We're sunsetting PodQuest on 2025-07-28. Thank you for your support!
Export Podcast Subscriptions
cover of episode 2025年1月1日(水)コメンテーター:宮崎哲弥

2025年1月1日(水)コメンテーター:宮崎哲弥

2024/12/31
logo of podcast 飯田浩司のOK! Cozy up! Podcast

飯田浩司のOK! Cozy up! Podcast

AI Deep Dive AI Insights AI Chapters Transcript
People
三百苅卓明
兵藤遥陽
宮崎哲弥
宮橋勝栄
藤原高峰
飯田浩二
Topics
飯田浩二:能登半岛地震一周年,地震震度达7级,铃鹿市震度6强。地震后,基础设施逐步恢复,但部分地区供水仍存在问题。铃鹿市民对未来生活充满希望,但重建之路仍然漫长。

Deep Dive

Key Insights

What is the significance of the 3D-printed houses in Suzu City?

The 3D-printed houses in Suzu City are part of the reconstruction efforts following the Noto Peninsula earthquake. These houses, developed by a startup called Serendix, are 50 square meters in size and feature a 1LDK layout with a bedroom, living room, bathroom, and toilet. They are designed to be quickly assembled, with construction taking only 48 hours, though additional work like electrical and plumbing installations extends the total time to about three months. The initiative aims to provide affordable and efficient housing solutions for the disaster-stricken area, with a target cost of around 5 million yen per unit.

Why is the second year crucial for the recovery of the Noto Peninsula?

The second year is considered crucial for the recovery of the Noto Peninsula because it marks the transition from initial emergency response to long-term reconstruction. According to local officials and residents, the speed and efficiency of rebuilding efforts in this period will determine the overall success of the recovery. Challenges such as the aging population and depopulation in the region add complexity, but innovative solutions like 3D-printed housing and community-driven initiatives are seen as key to revitalizing the area.

What challenges remain in Suzu City's infrastructure recovery?

Suzu City still faces challenges in its infrastructure recovery, particularly with its water supply. The earthquake damaged the local water purification plant, and ongoing issues like ground subsidence and pipe displacement have delayed full restoration. Additionally, heavy rainfall in September 2024 caused further setbacks, burying newly laid pipes under mudslides. As a result, some residents still rely on water tanks for their daily needs, highlighting the complexity of fully restoring essential services.

How did the secondary evacuation system work after the Noto Peninsula earthquake?

After the Noto Peninsula earthquake, a secondary evacuation system was implemented to move residents from overcrowded shelters to better-equipped facilities in areas like Kanazawa and Kaga. This system was particularly important given the aging population and harsh living conditions in the initial shelters. Komatsu City, for example, played a key role in receiving evacuees, leveraging its infrastructure and resources to provide temporary housing and support. The system was facilitated by pre-existing disaster response frameworks and collaboration between local governments.

What role did Komatsu City play in the disaster response?

Komatsu City played a significant role in the disaster response by serving as a hub for secondary evacuations. The city, which has a major airport and is a transportation hub, received evacuees from heavily affected areas like Suzu and Wajima. Komatsu's mayor, Katsuei Miyabashi, emphasized the importance of pre-existing relationships with local businesses and the Self-Defense Forces, which enabled efficient coordination of resources and support. The city also utilized a database system developed during previous disasters to manage and share information about evacuees and their needs.

Chapters
能登半島地震からの復興において、3Dプリンター住宅が注目されています。地元企業とスタートアップ企業の協働により建設された50平米のモデルハウスは、寒さ対策も万全で、迅速な建設とコスト削減の可能性を示唆しています。しかし、過疎高齢化が進む地域での住宅建設には、費用対効果や今後の展開が課題となっています。
  • 3Dプリンター住宅の建設事例
  • 迅速な建設とコスト削減の可能性
  • 過疎高齢化地域での住宅再建の課題
  • 地元企業とスタートアップ企業の協働

Shownotes Transcript

1月1日(水)ニュース ▼飯田アナ「珠洲 3Dプリンター住宅~珠洲のインフラ復興の現状」~三百苅管工三百苅卓明社長インタビュー ▼珠洲市「いろは書店」リポート~いろは書店 八木淳成さんインタビュー ▼能登半島地震から1年~MRO北陸放送 兵藤遥陽アナウンサー 電話リポート ▼報道部・藤原高峰記者 輪島市からリポート ▼小松市における“衰弱した高齢者の二次避難”の教訓~小松市の宮橋勝栄市長インタビュー See omnystudio.com/listener for privacy information.</context> <raw_text>0 日本放送ポッドキャステーション 2025年1月1日水曜日 明けましておめでとうございます。日本放送アナウンサーの飯田浩二です。私は石川県の能登半島の先端にあります珠洲市に来ております。今日の天気は曇り一時雨ということでありますが、まだ外は真っ暗です。

富山湾に面した上戸町というところの宿舎におります。目の前が海、そしてその向こう側にちらちらと対岸の光が見えています。地図を見ますと、対岸東に目を移しますと、新潟県の上越柏崎辺りということでしょうか。ひょっとすると、私の声の後ろで波が弾けるような音も聞こえているかもしれません。

1月1日、今日は能登半島地震、令和6年、能登半島地震から1年となります。最大震度7を記録いたしまして、私が立っているここ、珠洲市は震度6強を観測いたしました。

1月1日の夕方4時10分、まもなく日没を迎えるというところでお酒を飲んで、ご家族そして親戚なども集まってという方もたくさんいらっしゃったでしょう。

あれから1年が経つわけであります。今日はこの「OK! 工事アップ」、私は珠洲から、そして東京有楽町にあります日本放送のスタジオは新岩一華アナウンサーいつも通り出てもらいます。新岩さん、明けましておめでとうございます。明けましておめでとうございます。日本放送新岩一華です。こっちは結構こう、しんしんと冷えるなと

いう感じで、昨日の夜に雨だとかあるいは氷が降ったんで路面もまだ濡れているなという感じですが、東京どうですか?東京はですね、現在日本放送屋上の時計が5.4度を指していて、この時期らしい朝の冷え込みという感じがしますよね。ただ日中は気温が上がるみたいで、16度くらいまで東京はあの気温が上がるみたいです。

なるほど、そうすると例年よりはなんかちょっとあったかいお正月昼間迎えるかもしれないですね。そうなんですよね。ただ都心はね、本当に空気が乾燥しているというそんなニュースをこの金沢でも石川でも見ております。スカイツリーのね、本当にすぐ近くで住宅が何棟も焼けるような火事があったりだとか、本当に火の取り扱いにもご注意いただければと

いうふうに思うところであります。であの、1年が経ってですね、じゃあどうなってるんだと、こういうあたりを今日はこの2時間の放送の中でいろいろリポートしていければと思うんですけれども、まあその一つのキーワードとして住宅の再建と、先ほどあの上渚さんのね、番組の中で少しお話もさせていただきました。

こうした解体がもうすでに始まっていて、家々の中ではもうすでに解体が終わって更地になっていると、こういうようなところも市役所の周りだったりとか、この市の中心部でも見ることができます。そうするとその後そこにどういった新しい住宅を建てるのか。ただ

過疎が進んで高齢化も進んでいる地域であります。ここからお金をかけて果たして作るべきなのかどうなのか。でも仮設にいつまでも進むわけにいかないと。

いろんなアイディアが出ている中でですね、今回私がこの滞在をした、一泊したのはですね、ホテルのトノワというところなんですが、ここにですね、一棟を貸す3Dプリンター住宅と。

いうのがあるんです。50平米の1LDKで、そこに私運よく12月31日夜泊まることができました。今ね、まさにその部屋にいるんですけれども、あの部屋の中に入るとまずね、あの

これ今壁の音叩いて聞いていただきました。壁が30センチぐらい結構分厚い壁なんですね。3Dプリンターで作ったこの壁の材だとかっていう

というのを工場で作って、それを組み立てるという形で、この石川珠洲まで持ってきたということであります。ベッドルームとリビングルームと分かれていて、トイレもお風呂も一通り生活できるように室内ができていると。

これですね、地元のライフラインを支える総合設備業の三百苅管工さん。三百苅というのはパイプの管に工事の工と書くんですが、この三百苅管工さんが施主、発注主となっている。

セレンディクスというスタートアップの住宅会社が発注して建てたということなんですね。これどういう思いで建てたのかというあたりも含めまして、この三百苅管工の三百苅卓明社長にお話を伺いました。その模様をお聞きいただきます。

建てることになったきっかけだとかって何かあったんですか?最初はグランピング施設として10平米の小屋を考えたんですけど、震災になってそれやったら復興のために住宅のためのモデルを作ったらどうかっていう、大きくしてってことですよね?

そうです。50平米。これ今のやつはモデルハウスなんで窓とかは一種類しかなくて使い勝手の悪いところもいっぱいあるんですけど、今後真四角の形にして収納スペースだとかそういうやつをもっと考えてやるようなことは…これ1LDKになるんですかね?1LDKですね。でもこれでちゃんとお風呂とか全部揃えは揃っていてと。

寒さ対策とかその辺ってのはどうなってるんですか?それは一応気密高断熱っていうことになってるんで、そんなに冬の場合は寒さは感じませんね。これ施工っていうのは現地に3Dプリンター持ってくるわけにいかないですよね?これは群馬の工場から運んできてやったんです。パーツごとに運んでくるみたいな感じなんですか?そうですね、群馬で組み立てる

これ発注から完成までってどのくらいかかりました?48時間で立てるっていうことで、それから設備工事、電気工事、内装工事うん

とかありますんで、やっぱり3ヶ月ぐらいはかかりますよね。社長ご自身のこの三百苅管工さんそのものはもう地元で長いですもんね?そうですね、50、60年ぐらい近くかな。まだ落ち着くのはもうちょっと先って感じですか?まだですね。結局復旧してるけど仮復旧でしょ。建物なんかそれを次に本設に復旧するってなったらまたそこで時間かかるからね。

復興は2年目からが勝負かなと思うんですけどね。2年目からが勝負。これからのスピードがやっぱり重要かなと思うんですけど。ということで三百苅社長のインタビューの模様を一部お聞きいただきました。その部屋の中で今放送もやっておりますが、「春介おじさん」Xで「好み倍で早く安くできるなら復興にはうってつけかと思うけど」と

というふうにいただきました。今はまだスタートアップでコストもかかるというところもあるんですけれども、これセレンディクスさんとしては500万ぐらいで立てることができれば

すぐにでもするんじゃないかと。まあやっぱりね、あの坪あたりいくらだっていうようなことを皆さん考えるとでなぁ、大体の出来上がり前一戦前に、千万まで一つないよねというようなね、ええ、お話をこの珠洲でも大きいたりなんかもをいた します。まあその辺でですね、ええ、なかなか高架設から次のステップへと、こういうところで資金もそうだし、あるいはそこで

一応やってるかとお金も苦戦して、そして業者さんも苦戦して、土地もあってと、このやる動き出すパワーというものが大変なんだということも聞きます。これから先まさにこの2年目が勝負、ここからの勝負だというふうに飯田浩二さん、今の「2年目からが勝負」という話から少し電波の調子が悪かったみたいで話途切れてしまって

あ、ごめんなさい。「2年目からが勝負」だということで、ここからのスピードでそこになんとか建築の部分でもサポートができないかということで、特にコスト面であるとか時間の面でという部分でこういうアイディアもあるんだというところです。

やっぱりこの3Dプリンターで作るとなると寒さとか大丈夫なのかなというところを気になるところだったんですが、実際にこれ昨日の夜から入ってみてあったかくてですね、特に隙間風とかそういうのも全然感じないと。

ガスレンジと流しなんかもちゃんとあって生活ができるように全部揃っていると。将来的には四角くしたいんだというふうに社長おっしゃってましたが、今はある意味長方形の形の一部欠けているところがあって、そこがテラスのようになっている

平屋の1階建ての家と部屋という感じです。ここを毎週日曜日に内覧会も昼に行っているということであるいは一泊の宿泊体験というのもいろいろやっていると、ホテルのトノアで検索していただくといろいろ出てくるというところであります。こういうのもいろんな新しい試みであったりとか

いうところいろいろ動いている部分もやっぱりあるんだなというのを感じた次第であります。なかなか進まないじゃないかっていうふうにパッと見た感じは思うんですけれども、その裏でいろいろ動いている人がやっぱりいるんだなというふうに思いました。

今日はこの珠洲から私はお送りいたしまして、そして東京のスタジオ新岩アナウンサーと、そしてこの後6時半頃から宮崎哲弥さんもいらっしゃいます。宮崎哲弥さんにお越しいただいて今年最初のニュース解説をしていただこうと思っています。飯田さん、この後どういったレポートを予定していますか?はい、ちょっと電波が悪いですね。

今バックアップの形態に変わったかもしれませんけれども、また戻ったかな。6時45分過ぎからですね、珠洲で被災しながらも営業を続けていらっしゃいます本屋さん「いろは書店」のご主人、2代目になります八木淳成さん取材した模様をお送りいたします。八木さん、ちょっと朝早起きしてもらって出てきてもらってですね、初日の出も一緒に見られればなと。

ちょうどこのお店から海までは歩いて2、3分というところですので、その周りの様子なんかも話しながらいければなと思っております。7時10分過ぎ、「おはようニュースネットワーク」のゾーン、地元MRO北陸放送の兵藤遥陽アナウンサーとつなぎまして、この1年そして新年にかける現地の様子、様々現地に入って取材をされているということですので、その辺も伺っていこうと思っております。

7時30分頃のゾーンは、日本放送報道部、藤原高峰記者。私は珠洲ですけれども、藤原さんは輪島に入って、もう月曜日からずっと取材されているということであります。その模様をお送りいたします。そして7時40分頃、「ここだけニュース、スクープアップ」のゾーンは、

安全で環境が整った場所に避難する二次避難について。発災直後は学校の体育館であったりとか公が開設した避難所に入るということが想定されますが、そこから今回の地震の場合は

すぐに金沢であるとか、加賀地方にインフラが整って、そして被害があまり大きくなかったというところに避難をする二次避難というのがありました。その受け入れ側はどうだったのかということを、石川県南部、空港もある小松市の宮橋勝栄市長に伺いました。当時の様子や教訓についても伺っておりますので、その辺もお聞きいただきたいと思っております。

お送りしています「飯田浩二のOK! 工事アップ」。能登半島地震から1年。飯田浩二アナウンサーは能登半島地震の被災地、石川県珠洲市で取材中です。また後ほどレポートをしてもらいます。スタジオには今年最初のコメンテーターをお迎えしました。評論家の宮崎哲弥さんです。明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。去年もね

1月1日に録音だけど放送しましたよね。「ゴジラ」ゴジラゴジラ。そうですね。宮崎さんと私は去年の元日は「ゴジラ特番」ということで、日本放送とゴジラが共に70周年を迎えるコラボレーションの第1弾として、ラジオドラマとかを一緒に聞いたり、樋口真嗣監督と一緒に、樋口真嗣さんと鼎談したりね。はい、そうでしたね。その1時間10分後におよそその放送が終わった

能登半島地震が起きたということで、とても印象に残っている正月だったんですけどね。あれから1年、復興がどのくらい遂げられたのかっていうところが多分今日のテーマだと思うんだけど、昨日の多局の話だっけ?昨日の

久しぶりにね、私紅白見たんですよ。そうですか。そうそう、フルで。やっぱりずっと能登半島地震については折に触れて楽曲とかね、選曲とかに対してもあれされていてね、意識されていて

坂本冬美さんが「能登はいらんかいね」を輪島市の体育館ですかね、から中継で歌ってました。石川さゆりさんもね、能登半島をね、決して忘れたわけではないということはですね、非常に全国民的にこの問題は気にしているということを改めて確認したという、そういうことだったんです。この番組も飯田さんが

「能登半島」と言ってらっしゃいますから、ちゃんとこの問題を継続して

見守っていこうと、支援しかつ見守るということが重要だと思いますね。また後ほど飯田浩二アナウンサーつないでレポートしてもらおうと思っています。この時間はですね、朝刊をちょっとご紹介したいなと思っておりまして、各紙一面がですね、バラバラとなっています。特集記事のところも非常に多いなと思っております。ご紹介しますと

毎日新聞が特集記事「デジタルで問う真の民意」という記事になっていまして、産経新聞が選択的夫婦別姓制度の

ことについてですね、「小中学生の半数反対、自分はしない6割」という産経新聞の初の2000人調査の結果についてということになっています。これ1月1日の一面のネタがこれかいって私は思いましたけどね。なんかやっぱ保守層はこの問題が主戦場だと思ってるのかしら。

あの立憲民主党がそのね、夫婦別姓制度の導入に向けた通常国会でメインのネタにするとの一つにするって言ってるからね。石破総理も去年の末ぐらいに議論の頻度を高めていくというようなことをね、おっしゃっていたりっていうのもあって。でもあんまり反対するところってないんじゃないですかね。自民党の右派くらいじゃないかな。

これが産経新聞の一面ということになっています。朝日新聞は「能登半島地震から今日で1年」。読売新聞一面ですね、「台湾有事想定か政府警戒 中国、台湾海峡で封鎖演習」という一面になっているんですね。中国海軍と海警局が去年の12月に沖縄本島と宮古島間の台湾海峡などで海上封鎖と似た活動を行ったと

他、重武装をした海警船団を沖縄県尖閣諸島周辺に派遣していたことが分かったという。これは非常に気になる。ひょっとすると今年の

外交安全保障の案件としては最大の案件になるのかもしれないですね。宮崎さんの今朝この朝刊の中で気になった記事というのは何かありますか?別姓についてはあきれたというか、そうですかっていう感じなんだけど、別姓はきちんともう一回最初に考えて

議論してほしいと思いますね。特に別姓そのものというよりは子どもの性をどうするのかということが非常に鍵になってくると思うんで、私はね、15歳まで暫定の性にして、子どもの性、15歳からなったら自分で決めさせる

というのがいいと思ってます。つまりお父さんの性、お父さん系の性にするのも、お母さん系の性にするのもいいし、もう自分で新しい性を作っても構わない。15歳から選ぶ。そういうのが一番いいと思う

ですけどね。そういうふうになるかどうか、この先議論がどうなっていくかというところですよね。そんな中の記事ではいかがでしょうか?宮崎さん、朝日新聞の私が気になったのは、とにかく朝日新聞のですね、南直哉氏が、高野山真言宗の僧侶、南直哉さんという総統州の僧侶がいらっしゃるんですが、この人が「争い止まぬ世界」という

テーマでですね、語っていらっしゃるというのがすごくこう、正月らしい大きなテーマを語るという点でいいなと思いました。見出しのところで「争い止まぬ世界 他者と事故を許す倫理」と書かれてますね。基本的には演技説を、仏教の演技説というのを中心にしながら、現在の問題を

解決の鍵というのは演技という考え方、世俗の演技として捉えるという考え方にあるというような話をされているんですけれども、現実問題としてはSNSがね、SNSのいいとこいっぱいあるんですよ。私はいいと思うんだけど、いわゆるオールドメディアとSNSっていうのの構想みたいになっていて

しかもSNSにはオールドメディアも嘘とか誤りを伝えることはあるけれども、SNSもまたフェイクニュースのようなものを伝えてしまう。どういうふうにこれを制御していって、こんなに政治的な力を持ってしまったSNSに対して私たちはどのように向き合っていくかというのはとても重要な問題です。

と同時にね、今年はね、やっぱりね、私はね、メディアがね、問われる時代になって、いろんな意味でね、メディアが問われますと思いますよ。もう新年早々からお聞きの配信プログラムは日本放送「飯田浩二のOK! 工事アップ」の再編集版です。

放送中であれば追っかけ再生も可能ですし、放送後でも好きな時間に番組のコンテンツを自分で選んで聞くことができます。

毎朝6時の生放送では登場するコメンテーターの最近の活動はもちろん、たっぷりとニュース解説をお送りしています。レギュラーコメンテーターに加えて専門家と随時つないで掘り下げてお届けしています。また株と為替の最新情報もお送りしています。

日本放送のエリア内でお聞きの皆さん、radikoのタイムフリーでチェックしてください。番組公式Xではこれから登場するコメンテーターや取り上げるニュースなど最新情報を発信しています。ぜひフォローして番組に参加してください。

日本と世界の今がわかる朝のニュース番組。今日は「飯田浩二のOK! 工事アップ」の「能登半島地震から1年」と題してお送りしています。今朝のコメンテーターは評論家の宮崎哲弥さんです。引き続きよろしくお願いします。それではここで石川県珠洲市で取材をしている飯田浩二アナウンサーをまた呼んでみたいと思います。飯田さん。はい、宮崎さん、明けましておめでとうございます。おめでとうございます。飯田でございます。今年もよろしくお願いします。

こちらこそ今年もよろしくお願いいたします。すみません、あの挨拶ができずに…今日は私能登半島におりまして、大切な取材で

あれからもう1年が経つんだというところで、「OK! 工事アップ」の放送が終わった後、8時40分頃の新幹線に飛び乗りましてお昼過ぎに金沢に着いて、レンタカーを借りてやってきたという感じであります。途中は能登里山海道という自動車専用道が

1月に地震があって相当な被害を受けてですね、全通までずいぶん時間かかったんですが、それでも半年ぐらいで上下線ほぼ全通してということで、あの当時は国道しかなくて、239号線、それがまた土砂崩れだとかなんだとかで片側で一車線で相互通行したりなんかして

すごく時間かかってですね、あの時は7時間ぐらいかけてこの珠洲までやってきたんですが、もう今は大体2時間ぐらい、2時間かからないかなぐらいでですね、ここまで来ることができると

インフラが改善されるとだいぶ違うんだなということが非常によく分かりました。これは和製英語なんだけど、いわゆるライフラインっていうじゃないですか。ああいうものはもうだいたい復興したというふうに考えていいんですかね?

そうですね。電気、ガス、水道そしてこの交通とあるんですが、その中でいうと唯一まだ…っていうのが水道の一部。ここがね、使っていた浄水場がやられてしまって、それを直すのに時間がかかったりだとか、あとパイプなんかも地面が液状化したり沈降したりすると水の流れって変わっちゃうじゃないですか。

这还得再重新检查一遍,而且恰好在河桥入口处,9月21日又下了暴雨,好不容易铺设好的管道又被泥土掩埋了,不得不再次挖掘重新施工。至今仍有一些人不得不依靠水桶运水。

听说也有这种情况,想想真是不容易啊。昨天我来到铃木市区进行实地采访,在头发被剪掉后,时间跨越了2024年到2025年。

大约在午夜0点前后,我去采访了来参拜的人们。从铃木市政府附近开车大约20分钟就能到达铃木,或者说是能登半岛整体的本尊——铃木神社。

神社位于地名上叫做三崎町寺家的地方。我去了那里。午夜时分,大街上几乎没有车流,但在这种情况下,前往神社的车辆逐渐聚集,车灯在夜间连成一线,就像电影《梦幻之地》的结尾场景一样。

那种感觉,三三两两地聚集在一起,让人感受到人们的气息。神社里燃起了篝火,用三道灯光照亮,迎接新年参拜的人们已经做好了准备。

在那里,我采访了一些来参拜的人,让我们先听听他们的声音吧。

您祈祷了什么?家人的健康。2024年过得怎么样?很艰难。是啊,相当平静了。那现在怎么样呢?平静了。因为待在家里。您是铃木市内来的吗?就在附近。

您许了什么愿?希望今年也是美好的一年。父亲今天如果可以的话想盖房子。您希望2025年成为怎样的一年?年纪大了,只要健康就好。即使是假设,做了两年,也不知道会怎样。

您刚才祈祷了什么?希望身体健康。回顾这一年感觉如何?还不错,不算太糟糕。解体工作也才刚刚开始。作为解体工人,实际工作情况如何?这和看到的数字不一样。电视上公布的数字可能还不错,但之后呢?嗯……

您觉得2025年会是怎样的一年?先做自己能做的事,其他的顺其自然就好。

您祈祷了什么?希望我平安无事。太糟糕了。哪里最艰难?地震,到处逃难,还有二次避难。您逃到哪里去了?金泽。现在回到铃木了吗?回去了。什么时候回来的?

水灾平息之后?是的,临时住所。您祈祷了什么?希望今年一年平安度过,不再发生大地震。这一年过得怎么样?

得到了很多人的帮助,现在每周都有志愿者来,生活得很开心。想重建家园吗?不知道呢,再过一段时间再考虑吧。

听到了各种各样的声音,关于公费解体部分,也有人说“还在进行中”。但很多人都在为如何重建家园而苦恼。不过,

让人安心,或者说是让人高兴的是,有人说“每天都过得很开心”。听到这句话,我感到很安心。

是啊,未来只能向前看。很多人这么说,这让我感受到了能登半岛铃木人民的坚韧。去年1月6日,我在铃木进行了采访。当时,

“いろは书店”的老板八木淳成先生非常乐观地谈论着重建书店,说“这个城市很快就会好起来”。这家书店位于市政府附近的饭田町,我再次见到了八木先生,在大晦日的繁忙中,他抽出时间接受了我的采访,让我们一起来听听吧。

回顾这一年感觉如何?一年过得真快,转眼间就过去了。

想起地震的时候,是下午4点多。八木先生当时在哪里?我在二楼,在建筑物的二楼休息。早上11点之前,我在神社帮忙,彻夜未眠,帮忙迎接新年参拜的人们,然后回家吃饭,就睡着了。您的家人呢?他们还在营业。

1月1日就开始营业了?是的。您当时在睡觉吗?我第一次醒来的时候没意识到。

第二次醒来的时候,是地震。是地震让我醒来的吗?还是警报?手机响了,地震警报。它一直响个不停,一直在摇晃,所以肯定是地震。还好您的家人平安无事。只有您父亲所在的地方没有倒塌,全家人都去了那里。

没有受伤。从那里去了避难所。是啊,避难所很棒。这么说的话,会被剪掉的。不过这是事实,避难所很棒。

成员们都很棒。太棒了。就像参加了同学会一样。是啊,太棒了。大部分都是同一个地区的人,也有一些新年参拜的人,但大部分都是商店街的人,町内会的人们聚集在一起。

成员们都很棒,很快乐。大家都有店铺被毁坏之类的经历。是啊,是啊。当时大家都在笑。1月6日,我第一次采访八木先生的时候,他充满活力地说“这个城市将会焕然一新,我对此感到兴奋”。我当时很震惊,也这么认为。

附近的“上皇寺”也说要修复。他们的能量真是太惊人了。当时还没有临时店铺。但他非常乐观,说一定会再开一家店,一定会重新开始营业。

我父亲也是这样。1月2日早上,他已经在画新店的图纸了。是啊。在避难所里,我说“休息一下吧”,但他已经开始设计了。

所以1月底就开始施工了,3月底就营业了。3月21日开始销售教科书,迎接新学期的开始。是啊,学生们来买书。他很有自信,而且之后还下了暴雨。

是啊,很多学校都被冲毁了……

客观来看,县里的临时店铺也受到了很大的破坏,然后进行解体重建,同时自己住在临时住所里,之前是在避难所。成员们很好。

是啊,现在大家互相帮助。太棒了。一起经历过的人,有开餐馆的,他们在电力恢复的同时就回到了家兼店铺,重新开始营业。看到餐馆这样,很有动力。不,不仅仅是动力,而是感到非常震撼,他们的能量真是太惊人了。

您知道县外的职员会来支援吗?铃木市政府也有。做得很好,令人钦佩的是,他们会戴着写有来自哪个地方的号码牌。

这成了聊天的契机。“我的亲戚在那里。”“是啊,是啊。”“我儿子在那里。”“是啊,是啊,来自浜松。”然后有人开玩笑说“带点鳗鱼来吧”。

这种对话很有趣。大家在店铺前烧烤吗?因为吃饭的地方人很多,所以解体工人和相关职员会使用餐馆,导致当地人没地方吃饭,所以当地人就自己烤烤肉,或者烧烤吃。这比地震前要频繁得多。

然后,县外的支援职员路过,就一起喝酒,第二天去市政府办理手续时,发现那个职员是负责人。“啊,昨天见过面呢。”真有趣。

就是这样,吸引着各种各样的人。这是1月6日以来一直没有改变的八木淳成先生的采访内容。我现在是在“いろは书店”的临时店铺里进行采访的,八木淳成先生就在我旁边。新年快乐!新年快乐!恭喜!

怎么样,听到自己的声音从收音机里传出来?是的,感觉很好。是的,很好。是啊,真的很好。昨天的采访中,您也说了很多积极的话。那么,2025年伊始,您希望这一年成为怎样的一年呢?我们的店……

上次被毁了,现在在临时店铺营业,但今年会重建新店。

是的,1月6日的时候,一楼的店铺部分都被完全摧毁了,现在通过公费解体清理了场地,将在那里建造新的店铺。夏天就能建好了,真令人期待。

现在的临时店铺,是原来店铺所在的地方,原来是出租车公司的车库,改建成了现在的模样。怎么样呢?是的,怎么说呢,很多人说比之前的店铺更好,所以心里有点复杂。

事实上,夏天新店建好后,书店的功能会转移到那里,但我们会把这个临时店铺改造成一个大家聚集的场所,让大家再次享受乐趣。

从书店开始,不断扩展。您目标是什么?目标是什么呢?大概就是不断挑战各种各样的事情,但根本还是书店。是的,根本是书店。从出生开始,我看到的景象就是书店。

从懂事起,就是书店。一直都是书店吧。被书包围着。是啊,通过各种各样的方式接触文字。

是啊,传承各种文化。是的,是的,是的。每个时代都有不同的东西,通过文字,可以感受到书出版的时代,这是一个非常宝贵的环境,感谢父母。宫崎先生,

宫崎哲弥先生,初次见面,请多关照。这次采访中,有两点给我留下了深刻的印象:在避难所里建立了新的关系,以地震为契机,建立了新的关系,很多事情都成为可能,这非常好。

复兴不仅仅是恢复原状,而是要更积极地改进,才能成功。听了八木先生的话,我感受到了这种积极的复兴气息。真的非常感谢。谢谢您。

真的没想到会有这样的人。是啊。八木先生,您希望5年后、10年后铃木变成什么样?

怎么说呢,昨天也谈到了,对从县外来支援的职员们说“干脆搬来住吧”,还问他们“是单身吗”,那些人说“想再回来”,或者说“通过这次地震,了解了珠洲市,想再来看看”。我也很喜欢书店,如果有了新的主题,我想去看看。

好的,就这样,第一天就结束了。

现在,我从“いろは书店”出来了,大概是7点的防灾广播,7点的钟声,音乐回荡在城市中。

这里是铃木市政府附近的饭田町中央商店街,“いろは书店”的临时店铺前。再次向大家问好,1月1日星期三,新年快乐!我是日本放送的播音员饭田浩二。新年快乐!我是日本放送的新谷アナウンサー。新年快乐!我是宫崎哲弥。

请多关照。我从石川县能登半岛的铃木市向大家报道,在有乐町演播室的是新谷アナウンサー和宫崎哲弥先生。去年1月,下午4点10分,

铃木发生了地震,震度达到6强。这条商店街可以直接看到大海,变得明亮多了。东京现在是6点50分左右,51分,日出已经升起。

那边也亮了吗?是的,有乐町也亮了,节目X上可以看到“看到了日出”之类的帖子。

铃木今天是阴天,但日出前下了一点雨,现在雨停了,路面有点湿润。

之前被漆黑的黑暗笼罩着,所以看不清,但现在海和天空清晰可见,在水平线的那一边,可以看到富山,新潟上越或柏崎的灯光。

震度达到6强,商店街的店铺,或者说店铺兼住宅都受到了破坏。当然,这里有很多古老的建筑,传统的建筑,这么大的地震,必然会造成很大的破坏。

这么说吧,那些半毁的房屋,或者是一楼被压垮的,那是在去年1月6日,我和八木先生正巧在商店街,当时,店铺兼住宅倒塌在道路上,完全堵住了道路,根本无法通行,对吧?就是现在我们走的地方,当时根本走不了。

那个信号灯,饭田今町,就是从市政府步行两三分钟的地方,现在过了信号灯的地方,这里也是一样,通往大海的道路完全被堵住了,没有人能通行,周围也很多电线杆倾斜,或者从中间断裂倒塌。

电线也很多垂下来,走过去也很危险,当时真的很可怕,现在想想,已经清理得非常干净了,感觉很舒适。

所以,像这样的人很多,现在一看,空地变多了,是的,空地确实按照顺序,非常小心谨慎地由各位施工人员完成,空地建好后,新的商店和住宅就会开始建造。

情况如何呢?邻居们是怎么说的?即使这样,也不是放弃,而是继续努力的人更多。我们的邻居们都说绝对不会离开,他们说“我们会一直支持你”,感觉他们会一直支持我。已经决定重建的邻居已经有2家了,包括浜内的话,就有3家了。

所以,乍一看,空地变多了,从影像上看可能会觉得很凄凉,但在水面下,大家都在努力。

大家一边住在临时住所,一边努力吧?是的。八木先生,您今天也是从临时住所来的吗?是的,从临时住所来的。现在时间快到早上7点5分了。现在是凉爽的日出时间,我们来到了海边。果然。

很遗憾,现在是一片阴天。但是,每年这个时候的元旦天气都是这样吗?

啊,是什么样的呢?但是,是啊,我在神社里,平时因为工作关系,经常要通宵处理初诣的人群,所以去年地震的时候,也是回家后就睡着了。是的,是的。

现在来到了饭田港附近,到这里可以看到地面隆起或沉降,导致船只难以停靠,是的,饭田港是。

啊,天空已经开始明亮了,这是铃铛的声音。风很大,有点冷,但是一年过去了,今年是2025年,首先,我们要重建店铺。是的。

会重建的,对吧?是的,我们会全力以赴的,如果不集中精力的话,就无法完成。毕竟大家都在支持我们,是的,就这样,我们一直努力了一年,累了吗?没有,一个月。

月底的时候很累,一年过去了,真是太累了,我吓了一跳,一年来,什么事都没有发生,不是吗?感觉比我想象的还要好,多亏了大家的帮助,我们完成了许多事情,怎么说呢,松了一口气,也许也有这种感觉吧,但是全家人都累坏了。

东京的书店的朋友们通过书店的网络提供支持,在东京举办支援活动,八木先生还去那里做演讲,经历了很多人生中的第一次。

今年会比去年更忙吧?比去年更忙吗?是两边都要努力的意思吗?也能取得进展吧?

可以取得进展的,我会努力的,不管怎么说,我们都会笑着面对,这种坚强的内心,虽然有点像哭笑不得,但我。

但是,八木先生一直保持着这个节奏,对吧?是的,真的得到了很多缘分,得到了难以想象的缘分和支持,度过了这一年,所以我会更加努力。这就是八木淳成先生,いろは书店的采访,下了不少雪呢,是的。

我和八木先生就在这里告别了,非常感谢您。

17是一个直播应用程序,提供24小时365天不间断的直播,包括主播的谈话、音乐、虚拟现实、游戏等各种直播,以及使用名人的节目直播。

此外,目前17正在实时直播周一到周五的All Night Nippon Zero节目,您可以观看带有影像的节目主持人和演播室的情况,还可以观看17独家的节目后谈话。请下载应用程序并享受吧!おはようニュースネットワーク报道的新闻如下:能登半岛地震一周年。

去年元旦下午4点10分左右,石川县能登地区发生震度7级地震,石川、富山、新潟等地受灾。这次地震造成500多人死亡,其中地震后因压力等原因死亡的人数超过260人,超过了直接死亡人数。此外,灾区在9月又遭遇了暴雨灾害。

在这个时间段,我们将通过电话与位于金泽的MRO北陆放送兵藤遥阳播音员以及位于轮岛市的日本放送饭田浩二播音员连线,了解当地的状况。首先是MRO北陆放送的兵藤遥阳播音员,请多关照。请多关照。请您告诉我们元旦当天当地的状况。

是的,现在灾区的生活基础设施状况仍然很严峻。首先是道路封闭,现在县管理的道路仍然有10条线路19个地点封闭。我几天前(4天前)在灾区采访时,

现在仍然有很多地方道路无法通行,而且道路上有很多危险的地方,所以即使一年过去了,情况仍然如此。还有自来水,地震时最多约有11万户停水,9月的暴雨时最多约有5000户停水,但最近终于恢复供水了。

临时住宅怎么样呢?临时住宅和现有住宅加起来预计需要7000多户,但现在虽然有些已经建成,但也有一些住宅要到3月才能建成。

9月的暴雨中,能登市的临时住宅被淹,这些临时住宅就在河边,所以轮岛市的临时住宅等地约有500户住宅被淹,或地下室被淹。

需要进行清淤、通风、消毒等各种作业,所以居民们不得不暂时离开临时住宅,再次前往金泽或能登的避难所避难,但在上个月26日之前完成了修复工作,

在年末年初之前,终于可以再次入住。听居民们说,能够在这个环境中跨年,他们感到很安心。

兵藤先生在采访中,已经进入第二年了,您是如何看待重建所需的物品和想法的呢?这一年来,我感受到了来自许多人的支持和关怀。

今后,为了防止人们遗忘,作为第二年,我们当地电视台也必须认真报道灾区的情况,所以希望全国人民都能记住灾区,继续给予关怀。是的,是这样的。在能登半岛轮岛市,饭田浩二播音员正在进行采访。

是的,我是饭田。兵藤先生,早上好,谢谢您。请多关照。请多关照。刚才提到了临时住宅,但是从临时住宅到重建住宅,未来还有很多障碍,这方面情况如何呢?

是的,听居民们说,现在终于可以住进临时住宅了,或者原来的住宅终于通过公费拆除变成了空地,生活仍然很不稳定,

听镇上的人们说,未来完全看不到希望。这次国会终于通过了追加预算,在此之前,都是用预备费,现场的各位都付出了很多努力,但另一方面,也有人指出使用效率低下,这方面有什么可以说的吗?

是的,重建和对策工作在一些地方正在推进,但在一些地方却进展缓慢,我也亲身体会到了这一点,我认为居民们感受更深,所以持续的支持是

非常需要的。这条道路终于修复了,刚才提到的249号公路,也快修复了,结果又因为暴雨发生土石流,是的,是的,关于249号公路,

上个月27日,也就是差不多一年后,终于开通了,这是能登地区的大动脉,所以

这条53公里长的道路无法通行,给居民们带来了巨大的精神负担。所以,今天又有很多灾民回到灾区,是的。

这条路重新通行后,大家又能去新的地方了,重建,在精神方面也能轻松一些就好了。能登半岛,不仅仅是去年1月1日的地震,在此之前,

也多次发生过规模较大的地震,广播尤其是在发生灾害时,人们会依赖它作为信息来源。北陆放送在事前防灾、发生灾害时的应对等方面做了很多宣传,这方面情况如何呢?

是的,群发地震持续了三四年,所以我们当地电视台也提高了警惕,但是听当地人说,他们没想到会发生这么大的地震,能登地区在2007年也发生过

能登半岛地震,很多地方刚刚修复完毕,这次地震又给人们带来了巨大的精神打击,很多人都在担心,还能继续住在能登地区吗?很多人不得不离开灾区,

听镇上的人们说,很多人不得不离开家园,希望等他们回来的时候,大家能说“欢迎回来”,好好守护能登。虽然很多人感到不安,但大家都在思考如何建设未来的能登。嗯。

兵藤先生,只剩下大约一分钟了,在信息发布方面,现在受灾者需要什么样的信息,兵藤先生是如何进行信息发布的,以及您想向县外发布什么样的信息,最后请您告诉我们。是的,受灾者现在需要的信息是

所有信息,所有与灾害相关的资料,志愿者仍然需要,所以希望全国各电视台继续发布这些信息,还有很多志愿者,希望继续提供支持。

在这个时间段,おはようニュースネットワーク连线了MRO北陆放送兵藤遥阳播音员,我们听取了他的发言。兵藤播音员,谢谢您。谢谢您。在这个时间段,我们将请日本放送新闻部藤原高峰记者报道能登半岛地震中发生大规模火灾的轮岛市的情况。藤原先生。

您好,早上好,请多关照。我在轮岛市门前町,现在气温4度,从今天凌晨开始下冷雨,现在雨停了,天空阴沉。

这里是2021年重建700周年的总本宫总社,一年前的地震造成了很大的破坏,现在境内仍然残留着许多倒塌的建筑物,所以取消了除尘、年糕制作等新年准备活动和传统的除夕仪式,没有装饰品。嗯。

您采访了当地居民吗?从昨天晚上11点多开始,就有人来这里初诣,我采访了他们,他们说希望今年一年能过上普通的生活,今天是元旦,

祈祷不会再发生像去年那样的地震。轮岛市的情况如何呢?就我所见,重建

有些地方进展顺利,但更多的地方仍然保持着地震后的样子,例如倒塌的建筑物仍然原封不动,这样的景象在各地都有,所以重建并没有按照计划进行,这就是现状。轮岛市是。

全国闻名的是轮岛漆器,这种地方产业

重建得怎么样呢?是的,轮岛漆器工匠留在当地的人,正在慢慢地恢复轮岛漆器的生产,但是很多工匠的家人去世了,

或者搬到金泽居住,所以要让工匠们回来需要时间,所以有些轮岛漆器工房无法按计划营业,

是的,是的,工房本身也受损了,是的,是的。藤原先生也采访了临时住宅,是的,昨天,在轮岛市中心部的轮岛切子会馆多功能广场,

采访了建造的临时住宅,这是石川县最早建造的临时住宅,最初只有18户,我昨天数了一下,已经超过70户了,其中以失去家园的老人为主。

您采访了他们,情况如何呢?生活状况如何呢?大家说房间很小,这里很多人住的是独栋住宅,所以很多东西都搬不进临时住宅,

所以很不方便,搬不进去东西,是的,是的,特别是那些住6叠半房间的人,如果把自己的床放进去,就放不下其他东西了,所以有点苦恼。藤原先生在地震发生后不久也去了能登地区采访,与当时相比,情况如何呢?从藤原先生的角度来看,

正如我刚才所说,有些地方的重建进展顺利,基础设施也得到了修复,但是更多的地方重建进展缓慢,一些灾民也说希望尽快重建,

从刚才开始就一直在说,重建进展缓慢和进展顺利的地方,主要是什么原因造成的呢?

是的,即使是公费拆除,全国各地的拆除公司都来了,但是他们都没有在雪地里作业的经验,所以如果下雪的话,工作就无法按计划进行。明白了。

现在,例如在轮岛,是否正在进行关于未来城市建设的讨论呢?以市长为中心,定期与当地居民和灾民举行例会,市长和市政府工作人员会听取灾民的意见。

未来会怎么样呢?藤原先生,采访后有什么感受吗?

我认为重建还需要时间,但是首先要从自己能做的事情开始,一步一步认真地进行重建,有没有什么坚强的意志或积极的话语呢?

他们说,回忆过去是没有用的,要转换心情,积极地生活,像地震前一样生活,所以他们都非常积极,直播应用程序17,

直播的魅力在于,无论何时何地,只要有一部智能手机,任何人都可以享受它。17提供24小时365天不间断的直播,包括主播的谈话、音乐、虚拟现实、游戏等各种直播,以及使用名人的节目直播。

此外,目前17正在实时直播周一到周五的All Night Nippon Zero节目,您可以观看带有影像的节目主持人和演播室的情况,还可以观看17独家的节目后谈话。请下载应用程序并享受吧!很多,饭田浩二播音员正在轮岛市进行采访,饭田先生。

はい、再び涼しであります。先ほどまで雪が降ったりなんかもしてたんですけど、だいぶ明るくなってきて、そして雲の間からちょっと青空が見える瞬間も出てまいりました。相変わらず空気は冷たいんですけど、やっぱりこれだけ雪や雨が降るんで湿っているというね、しっとりとしているような感じ。

東京の乾燥してて肌に突き刺すようなところとはちょっとやっぱり違うっていうね空気の何か優しさのとは優しいやつ島でもというふうに言いますけどこういう風土っていうのがあるんだなというのをすごく感じるところがありますこの番組今日2時間の中でですねいろんな課題の部分も含めて進んでいないところもというのも含めてリポートを様々な人がしてくださっておりますが

この地震のですね被災者支援で一つ特徴的だったことに二次避難というものがあると思います。1月1日の夕方4時に地震が起こってそしてそこから避難所に暮らしということになるんですがやはりこの能登半島全体が

えー、過疎もあり高齢化もありというところでえー、その環境がね必ずしも長期間滞在するには適さないえー、避難所暮らしは厳しいんじゃないかというところでえー、石川県内のまあ環境の整ったホテル旅館にえー、もう一度避難してもらう二次避難というところでまあ生活環境を整えようじゃないかという取り組みがありましたただ

もうこれ被災直後からですね特管工事でやったものでその辺の受け入れ側はどうだったのかということで今回ですね石川県の南部にあります小松市の宮橋市長にお話を伺いました。小松というと古来から空港のある町でも

実は3月には北陸新幹線が伸びて金沢の次の駅が小松という駅になっていて交通の要所でもあるというところであります。私何度も行ったことがあります。本当ですか?空港にあそこに降り立ったこと何度もあります。本当、北陸地方の玄関口みたいなね

ところでもありますがこの宮橋市長二次避難の受け入れも含めてどういった状況だったのか当時の様子からお伺いしました。お聞きください。1月1日去年のその元日の地震の当日小松市の揺れ被害というのはどういったものがありましたか

震度で言うと5強でした。ただ震源から100キロぐらい離れておりますのでもちろん様々な被害はありましたけどもライフラインが途絶えるというようなことはなく比較的日常生活はそのまま行うことができたという状況だったと思います。新幹線とそして小松空港、大きな空港もあると非常に交通の要所でもあると

そうですね。

珠洲だとか輪島だとかその被害の大きなところから二次避難という形で避難者がやってくるぞというのも想定としてありましたか?そうですね。特に孤立集落が輪島市、珠洲市で非常に多くなっているということが問題されている中で石川県の方からですね当時の副知事から私の方に電話がかかってきまして、なんとか受け入れてくれないかと、丸投げですけどいいですか?って言われました。あ

なるほど。もう県としてもまずは救助だとかそっちの方に集中するわけで丸投げ状態だったんですか?はい。とにかく災害関連し、特に寒い時期ですのでなんとか孤立集落の皆さんを救わなきゃならないと。幸いに小松市には航空自衛隊の小松基地があるのでそこにとにかく送るのでなんとか避難場所を確保してほしいと

いうふうに言われて私も「丸投げ上等です」と。「丸投げ上等です」なるほど。もともとそのお住まいの自治体があってそして小松市にやってきてっていうことになると厳密な意味で市民と言えるかみたいなことにもなってきますけどその辺は今はもう整理してやってるって感じですか

小松市は令和4年8月に実は大雨の災害がありましてその時に被災者の支援のためのデータベースをシステムで構築してそれを県全体で導入することに実はもう令和5年度から県もそれを整備をしていたということがありましてそれを活用してデータを小松市で入力をするとその情報を例えば輪島市とか

珠洲の方とも共有できるということで整理をして必要な支援がちゃんと行き届くようにということを心がけていました。そうか。そうすると本席の方の自治体でもこの人はこういう状況なんだなっていうのがもう一目で共有できるようにシステムでつながってるわけですか?そうですね。

そうですね。はい。いやーでもそれって平時に構築しておかないと有事にいきなりってわけにいかないですよね。いや本当にいろんなことが平時でちゃんと準備をしていくということの重要さっていうものを身に染みて感じてます

これ一方でね発災直後からその問い合わせだけじゃなくて実際に物資もやってきたりしたんじゃないですか?プッシュ型のものについてはどんどん小松基地を通しておととの方にヘリコプターで送っているっていうのはもうヘリコプターの回数は尋常じゃないぐらいいってましたので実はコロナの時に特に高齢者のご自宅に物資を届けてたっていうのでホームセンターと協力をしてたんですよ。へー

それもコロナの時の経験があってそのつながりの中でそれが水害の時にも物資を調達させてもらって今回も調達させてもらってしかも最初注文票とか作ってたんですけどもう着いたら並んでる状態にしていただいて、温泉の中でへー

もう向こうもある程度こういうニーズがあるだろうって並べてくれてたわけですか?再建支援法だとか災害救助法で何が必要になってくるっていうのをもうホームセンターの方分かってて。さすがですね。その辺はやっぱりいやそれすごいっすね。その関係性っていうのは

担当部局と信頼関係ですよね。これはね本当ですね。だから一つ一つの経験が全部生きてきてるっていうのが今回の災害の対応だったなと思ってます。どうですか?ラジオ聞いてる方に対して今備えておくべきことであったり

ありましたらお願いします。はい。普段からの関係性の構築って何より重要だと思います。例えば今回の避難にあたってもですねペットが一緒に来たということもあって我々もペットショップに電話したりしてなんとかっていうこともあったので全くこんな災害に関係ないと思っている業種にお勤めの方もひょっとしたら何か支援をする側になるっていうことが十分あり得るなと思ってます。うーん

いろんなことが有事の際にはつながりということの大事さというものが出てくると思うので普段からの関係性構築というのをしっかりと行っていくことが大事だと思います

小松市宮橋市長のインタビューの模様をお聞きいただきました。宮橋さん今回1期目ということなんですけどもう就任すぐにコロナがあって水害があってとずっと聞きたいよって。ただそこでやっぱりいろんな経験が今回も生きたんだというねお話をされていらっしゃいました。平時に備えてるっていうのは大切なことなんだなって改めて思いますね

「丸投げ上等です」っておっしゃったっていう。予算をつけて丸投げにするのが一番いいんだよこういう時には。遠く離れた東京であったりとかでどこまで現場のことが分かるかというとやっぱりそこはもう任せるしかないって。そうですね

どっかで腹を拭くタイミングがあるんでしょうか。任せる勇気っていうのが必要なんだよね。任せる勇気。これからの復興の部分っていうのも市町村どころか一つ一つの地域によっても違うぐらいの

その辺はやはり任せる勇気っていうことになってくるんですかね。住民の方々にね。そう思います。細やかなニーズとかっていうのは先にやらなきゃいけない喫緊の課題とかっていうのは現場じゃないって。現場に近いところほどよく分かるということですよ

二次避難所のある程度の管理だとか生活必需品をお渡しするっていうところで小松市もやっていたそうなんですが結局ニーズを一個一個聞いていくというよりも並べておくんで持ってってくださいねってやると結構みんな持っててくれるんだと。結局それが一番合理的なんだよ

これやろうとするとやっぱり普通の行政の人だと余っちゃったらどうするんですか?税金無駄になっちゃいますって言うんだけど実はそれが効率的なんですよね。この辺のいろんな知見というのが各々の地域にはおそらく蓄積がされてるんですけど横串でそれを共有できるようになっていくとこの日本という国はもっともっと強靭になっていくかもしれませんね。そう思う

大勢のとおりですよ。この経験というのを、とにかく今後他の地域においても活かせるようにしないと。本当に今回も、むしろ被災地に行って学ばせてもらうような形で経験をしてまいりました。勇気をもらえるし、学ばせてもらえるし。やっぱり、なんといっても東京のスタジオにいても、想像力っていうのに限界があるんだなっていうのをすごく思った次第であります。

1月1日4時10分地震から1年を迎えるというところであります。今日は石川県主催の能登半島地震豪雨犠牲者追悼式が輪島市で開かれます。日本航空高校という能登里山空港の近くにある施設と

地震が起きた4時10分には黙祷が捧げられるということで石破茂衆議院議員そして岸田前総理も参列する予定となっております。「日本と世界の今がわかる朝のニュース番組 飯田浩二のOK! Cozy up」日本放送の放送エリア外でお聞きのあなたそして海外でお聞きのあなた今回もホットキャストYouTubeでご愛聴いただきありがとうございました

「飯田浩二のOK! Cozy up」は東京有楽町の日本放送で月曜日から金曜日朝6時から8時まで生放送でお送りしています。番組ホームページでは登場いただくコメンテーターのラインナップや放送内容の原稿化された記事など情報盛りだくさんです。また公式Xでは平日は毎日最新情報を配信しています。ぜひこちらもチェックしてみてください

飯田浩二のOK! Cozy upぜひAM、FM、radikoはもちろん日本放送のポッドキャスト、YouTubeでお楽しみください