの時プロイセンの国民だったらまだ 徴兵とかさ従軍の義務があった

たんだけどこの時ニーチェは仕事の都合でスイス国籍を取ろうと思ってプロイセン国籍を捨ててるのでそもそもなんで行くのみたいなわざわざしないと行く必要ないね祖国がどうとかいうのに興味ないだろうなんだかマジで分かんないんですよちょっとあったねそういう時期がそういう時期があったんですよただこの思いつきが良くなかった良くなかった

よくなかったよくなかったんですいい経験とはならんかったはい 21 の人生に大きな影響を与えることになります入隊検査と簡単な訓練をされた後に前線に派遣されました彼は早速最初任務は小病兵を鉄道で後方に輸送すること

前線から後方の病院みたいな拠点に移すことこの任務が良くなくてですねこの時ニーチェが担当することになったのはセキリとジフテリアに感染した 6 名の兵士

を鉄道で輸送するそういうことか時の看護兵として彼はやったんですけど武器で負傷したとかじゃないんだ病気になってるただこの看護をするうちにニーチェもセキリとジフテリアに同時感染同時感染してしまいまして 7 人目の症病兵として

同時に入院することに一人増えた?一人増えた 6 人送りますって言ったらあれ 7 人になってるけどっていうことをしたんだことがあったらしいです体が弱いのとかもちょっとたたったのかなはいこれで彼の不服戦争は終わりますははは

良くないねモチベがね俺だってっていうモチベだとしたらもうこれは心に深い傷を負いそうですよねこれなんと入隊するために行くぞって言って家を出てから 13 日後のことです早いまだ何もしてない戦友も何もできてないできてないですねこれで終わってしまいますこの病気の罹患によってニーチェはその後 10 年ほどにわたって常に体調不良に悩まされますしずくねー

セキリジフテリアの後遺症だったのか何か併発したのかは詳しくは分かっていませんが

しまいには仕事も継続できなくなるぐらい体調が悪くなってですね 34 歳から年金暮らしを始めますああそうなんだ早いねこの年金年間 200 万円ぐらいですまあ暮らせるかなまあそうだね暮らせます贅沢はできないね最低限のって感じだねそうですこの 36 歳という年が一番病状が悪化した年でうーん

一時は友人たちの間でニーチェは死んだらしいっていう噂が流れるぐらいたまにいますけどね同級生でもあいつ何やってんだろう死んだのかなみたいな冗談で言うことありますけどそういうやつだったそういうやつでした見なさすぎて見なさすぎるしガチで病気になったらしいという話は聞いて多分噂になってたんでしょうね 13 日で前線から戻ってきたらしい噂だけは流れたんでしょうねバカにされとるやんそれで仕事も辞めたらしいしとかってなるとニーチェ死んだんじゃねっていう噂もあった

その後少し病状が落ち着きまして都会だとちょっと息苦しかったりとかするから景色がいい気温の落ち着いた軽井沢とか立品とかそういうところそういうところを点々として夏は夏の保養地冬は冬の保養地みたいな感じで年に 2 回ぐらい保養地を点々としましてそういう生活を続けていました

なんですけども 43 歳ぐらいでですねとうとう精神にもその病魔が及んでしまいまして 55 歳で亡くなるまでの約 10 年間ぐらいは体中が麻痺して

会話すらもおぼつかなくなるというこの精神桜の中で母そして妹に看病されながら過ごしたと 55 歳の生涯って言ってるけど実質も 43、44 くらいまでそうだね哲学者としての仕事はみたいな感じかな短いね短いしかも 25、36 から 30 代までずっと病気がちで病気がちそういう大変な人生だったんですね人生でしたね

続いて恋の病なんですがニーチは生涯でおそらく一度だけ大恋愛を経験しています出会いは 1882 年体調も回復して保養地をちょっと転々としていた時期に運命の出会いを果たしますそのお相手は 17 歳年下のロシア生まれの作家そう

そー?それは何?ソ連に引っ張られた?それロジャー生まれの作家のルーザロメという人ですルーさんですねルーさん結構年下ですわね結構年下ですね当時あんまり有名じゃなかったんですよニーチェって

ニーチェの作品とかってあんまりバカ売れするとかではなかったなんですけどこのルーザロメという人はニーチェの作品をめちゃくちゃ読み込んでてめっちゃ理解しててこのニーチェとの出会いも共通の友人がいてこの共通の友人がお前のことめっちゃ知ってるやついるぞとお前のことを話したいっていう風に言ってるやつがいるけど会うって言って

そんなやついんのとかって言ってルーさんに会ってすごい聡明な女性ですねみたいなニーチェさんこんにちはと私の考えるニーチェなんですけどみたいなの言ってとうとうとニーチェさんあなたってこういうことが言いたいんでしょみたいないうことを言ったら全部合ってたらしくて朝墓じゃなかったんだニーチェはこんな

こんな解釈してくれる人いるんだみたいなここまで僕を分かってくれる人がいるのかといって一目惚れしますそうなんだ僕最初ファンに手出す若手芸人みたいだって言おうとしたんですけどまだ売れてないけど

一部チヤホヤしてくれる人がいてみたいなかと思ったけどそこまで思想的にも理解してくれる人だったらそうですよね僕のこと理解してくれてるって強く思ったんでしょうねなんかお笑い芸人といえばさロバートのめっちゃファンだった人がさあれ出待ち少年みたいなメモ少年メモ少年いるねメーテレに入ってロバートの番組を作るまでになったっていういますねいらっしゃいますね多分そんな感じそういうタイプかドハマリみたいな

子供の頃からロバートさんの意味のわからないめっちゃメモってるねやばい青年がいたけどメモ少年がいた彼はめちゃめちゃロバートのこと理解してるでしょそうだったんですルーっていう人いいですねニーチェも自分のことをこんなにしてくれて嬉しいルーザロメもニーチェのすごい共感している大好きなんだからね作品がね二人は急接近するかに見えたんですけれども

あらはいここに恋がたきが現れますそれがニーチェにルーを紹介した共通の友達なんだよそいつなおパウルレイと言いますどういうつもりで紹介したんだよどういうつもりで紹介したんだよって思うじゃんこいつニーチェのことめっちゃ好きだから俺ニーチェに

合わせられるよみたいなあーまあありそうねありそうねそう俺芸能人の知り合いでそうそう一緒に飲み会じゃあセッティングするよみたいなそんな感じそんな感じですあーいるわニーチェに間を取り持ってもらいたかったんだけどニーチェが思いのほかルーに続婚になってしまったという関係だったんですあールーホードそういう意味でも思いがけなかったなその友達からしてもねあれめっちゃ続婚やんけそうこんなはずじゃん

そんな感じでお互いニーチェはレイをレイはニーチェをどうやって出し抜いてその恋愛バトルがそう始まったのかそうなんか俺ちょっとその日行けないからとかって言って先回りしてははは

よーと思ったらお互い先回りしてて 3 人で鉢合わせちゃったとかかわいいエピソードだねそうなんだみたいなあらかわいいねっていうこともあったらしい真剣だね本人たちはねニーチェは出会って 3 週間後にルーに結婚を申し込みますそれもね先手必勝ってことかねやべえとスイスのルツェルンっていう町の公園にある綺麗なライオンのリリーフがあって

ってですね死にかけのライオンみたいなレリーフがあって戦争の慰霊碑みたいなのがあったんですけどそのレリーフの前までルーを呼び寄せて告白します結婚してください今のところいいですかね出会いからもすごいあっちも来てくれてね NO!

なんでですか?断られてしまいますなんでですか?僕の作品のことあんまり理解してくれたじゃないですかニーチになってるニーチになってる僕は恋愛に弱い男性の味方ですからちなみにパウルレイもすでにプロポーズしてたんですそうなんだこれもノーだったとじゃあその情報キャッチしてたのかなあいつダメだ

俺のために断ったみたいなかもしれないもういけるやろと思ったら思うよねダメですなんでだなんでかと言いますとなんかルーはどっちも選べなかったですね優しい優しい嘘ですねニーチェもいいし優しい嘘って思うじゃない思いますよこの後 3 人で共同生活しませんかって言うんですよそれは良くないよ惑わせるねその女もね良くない女だね

男を惑わせるルーザロメに良くない女って言ったのお前が多分初めてだと思うよくないわねちょっと惑わす魔性の女ですねただニーチェはねやっぱり恋愛の経験があんまなかったんでしょうねやったーって思ってえーー

舞い上がりまして近くに霊もいました呼んでなぜか近くにいました仲いいのか悪いのかよくわかんないね 3 人組でニーチはもう浮き足になっちゃってるからそうだね大好きな人とまあまあ同棲という意味では一緒だからね同じ屋根の一つ下で住めるのはまあまあ舞い上がるのはわかる記念写真撮ろうぜって

洋気だね写真好きだね写真好き残ってんの残ってます結構有名な写真なんですけど面白いねこれも振られたけど同棲できるぜきにそうです絶対これ

絶対この後良くない方向に行くじゃんね。それはそうです。100%。これ写真もちゃんとした写真じゃなくて、悪ノリみたいなコスプレ写真みたいな感じになってて、ザローメをですね、荷車の上に乗せて、手綱とムチを握らせてですね、御舎みたいな感じにする。で、ニーチェとレイの腕に手綱が結ばれててですね、で馬役になってるポーズを撮ってるみたいな。舞い上がった。

ルーもなんかムチこうやって振りかざしちゃったりしてノリノリでノリノリでという写真がありますどうせあなた良い男ができるまで保険として取っておくことしか思ってないんだからどうせ

解像度高いねどうせそうだよそんなもんだよちなみにパウルレイという人は兄ちゃんの逆でめちゃくちゃ写真が嫌いであらよく乗ったねその写真にすげー引っ張ったんだ多分撮ろう撮ろうとかやらせやらせってそうで渋々撮ったんだけどこの写真を見るとまんざらでもなさそうな表情で写ってる

ニコみたいな感じで写ってて大好きな人もいるしねでこの写真がパウルレイをちゃんとした姿で捉えた唯一の写真として残っていますパウルレイはいろいろ頑張った有名になろうと思って頑張ったんだけれども結局地方の医者みたいな感じになってなんか詩人とか哲学者になりたかったんだけどあんまり泣かず飛ばずでそういう方面ではちょっと

でなんかお兄ちゃんのツテを頼って地方で医者になってでそれもなんか無料で診療してたんですって無料診療所みたいなのをやってて生活が立ち行かなくなってその後崖から飛び降り自殺をしてしまうという方なのでニーチェの恋がたきとしてしか今歴史に名は残してませんその方の唯一の写真が浮かれたコスプレ写真

っていう風になっております一生の不覚でしょうねはい多分最後の走馬灯で出てきた時にあの写真撮んなきゃよかった馬役になってたみたいなそれが最後の多分思いでしょうねちなみにルーはですねこの後レイと接近しまして 3 人で共同生活は結局提案したんだけど 1 回も実現しないままニーチェを置いてですねレイとルーで別のところに行ってしまってその場しのぎかよ

マジかよただその移動したところでですねオラオラ系のドイツ人のですねイラン学者イラン学者ペルシャ語とかを研究してた人がルーにねちょっと一目惚れしましておいルー俺と結婚しろみたいな言ったらちょっと霊もたじたじになっちゃって結局ルーはその人と結婚するんですよそういうのに弱いんだからもう本当にね結局

オリエンタルな感じでオラオラ系のねちょっとインテリっぽいんでしょうねインテリっぽいオラオラ系ってやっぱり KO ボーイみたいな感じだよね上流階級出身でね僕らみたいな貧しい地方から出てきた奴らとかがうわすごいなこの人たちすごいなと思ったらそういう奴らが大体可愛い子たちを取ってお前のコンプレックスじゃねえか全部 KO ボーイに取られたみたいな感じですよね憎し KO ボーイっていうね結局この人と結婚してしまうという風になっております KO 技術大生は強いからね恋愛主張においてね

僕的にはこのニーチェがライオンの像の前でプロポーズをしてその後浮かれて不頂天で写真を撮ったこの日がニーチェにとっては人生で一番幸せな時だった瞬間だったんじゃないかなと人生のね浮き沈みグラフやると 5 歳とこの時点で M 字なんでしょうねはいと思いますそう思う理由ちょっと実は 2 つあって 43 歳の時に鳥の

イタリアのトリノですねここで発狂したらしいんですよトリノでは発狂したの?うわーみたいな感じになったでしょうねそれのきっかけがですね馬車屋の前で馬が鞭を打たれてるのを見て涙を流し馬の首にしがみついておいおい泣いてそのまま混沌してしまったという逸話が伝わっていますなんか投影したのかなと僕は思うんですよ

確かに

ザローメンに鞭打たれる自分を多分思い出して泣いたんじゃないかなと思っておりますし悲しいなその後ですね精神病院にニーチェが送られるんですその病院の中でニーチェはずっとね近眼で絵が苦手だったんですよ言ってたねけどその時人生で唯一絵を描いてるんです何の絵を描いたかというとライオンのレリーフの絵を描いてたんです

悲しいな精神が錯乱してもう自分が何なのか分かんない何者なのか分かんないみたいな時にあの日の記憶だけが兄ちゃんの支えになってたんじゃないかと思います支えでもありいろいろ後悔とかもあったんでしょうねと思いますあの時ルーが結婚をイエスと言っていれば兄ちゃんの人生はまた変わっていたかもしれませんルーメン

3 人で住もうって適当言いやがってその場しのぎじゃねえかよこれが絵ですねこれがライオンでこれが実物ですね弱々しいライオンがそうだねもう倒れてるねスイスの旗を持ってるんですけど精神病院の中で抱えられた絵ということでございます悲しいなぁ

3 つ目の病は中二病でございますなんか言ってたね冒頭でこれは僕のふざけたカテゴリー分けなのでゆる鉄流と思って許してほしいんですけどゆる鉄がクラシアですかねここでは一応中二病いろいろな症状があると伺っております聞きますね私も経験ありますけど中二病ここではですねすごい偉人と自分を同一視する

あとは何かにつけてカッコつけたことを言うとかそういう行為を指しております大体そんな感じですね例えばですね晩年にこんな手紙をですねマナ弟子のペーターガストという人に出しています今からちょっと読み上げますね我が学生ピエトロへ私のために新しい歌を歌え

世界は浄化され全天空が喜んでいるのだから十字架にかけられたものよこれニーチェが発狂した後に書かれたらしいんですけどこれを読んだマナ弟子のペーターガストは発狂に気づかずに返事をしたためています何言ってられちゃった先生のいつも通りだとか普段からそんな感じだったのかニーチェが発狂したという知らせを受けた知人とか友人の反応はやはり

またまだ狂ってなかったのかとかっていう反応が主だったらしいですね完全にポエムですねその時期に書くそしてですねかつての同僚にもこういうのを送っておりますブルクハルトというですね仕事の同僚ですけども私が世界を想像するという退屈を多めに見てきたのは一つの小さな冗談でしたところであなたは

君は私たちの偉大にして最大の教師ですというのも私はアリアドネと一緒に全ての事物の黄金の均衡を示していれば十分なのでありみたいな手紙を書いてたらしいんですねはい

これにブルクハルトという人はこいつおかしくなったなと思ってもう一人の友達のオーバーベックという人にねこいつこんな手紙送ってきたんだけどどう思うって言ったらオーバーベックはそんなかなみたいなまあ大丈夫じゃねって思ってたんですけど翌日そのオーバーベックの元にもニーチェから手紙が来まして僕はちょうど反ユダヤ主義者どもを射殺させようとしているところだディオニュソスっていう

という手紙を見てオーバーベッグはやばいこれと思ってやばいねトリノに直行したらしいですあらやばいわねマナ弟子はいつもの先生だなとただ同僚からしたらこいつやばいなみたいな感じでもう一回そのさドイツ語で書かれたのかなこれはドイツ語の文章とかわかんないですけどあなたと君を言い換えるとこと

とかなんかさ g と do かな日本語でも なんか中二病ポイムとかで使われそうなテクニックだなと思って 笑っちゃったんですけど何時はみたいなそうあえて 2 回使うとかね何時はあなたは 言い換えるところまで残すとかテクニックを見せびらかされて ちょっと笑っちゃいましたけどそれでございますちょっとわけわかん なんですねまあちょっと様々な文言が並ん ではいるんですけどここで注目してほしいのはアリアドネとか ディオニュソス

とかってこれギリシャ神話の登場人物なんですね反ユダヤ主義者を射殺するではない違う違うそこは注目しないギリシャ神話だなっていうところはちょっと注目してほしくてですねこれその神様

アリアドネもディオニソスも神様なんですけどただ単純に伝説上の神様と自分の話を同一視したんじゃなくてこれ他でもないギリシャ神話が引用されてるっていうのがこれニーチェの理解には欠かせないところなんですね今まで職場とか仕事の都合とかってちょっとぼやかしてたんですけどこれ何かというとスイスのバーゼル大学という大学の古典文献学の教授

でございました古典文献学ニーチは古典文献学という学問が専門でこれどういう学問かというともっぱら古代のギリシアとか古代のローマとかの時代の文献パピルスとか

石板とかそういうレベルですよねそういうのを見て読んで今までこの文章はどういう風に伝わってきたのか誰と誰の手に渡って誰が写本を生み出して写本がどうコピーされてみたいないつ手が加えられたか

どれぐらい正確なのかとか本当の文書はどれかみたいなことを研究する分野なんですけどこれにニーチェはことさら才能を発揮しますなのでギリシャ神話に明るかったというのはニーチェの専門分野だったからなんですね発狂した状態でも自然と出てくるんだね出てくるとそういう状態だったわけです

ここでニーチェの学問の話をちょっとするんですけどニーチェね私立の一律の学校に通っておりましたナウムブルクというドイツの街ナウムブルク私立第 4 小学校とかに多分通ってたんですよこの時から成績優秀大学以外はよかった今体育ダメなインドア少年の情報しかなかったので得意なことがあってよかったです成績優秀ですそこはよかった

でやがて東大随一の優秀な生徒が集まるですねプフォルタ学院というところが目に留めてスカウトを受けますすごいねフリードリースカウトそう

へー来ないかすごい野球の話一番最初にしましたけど野球のスカウトもやっぱ中学の野球とか見てそうだね高校がスカウトするだいたい京合校とかねスカウトされますからね BL 学園とかうん人立岐阜商業とかずっと古くないなんか岩道水管とか BL とかもう今存亡の危機らしいですからね秋田工業とか最近だと何愛工大名電とかうん

一両最近と言いますかそういう教合校がスカウトしに来るわけですけどギリわかるよこのプフォルタ学院は野球じゃなくて古典学の名門校すごいねそんなスカウト制度あったんだこのプフォルタ学院は 1 日の学習時間の半分以上を古典ギリシャ語とラテン語に

当てるというですね学校でございましたすごいねただ兄ちゃんも行きたかったですけどやっぱお父さんも亡くなってるし親戚からねいろいろ援助もらってでお母さんが一人で働いてて一律の学校行ってるんですよナウムブルクの私立じゃないんですよそうだねどうしようと学費とかもあるのかなそう学費も高いんですよプフォルタ学院は結構するんですよどうしようかなと思ったんですけどナウムブルク氏がですね出すよと

相当優秀だね奨学金として出しますとへーすごいはいと言ってニーチェを通わせますこのプフォルタ学院でも優秀な成績をニーチェは収めましてここに 6 年通います 14 歳から 20 歳までですで卒論を書いて卒業するんですけどメガラのテオグニスっていうギリシャ時代のですね古典期の詩人について論文を書いてですね卒業しまして

ボン大学に通い始めますボン大学に通い始めた当初は母親に気を使って最初はね進学うんうんうんうん聖書とかの学部をまあ専攻するんですけど途中やっぱ自分がやりたかった古典の文献学をやりたいと思ってそっちに専攻変えますそしたらライプツヒ大学というですね違う大学に古典文献学の優しい先生がいるって思ってボン大学を 1 年で辞めてライプツヒ大学に編入しますおー

でそこでですね古典文献学の大化はリッチュルという人に会ってですね自分こういう論文書きましたと言ってすごい卒論書きましたすごい卒論を出しますリッチュルもですねだいぶもう古典文献学の大化ですようーん

名誉教授みたいなもんの人がそれを見てびっくりして最初さ学部生から論文書きましたとかって言われて若干ちょっと舐めてたんですよリッチュルも我々のような大学生はだいたいふざけた卒論しか書いてませんからねそれで見るけどって思ってページをめくって読んでいくとどんどん吸い込まれていくこいつはすげえと思ってリッチュルは自分で雑誌を主催してたんですよ学術誌をリッチュルがいい

いいよ掲載してって認めた古典文献学の論文だけを集めた雑誌があってですねそこにニーチェの卒論を載せますすごいかっこいいこれはリッチルの長い研究生活の中でも最初にして最後そんなやつはいなかった学部生のしかもその前のプフォルタ学院で書いた論文が一流の学術誌に載ったというのはなかなかないことだったと

俺も大学入学するときはその予定だったすげえ卒論書きでって思ってたんだけどなだとしたらこれライプツリー大学で起こったやつなんで高校生の頃に書いた論文を

学術に載せないとダメなんですよ書かないしねニチェの会心劇はまだまだ続きます今のがすごいね振動からそのまま天才になったそうですゆる哲学ラジオでもね 2 回目ぐらいに扱ったんですけどディオゲネスライルティオスという哲学史をまあ

書いた人哲学者のエピソードをいっぱい集めた人略して DL ねはい DL でございますこの人の文献学的な研究をしまして画期的な成果を次々と発表しますここでですね 24 歳で

バーゼル大学から教授としてのオファーがきます 24 で教授すごいこの時はちょっと院外教授という風に言って日本でいうところの準教授なんですけどそういうオファーが来てただねこれ 24 歳ですよ学部生ですニーチェおー

大仏秘大学の学部生にバーゼル大学が教授のポストをすごいねはいそんなことあるんだねはい当時ドイツでは教授資格っていうのがあって教授資格論文っていうのを書いてそれをパスしないと教授にまずそもそもなることができなかったんです一個試験的なものがあるんだねはいミーチェはそれもやってませんだし学部生なんで

博士号すら持ってませんなんですけどライプツヒ大学はしょうがないということで無試験で 2J に全て授業します教授資格も上げますし博士号も上げますそういう状況でございますすごいね俺みたいな奴はさ俗物はさなんかうちの学校がさよその大学の学部生に教師職のポストとか脱進したらなんかバカにされそうじゃんとかいうの考えちゃうんですよやっぱ

格が下がるみたいなさだってよその大学の学部生だよそうだよあなたのところの大学の学部生はうちの教授レベルですって言うと相当勇気いらない確かにそうだねバーゼル大学としてもなんで俺らが学部生なんかに襲わなきゃいけないんだってねなるじゃないですかすごい相当だったな相当優秀でございましたそれは天才だわプラスリッチュルからの強い推薦ああ

ニーチェはすごいぞというのもありニーチェは無事教授としての仕事をですね開始しますこれが

不服戦争に従軍しようと思い立つたった 2 年前そっか 24 かはい 26 でございますはいそうですなんで言ったんだろうそうなんだ時系列そうかはいそうですこの前とかじゃないんだじゃないです一時期浪人して迷ってましたとかじゃないじゃないそんなことしないのよ振動はめちゃくちゃ天才でも全部いい感じに来て教授職もらって

2 年後は宇宙戦争に行こうと思ったそれは不思議だわなんでだろうねスイス国籍なのね謎だなぁ

今回はちょっとこれまでニーチェってこんなに病に侵されてたんだよという話をしましたまあまあ残り 2 つは恋の病と中二病でしたねまあ恋の病でかそうだったね実はニーチェはどう言ってたかというと自分こそ健康であり世界こそが病気なんだという主張をしておりましたなんでそんなことが言えるのかということはですね次回扱っていこうかなという風に

思っておりますそれだけ聞くと超多色思考のやべえ感じですけど大丈夫ですかこれがね全然違うんですよなるほどなという風に思うそうですか俺が悪いんじゃない社会がじゃないじゃないじゃないそれ多色思考じゃない多色思考じゃない実際社会が悪いからという風にね次は兄ちゃんの哲学から病気と健康についてですね迫っていきたいと思いますはいえ?

ちょっと今、ドゥルーズ語りをやれというですね 司令が外から飛んできましたのでドゥルーズ語りの時間にさせていただきたいと思います わかりました、ドゥルーズ語りですねやりましょう じゃあランダマイズしていただいていいですか? いきまーす 36 番、96 番 36、96、三郎九郎ですね お前じゃねえか 三郎して九郎した

はいいい筋だ今週のデュルーズ語りワードはモーツァルト的没入でございます結構最近ゲームやる時に没入感とか言いますねその没入とこれも振動の話ですねモーツァルトモーツァルトの曲に没入しましたじゃないですよじゃないですねモーツァルト的没入ですかとはどういう没入なのかということをコメント欄でぜひ教えてくださいはい

ラジオネームがあるという方はですね一番最初にラジオネーム書いていただいてラジオネームハンペンおもちみたいなブルーズ語りみたいなネームですね書いていただいてからモーツァルト的没入とはという説明を始めてくださいお願いしますベストアーサーは雑談会で発表したいと思いますということでね今回はニーチェの生涯について触れてきております以上にしたいと思いますありがとうございましたありがとうございました