「えっ!こんな日本人がいたのか!」
度肝を抜かれた。
「南方熊楠」に。
彼は18カ国語が書けて話せ、
子供の頃に
膨大な百科事典全てを記憶した
博覧強記の異色の独学者。
当時の日本では独学ということで
評価されなかったが、
世界はミナカタを認めていた。
当時18歳だった私は
「勉強って何や?」
「学ぶってどういうことか?」
「学校で勉強するってどういうことや?」
という疑問を抱き、
高校3年の試験のまっただ中、
わたしは試験をほっぽり出して
和歌山紀伊田辺市行きの電車に飛び乗った。
行き先は、南方熊楠記念館。
だが、
「しっ、閉まっている」
記念館は、さびれ荒れはて、閉鎖状態だった。
そんなとき…