必然的で普遍的
なんだけれども新しい知識を積み重ねるのにはアプリ寄りな総合判断というのが必要ですよねというふうにカントはたどり着いたわけですけれど前回そういう話でしたねじゃあこれどうなってんのとどういう仕組みなのとかなんでそんなことができんのみたいな疑問がいろいろあるんですけれどもありますねカントの答えを一言で言うとですね人間ってそういうことができる生き物だからね答えになっているのかなってないのか
カタスカシをちょっと食らったような気分なんですけれどもそうだねなんで人間でそんなことできるの人間でそうだからはい
分析判断っぽくないですか当たり前のことを 2 回言ったみたいな感じに聞こえちゃうんですけど実際のとこどうなんでしょうねでもねこの人間だからさみたいなのが実はものすごいことでこれね思ってるよりもすごいと思いますここからの話を聞くとそこまでみたいなっていう風になると思うんですけどカント自身も凄さみたいなのを感じていて自分のですね哲学の著書これを書きましたこれを出版しました
この諸行自らの異形ですよね業績をねこれをですね科学界のある大革命になぞらえて自分のことをこう呼びますこれはコペルニクス的展開であるとおーいうわけですつまり今まで天道説みたいなのが信じられてたことがコペルニクス的展開である
コペルニクスとかがね指導説みたいなことを言った世界観が一変したガラッともう宇宙感がかかったんですからね動いてんの俺だったんだっていうすごい驚きじゃないですかそれぐらいすごいぞというのがこのカントの結論だったんですこのコペルニクス的展開というのをカントはどういう意味でそれを言ったのかというのを今日話していきたいと思いますはい
実はですねストレートにはちょっと行けずですね行けないんですかはいここで簡単な一言ではあったはずなんですけどはいここでですね古代ギリシアまで戻ろうと思いますあーめっちゃ戻ったあれプラトン界じゃないですよね今回ねプラトン界じゃないですカント界ですカント界ですよね
2000 年以上戻るんですけど古代ギリシアとかローマとかでですね行われていた科学的なちょっと探求自然科学の探求この世界って何でできてるんだろうどうやってできてるんだろうなんでこう物事が変わったりとかさするんだろうみたいなことを研究している人たちってのがいたんですけどその中でデモクリトスという人とかあとはルクレティウスなんていう人が原子っていうものがあるんじゃないの
っていう風に言った原子論っていう考え方が出てきました世界史で勉強した気がしますちっちゃいちっちゃい粒があってこれが集まったりとか
離れたりとかして物事というのはできているものというのは生まれているんだというのが原子論ですこれ実はヨーロッパではですねその後散逸してしまってこの原子論の考え方というのは長らく忘れ去られることになってしまいます古代ギリシャとかローマであったのに中世とかの人たちというのはそれを知らなかったんですね
まあまあまあ昔だからねめちゃめちゃ昔の受け継がれなかった多分同じようなさことを言ってた人が何人もいたわけじゃんいや原子だやれ火だ水だっていっぱいいたわけだからまあどっか消えちゃうよねそのうちの人にやって考えるとそうなんですよこれどれくらい忘れ去られてたか約 1500 年ですねおー結構
こうだねはい結構忘れられ結構忘れられ てますそんな中ですねルネサンスの時代を香りかぐわしいはいみんなルネサンス いう風にながらやってたんでしょうね口カッターとかでしょねみんな樋口 カッターでやったと思うんですよ時代まあおそらくねそんな中ですねブラッチョリーニ という人があらだれブラックを買わない非常に魅力的な名前ですねピン芸人でい そうですよなんかなんかいそうでとって
ブラッチョリーニがですね珍しい文献ないかなみたいな感じで探していった 1500 年前のルクレティウスという人ですね事物の本性についてというタイトルの本をなんと 15 世紀見つけます写本だったんですけどこのルクレティウスの事物の本性についてという本の中には万物は元素の結合と運動からできていると
という説が載っていましたこの写本がですねたまたまこのブラッチョリーニが見つけたことによってヨーロッパで原子論が復活しますブラッチョリーニのちょっとふふってなっちゃったどっちをカウボーイだと思ってるだろうブラッチョリーニのことすごい大事なこと言ってるのにブラッチョリーニが頭をよぎるたびにちょっと笑っちゃいましたごめんなさいダメだよなんだこれはとこんな考えあったんだというふうに驚いて
センセーショナルに取り上げられるわけで 1500 年前だからねはいめちゃめちゃ昔にめちゃめちゃ昔ですちなみに皆さんねここねルクレティウスになってると思うんですよはい最近事物の本書についてがおー発売されましたおめでとうございますはいありがとうございます日本語で読めるようになっておりますのでぜひこのブラッチョリーニと 15 世紀のヨーロッパが沸き立ったこのね
事物の本書についてぜひお読みください元祖原始論の本が日本語で読めると日本語で読みます文庫でしかも文庫ありがたいですねありがたい本当に通勤カバーに入れてねやっていただくといいと思います本棚も軽くで済むしねどういうこと本棚とかもさ新体に住んでると床とかが変にへこんでさ現状回復とか言われないかなとか心配になるわけですよ心配になるね文庫なら薄くで済むかなと思って
しやすい?そうです。だからあの、事物の本書について別にね、5 冊買っていただいてもいいですし。えっ、そういうこと?はい。全然。あー、ごめんなさい。5 巻かと思った。あー、5 巻じゃないです。ごめんなさい。5 冊買っていただいても、全然本棚にそんなダメージはいかないかなと思いますのでね。お好きなだけお買い求めください。はい。
原子論原子説めちゃめちゃ有力じゃねみたいな原子の考えを使えばもっとこの現象はうまく説明できるかもしれないみたいな感じでですね例えばドルトンとかデカルトロックライプリッツとかありとあらゆる学者が原子論に夢中になったわけですねすごいね 1500 年前の考え方が
機運がちょっと高まってですねヨーロッパ人を接見してましたそうした科学界の流れをですねクヌッツェンからカントは受けておりましたので教育をクヌッツェンというのがねカントが大学生になった時に指導教員で言うんですかね恩師この人がイギリスの哲学に詳しかったのとあとは自然科学とか
数学とかに詳しかったからカントはすごくすげえみたいな感じになったわけです前回さ何でもかんでもヒュームの会議しちゃうみたいなこと言ってたけどカントがアプリよりの総合判断とかあとは科学とか数学とかを諦めきれなかったっていうのはやっぱり
くぬっつんから教育を受けて科学すごいなっていう風に思ったのがおそらく現体験としてねあったんじゃないかなという風に僕はちょっと思うわけですけど疑わしいよねって言ってそうだねって捨てされるほど関東にとって自然科学ってそんなもんじゃなかった
うんってことだねそういうことですこの原子論が実は関東の哲学に結構影響を及ぼしておりまして原子論って 2 つの世界がありますと 2 つの別の世界が並行して存在しますということを肯定する説なんですねえそうなのどういうことかと言いますと僕らが素朴に今感じている世界うん
皆さんがパソコンなりスマホなりでゆる哲学ラジオを聞いていただいておりますけれどもありがとうございますと周りを見渡していただくと僕は吉信が見えますしマイクとかカメラとかもあります本とかメガネとかねありますねいろいろなものがありますよねそれぞれに色がついてます
吉野は髪の毛が緑色で肌が青くてみたいな感じそういう風に見えてるんですよね見えているんですけどもあと今日僕は上海焼きそばをお昼に食べたんですけどもそうだそうだすごくいいソースの香りとかお野菜の味とか美味しそうだったねすごく楽しみましたこれがですね僕らが素朴に感じている世界の姿ですそうだねこれは感覚で確かめられるものですよね味覚とか嗅覚とか視覚とか触覚
触覚とかね触覚とかあるじゃないですかこれってじゃあ本当に存在してるのって言うとですね例えば原始の世界に色はないんですよ僕らはね吉野が白い長袖シャツを着てるなとゆる生態学ラジオの素朴な柄がちょっとしか入ってないあんまりこだわってなさそうなそんなことないですよそんなことない長袖 T シャツを着てるなと白いなとぜひ好評発売中ですよじゃあこのね
T シャツの原子レベルまで行くともう色なんてないんですよそうなんだそうなんですもしかしてあれですか酸素原子は赤で窒素原子は青だと思っているタイプの人ですか科学の教科書とかね動脈が赤くて情脈が青いと思っている人ですかまあ確かに以前ちょっと別の文脈で昔って白黒写真でしか見たことないから色がない世界だったのかなみたいな話しましたけど確かにちょっとそんなイメージあるかも
科学の教科書大体ね酸素原子青だもんねそう水とかさなんかさ赤いところに白い粒々がついてるみたいなそうだねイメージじゃないですか原子に H2 って文字が書かれてて書いてあるじゃないですかすごい丁寧にそうねそういうわけじゃないもんねそういうわけじゃないただの粒子なんでそうだね色とかもないんですよで香りもないしまあてか色もあれかそもそも僕らが企画で受けたのはただの光の波長なだけだからそうですよ彼ら自身その色というものが
あるわけじゃないあるわけじゃないその通りなんですよ科学の見識を使えばねそういうことになるんですよ原子の世界というのは色もないし香りもないしもちろん味もないですそうだね僕はこれを本当だなというふうに思った出来事があって
3 年くらい前かな草津に行ったんですよ草津って湯畑っていうんですかね大温泉街ですよねぐわーっと温泉があって源泉が流れててもうねイオウの香りがすごいんですようわイオウだーとかって思ってね草津というものももともとはね臭い水と書いて草渦とかクソ渦みたいなのから草津になったという風に言われてるぐらい昔から
匂いのする場所イオの香りってねそういう臭い匂いに近いですかねやっぱりうんうんうわーとかってその時ちょっとコロナ禍がね明けつつあった時だったんでみんなマスクしてたんですけどマスクしてても結構来るうん
けどその時思ったんですよ元素であるよね硫黄って硫黄ありますねこれを臭いと感じてるのって人間の感覚だよなみたいなそれこそ科学の教科書でね H2S はフランシューとかなんかそういうの覚えさせられた気がしますけどあれはそうですよなんか感覚を覚えさせられてますよねそうだねみんなが思う感覚を化学物質とね一緒にそうそういう風に思って
これ今すごい臭いなと思ってるけどでも今漂ってんなこれイオウっていう元素だよねよーく見たらねムースとかが飛び交ってるんでしょうね化合物かもしれないけどねまあでもイオウというものがあってそれを臭く感じるように僕らができているそうだねから他の動物とかが来たら別に臭くないかもしれないし人間が一切絶滅してしまったらここが臭いなんて思わないよなみたいな風に思って
やっぱ原始の世界に匂いがないってことを考えると草津がね臭いっていうのはこれ人間特有だなみたいなまあそうだねことを考えたんですどの生物も同じように感じてるかとかまあてかそもそも生物を生むんじゃなくて匂いは存在するのかって話色と一緒ですけどなるとただの感覚ですかねそうなんですよそこなんですよその僕らは普通に過ごしていると色もあるし香りもあるし味もあるっていう風に思うんだけどもこうやって
自分たちが感覚で勝手に付け足してしまってるだけで本当の世界の原始とかっていうのは色も香りもない味もないみたいな本当の世界は僕らとは全然違う世界僕らが思ってる世界はそれになんか勝手に付け足してしまった世界であると 2 つの世界が並行してできている
スケールをちっちゃくちっちゃくちっちゃくして見ていくと全然何にもないただの粒の集まりただの粒の集まりなんだけれどもこれを真っ黒に見ていくと色があるね味があるねみたいな感じになる感覚の世界があるように感じるね僕らが思ってるのは本当の世界じゃない本当の世界ってのはだって原始の世界だからそれを感覚で解釈した世界が
頭の中では展開されてるそういうことですこれをですねカントは現象と物自体という風に名付けて区別します物自体って何物自体というのは例えばグラス自体とか
スマホ自体とか本自体とかっていうのが物自体物そのもの訳し方によっては物自体そのものって訳されることになってさ物で始まり物で終わったね物自体そのものはやめてくれよって思ったりするんですけど原始とかの世界とかは色も感覚も感覚が到達できない世界が物自体で我々がこの
この本は重いねとかさ青い本だねみたいな感じに言えるのは僕らが感覚してる世界に過ぎないよねとそれって別にこのものとはあんまり関係ないよねと
確かに僕らがねすごい感覚が超鋭敏でねああイオン分子が 48 個並んでるとかね見えたら同じ世界かもしれないけど多分違うもんね多分違う見えてる世界違うね 2 つありますね 2 つあるんですよそこが重要でこれカントがなんで原子論の話をし始めたかっていうと人間って何を知れるんだろう
っていうところからねカントはこの原子炉をつなげるんですけど人間は別に原子の世界知れないよなと見ることはできないね見ることはできないしまあまあ計算上で記述することはできるアボガドロ定数とかさ数字として扱うことはできるけど我々が感覚してるようには原子の世界には到達できないそうだねなんか超すごい電子顕微鏡とかでさあるけどあれもそれを介して人間が分かりやすいようなビジュアルにして見てるからねそうです
そのものは見てないもんねそのものは見てないんですよただもう目というものを返してしまってる時点でそもそもねもう人間の可視光線の範囲内しか見えないわけじゃないですかそうだね可視光線という言葉もさもう見えることのできる光線の範囲内だからさしかもそれ
これも結局光線だからね原子自体ではないからね自体ではないです例えばさ蝶とかもさ蝶にしか見えない模様があったりとかさはいはいはい人間は紫外線が見えないから可視光線の外なわけですけどだから紫外なわけだけど虫たちは見えてるからそうですね見えてる世界全然違いますよねじゃあ蝶が見えてる世界が本当の世界ですかとか
それはまた違うそうじゃないし目がない生き物が感じてるコウモリが超音波で感じ取る立体感とかが本物ですかそれも違うしねじゃあどの動物が見てる世界が一番正しいんですかとかっていうとどれも正しくはなさそう何か物自体が
それに対して人間が感覚することで生まれた現象があったり蝶が感覚することで生まれた現象があったりそれぞれに現象って生まれてきますよねある意味どれも本物っちゃ本物どれも本物っちゃ本物普遍的ではないけどみたいな感じだねそうなんですよ
いいこと言うそこなんですよカントは今原子論の考え方を使って人間はどこまで知れるのかどこから先は知れないのかというところの一番大きい区分をですねやろうとしますつまり我々は現象しか知ることができません
うんうんうん物自体は知ることができませんっていう風に大きく 2 つに分けて物自体は全く知ることができませんということで 1 個捨てました見れないからと見れないからもう知らないから海外ですと我々はもう知ることできませんじゃあ現象だけは知れますよねとでもここで吉野保が言ったみたいに困ったことが起こるんですよそれが現象って
って主観じゃない主観主観というですね問題がめっちゃ主観出てくるわけですよ人間の主観超の主観はい僕の主観もあるし吉野夫の主観もあるしそうだね僕らが同じ世界を見てるとは限らないわけですよさっきあの多分ボケで僕の肌が緑色に見えるとか言ったと思うんですけどこういう会話してるとさ嘘って
そうとも限らんだという可能性もあるわけじゃないですかそうだよ全然僕が緑だと思ってるものと時野さんが緑だと思ってるものが違う可能性も全然ありますからね本当は黒髪だったとしても僕が黒のことを緑だという風に言っている可能性もありますからねそうですよね時野さんにとって青というものを黒と呼んでるだけかもしれないかもしれないそこはもう分かんないんですよ分かんないでもそれで言ったらさじゃあ人間は主観的な現象偶然な現象しかたどり着けないんですか
みたいな感じになっちゃうとですねヒュームがチラッとまた来ておいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいй位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位位
言いますこのやり方がねもうまるで公務員みたいなやり方を引き前 マッコイってけどもかよみたいなマニュアル通りこれがですねそういうルールだからですというやり方をします感動 カンプの解決方法はですね偶然性のある現象主観的な現象を受け取るんだけど感覚ではそこに何らかのまあ必然性
アプリ寄りなものですよね必然性を付与できる仕組みを人間は持っていますそういう仕組みを持ってるからアプリ寄りなんですそういうルールなんで別に異論とかじゃなくてなるほどそういうルールなんで諦めていただいて本当ですかなんでそのルールがあるのかとかじゃないあるんですねルールなんでああ
今のところまだモヤっとしますけどこれモヤっとするじゃないですか本当かいとカントはこの純粋理性批判の中でそれを証明は一応はしてますすごいどうやってるんだこういう感じだからアプリよりですよねこういうの持ってますよねみたいなことを証明はするんですけどカントに言わせてみれば最も根源的な真理というのは証明することができないというふうに言いますほう
例えば直線というのはある異なる 2 点を結ぶ最短距離であるっていうのは非科学上の行為であるんですけどまあまあそうだよねみたいなまあそうだねそれに対する証明とかもないよねみたいな
人間の知性にも公理というのがあるとそれは別にこうだから証明できますじゃないんですよとでこれ何でかというと根源というのがじゃあこれで証明できますというとその証明の根拠となるものが根源的なものそうだねまだ公理と言えないそう一個前の段階だねそうそうそうだからこれ根拠根拠っていう風にやってった一番最初のものはカントに言わせたらいやそれは証明とかじゃなくてうん
一目見ればわかるもんだからさなるほどねだから本当にあるの証明してよって言ってるのがナンセンスですよあなただって私が言ってるの合理なんですから証明できないもんじゃないですかわかんじゃんとかっていうそう言われたらそうごっしねそれが本当に合理なのだとしたらそうでしょうけどうん
どうなのかなそれで納得できるかどうかは純粋理性批判を読んでいただくしかないんですけどそうかもね分かるっしょっていうのを並べられてて確かに分かるわっていうのを繰り返していくとふうに落ちてくるのかなと思うんですはい
ちょっと脱線しますけどこれカントという人間をですね後の時代にまあ表記化した文章カントってこんな人間でしたよねみたいなそういう文章があるんですけどそれがねドイツのですね詩人でハイネという人がいるんですこのですねハイネという人がドイツ古典哲学の本質という本においてですね詩人か本当に本当にお前は詩人か詩人らしいんですよこの人がカントをですねロベスピエルと
並べてちょっと評価しているところがあるんですねフランス革命のそうですフランス革命の盾役者にしてその後の恐怖政治の独裁というかねドンでございますこのロベスピエルもまた処刑されるわけですけどギロチンにかけられるわけですがカントとロベスピエルって似てるよねっていうのをこのハイネは言うんですねどういう点でまずこの
二人の人物というのは容赦しない鋭いクソ真面目な正直さというのがあると第二にこの二人には疑い深い心が備わっていると
いると 強制時とかもそういうところから生まれたんでしょうね第 3 にこの 2 人には故障人根性が小さい商人ですねああそういうことかもう完全にあのペッパーペッパーヒューマンじゃないですペッパーヒューマンじゃない故障人なるほどはい故障人根性がですね最高度に現れているとこの 2 人は元来コーヒーや砂糖を測り売りするように生まれついていた
天秤とかでコーヒーとかね砂糖とかを測り売りするようにですねそれぐらいなんかこう 8.00 グラムですみたいなぐらいクソ真面目にあーそういうことかちょっと今日おまけするよ 5 グラムみたいな感じではないとあーそういうことか金にがめついてみるかと思ったそれぐらいケチみたいな感じかな厳しいというかなるほど細かいところが不思議な巡り合わせで他のものを測らねばならなくなった
ロベスピエールの計りの皿には国王がカントの計りの皿には神が乗せられたのであると主人だったやっぱりやっぱり主人でしたねはい主人でしたこんな風に言ってですねカントは結構公務員というか計り売りみたいなそうなんですよルールが先現実は後
まずはルールそれ言われると確かにロベスピエルとかもね理想の政治体制あるべき姿があってでも実際の人民はそのように動いてくれなくてだから綺麗にしようとルールですからって恐怖政治を行ったみたいなみんなの首を跳ねてったみたいなそういう感じなんだそういう感じなんですカントにも感じたんだそういう感じをね
ハイネが実際行ったかどうかわからないんだけれども他のハイネの文章を使ってちょっと発展的な言い方をするとフランスでは国王の首が跳ねられていた間我が国プロイセンではカントが神の首を跳ねたみたいな感じの言い方をねされることもあったりしますまあ
まあまあカントは別に神の首跳ねてないけどねみたいな感じ言われるのが結構あるんですけどそれは思想的にもってこと?カントは別に神信じてたしみたいなああそういうことかだからまあ神というよりかは理性とかねの方が正しいかと思いますなるほど理性を制限したりとか理性の首を跳ねた理性ってそんな万能じゃないぞともともとがね理性万歳プロイセンのところで万歳プロイセンでした万歳プロイセンじゃねえだろとそこの首を跳ねたと
神ってほどじゃないね神ってほどじゃないカントが合理論とかヒュームの会議論とか論争が行われていた中でアプリルな総合判断が
あるんじゃないかとアプリ寄りな総合判断というのがどういうふうに行われているのかということで人間のですね感性と知性にそれぞれですね一つずつアプリ寄りなものがありますということを設定するんですね感性と知性にこれをですねそれぞれ感性の形式とか知性の形式っていうふうに言ったりするんですけど 2 つね純粋というのがついてます
感性の形式が純粋直感純粋直感別に覚えなくていいです知性の形式が純粋誤性概念っていうのがあって覚えなくても大丈夫です思い抜きなくしましたというのがそれぞれ純粋な形式としてあります
この純粋なっていうのは関東用語でですね経験によらないということなのでだいたいアプリよりと同じ意味だと思ってくださいそうだねで関東に言わせればこの純粋直感純粋語性概念がそれぞれないと我々は数学とか科学の正しさというのを担保することができないというふうに言いますなぜなら知性とか
感性とかにアプリ寄りなものがあってそれが現象を扱ったりとかこねくり回したりするからアプリ寄りみたいなのがそこに移っていってアプリ寄りな総合認識みたいなのができますよねみたいないうことをですねカントは経験とか主観に過ぎなかった現象にアプリ寄りみたいなものを付け足すことによってこれを解決しようとしたと
感覚が先って言ったら変ですけど僕らって理解できるじゃんそのさっきの算数みたいな総合判断なのにアプリよりっぽいのを理解できるじゃんってことは総合判断にアプリより身を付け足すものないっておかしいじゃんみたいな理解であってそういうことですそれ言われるとまあそうなんでしょうなんかあるんでしょうなって感じだなそういうことなんですよまあまあまあまあなきゃおかしいよねっていうまずそもそも
アプリよりな総合判断があるとしますよねあるなら総合判断にアプリより身をつけないとおかしいよねあーはいそうです今ちょっとついていってますありがとうございますついていってますけど一番最初のそのそういうルールですはちょっと引っかかってますけどまだ原点はそんなもんなのかなと思ってますけどそんなもんですよだって証明できないもんだって小売はそうなんだけどさー
純粋直感とか純粋誤性概念と言われるものも例えばねっていうのがあって純粋直感というのは空間と時間がこれに当たるというんですおーちょっと噛み締めていただいてえー
空間とかは確かにわかる多分だけど全ての人間がどんな経験をしてようともしかしてなかろうと立体的なものの見え方とか空間的なものの把握の仕方はできそうな気がするはい私だけ二次元に生きてますみたいな感じじゃないあんまなさそうだよねみんな時間とか空間とかっていう感覚は普通に備わってるよねとうーん
何か例えばこのコップにさ手を伸ばしてさ水を飲みたいって時にさ空間的な把握をしてないとさうまくいかないそうだねここにコップあるのにあれあれとかやんないもんねやんないじゃないですか外側から与えられたものに対して空間とか時間というのを付与する形式としてそういうものがありきとして飲み込むことによって僕らって普通判断してるじゃんまあそうだねそういう
脳の処理になってそうだもんねそうですよこれが一番最初にカントが言った人間ってそういう生き物だからっていう人間ってそういう脳になってるからかそりゃそうとしか言えないなこれがですね純粋直感の感性の形式として空間の時間がありますよと
ちょっと変なこと言うんで聞き流してほしいんですけど人間が数学ができるというのはカントは時間が形式として関わっているからだというようなことも言ったりしております 3 たす 5 が 8 なのは 3 分と 5 分が 8 分だからというのが基礎的なところでありますよねというのが時間の形式があるということなんですけどこれは聞き流してもらいたい聞き流しますちょっと聞き流しましょう
物自体から感覚が物自体あるやんみたいな感じになって触発されて現象というのが生まれますここになんか古本がそれが現象です古本だっていうのがあります物自体で言うと本当は粒の集まりです本だっていう現象が起きてる頭の中に起きてるこれをですね今度は知性の方に
うんなんかこんなものありましたけどとかっていう風に感性が持ってきてはいはいはい個性がおーなるほどなるほどとかって
って言ってでここでカテゴリーというのが出てくるんですが知性は与えられた現象ですね 12 個のカテゴリーとかにこいつは B タイプみたいな感じに当てはめることで我々は一つの古本がここにあるみたいな判断をすることができるという風にですね 12 個あって量のカテゴリー質のカテゴリー
関係のカテゴリー様相のカテゴリーっていう 4 つにそれぞれ 3 つずつ小分類みたいなのがあって全部で 4×3 で 12 個なんですけどまあでも量とか分かりやすいね 1 個か複数かとか 2 個か 3 個か 1 個か複数か全部かというカテゴリーとかあとはあるあり方うん
ないあり方制限されたあり方みたいなのがあるコップのコップらしいあり方とコップらしくないあり方とかあとはコップなりの制限されたあり方取ってねえなみたいな関係のカテゴリーの中に因果関係とか
また相互関係とかねがあるで様相のカテゴリーの中にあるない存在してる存在してないとか必然的である偶然的であるみたいなのがカテゴリーとして我々の考えるベースにアプリよりに備わっている
そういう脳になってますそういう脳になっておりますこれカテゴリーの考え方はこれ自体はですね単なる思いつきじゃなくてアリストテレスっていう古代のギリシアの偉い哲学者がいるんですけどこの人が作った論理学という学問があってこの論理学が関東の時代までね 1500 年以上ですね 2000 年ぐらい一歩も進歩してなかったんですって
逆にすごいねアリストテレスやっぱアリストテレスがもう完成させて論理学を完成させてたそこは 2000 年くらい通用してたんですよこんな 2000 年通用するってことは論理学も割と正しい方向に進んでるに違いないということでアプリ寄りっぽいはずだとということでカントは
このカテゴリーを論理学からちょっと釈要するような形でねそうなんだやったらしいですでもね関係のカテゴリーの中にですね因果関係とか相互関係というのがあって実はこの関係のカテゴリーから力学の重要な法則みたいなのがね導き出せるらしくて
感性の法則とか作用反作用の法則とかですね質量保存の法則とかがねこの関係のカテゴリーからね導き出せるらしいんですがそれはですねサポコミの限定動画の方で
カントってこのタイトルが純粋理性批判っていう風に言ったりこの続編がね実践理性批判というのがあってそのまた続編に判断力批判というのがあって批判しまくってるね批判しまくってるんですよこれカントの思想のことを批判哲学っていう風に言ったりするんですけどこの批判っていやお前みたいな感じに言う批判じゃなくて脱字してますよとかじゃないじゃないそんな
そんなちっちゃいところ行かないよ ガツジテちっちゃすぎるだろ 違うんですか違うよ僕の批判って違うですね そんなみみっちい批判してんのかお前いつも そうかもしれないですよねちょっと気をつけますからね じゃなくてですねこれクリティックっていう単語が批判なんですけど これの意味はですね切り分けるっていう意味で使ってて
カントは人間が知れる範囲と知れない範囲をちゃんと切り分けていきましょうよってでもう分かる範囲だけのことで学問やっていきましょうよ
っていう意味で批判という風に使っていてそうなんだ関東の批判哲学は割と切り分けるとかちゃんと分かる範囲だけで完結させようねっていうことをですね目標にしている学問ではございますやっとその方向性だけ感じてたこれまであやふやだったりしてたカテゴリーはそっちじゃないですこっちに入るものです僕らが分かるのはここまでですっていうのを線引きを
例えば物理法則も分かる方の線引きだけどアプリ折りではあるみたいな線引きをすごいしてくれてるっていうことをしてるんだねずっとそのためにはやっぱ純粋直感とか純粋誤性概念というアプリ折り身を足せるようなものを我々は形式として持ってないといけないよね持ってないとできないよねという話をしますはい
これがですねカントに言わせばコペルニクス的展開というものでございましてカントの言葉を引くとですね認識が対象に従うのではなく対象が認識に従うというのがですねコペルニクス的展開のことなんですけどもひっくり返ったのがわかりました
僕らって素朴に生きてると空間の中に生きてると思うじゃんなんか空間の中に物があってなんかこう空中で手を離すと落ちるんだみたいなこれなんで落ちるんだろうこれは地球が重力で引っ張ってるからだ万有引力があるからだみたいなこれって因果関係じゃないですかそうだね結構物理とかって割とこの世界にある因果関係を把握していくとか数式化していくとか
モデリングしていくっていう方向に行くじゃないですかまあそんな気がするねこの世界には空間とか時間があってそこに物とか自分がいるこれがですね認識が対象に従うというフェーズで対象がまずあって本とか
地球とか宇宙とかがあってそれを持って認識が変わっていく本ってこうなんだとか空間が先にあってそれをできるだけ正しく認識してるって思ってる逆なんですよ我々が物を捉える形式として因果関係とか空間とかがあるので我々はそういう現象に対してそれを見出している見出しがちであるすごくないこれ空
空間とか時間も自分から出てきてるものなんですよそうだねということを言ってるわけだよねそう物自体の世界には空間はないんですよでも全然直感じゃないもんね直感と反してるというか直感と反してるね僕らは空間を正確に認識してると思い込んでるから思い込んでるでも認識が空間をそうたらしめてるみたいなそうですそうですことを言ってるわけでしょ現象を空間たらしめてるまあでもそうだね今まで言ってきたのでと
転動説もさ直感としては正しそうじゃん太陽がこうやって動いてたらさそうだね見たまんまそう見えるから見たまんまじゃん逆なんですよと空間とか時間とかいうのも我々の感性の形式としてあるから我々は秩序づけて
空間があるなっていう風に思うし因果関係があると思い込んじゃうそういう意味で言うとヒュームの批判もだから外れてはないんだよねそうなんですよ惜しいって言ってるんですよカントはずっとヒューム惜しいでもそういうことだよねだからニース
認識ありきっていうのはある意味ヒューム寄りだよねどっちかというとね全部現象で我々の認識で起こってることだけなんですよけどヒュームが何を間違ってたかっていうのはそれは全部アポステリオリな経験に染まったものだと思っちゃってたからアプリ寄りなものを見出せなかったんだって
というのがカントがねずっと惜しい惜しいなっていう風に言ってるところですすごくやっぱり哲学が次に行くのに重要な指摘ではあったんだよそうなんですよただの会議野郎だだけじゃなかった会議野郎じゃないですだけじゃなかっためちゃくちゃ重要ですキューブいい指摘をしてたんだよはい
カントも全部こうきっちり証明したわけではないのでこの後ね割といやカント本当に正しいんかとかうんうんうんなんかもっと人間できることあんじゃねえかとかおー
逆にもっとできないんじゃないかとかでもそれもあれだよね線引きをもっと広げるか狭めるかそうだね関東の線引きをするみたいな考え方は画期的だったんだろうねそうです関東以降ですね割とどういう風に関東を乗り越えていくかみたいなのが議論になったりとかしてこれも面白い話なんですけどねこれも後々やるんですけど関東純粋理性批判の一番最初の文言がね
やっぱ一番最初の文言でさ 一番こう熱が入ってるというかわかる本選ぶ時とか 結構前髪前髪じゃない前髪じゃない前書きちょっと遊ばせてるねじゃない じゃない前書きと後書きの言葉すごい気にしますよ僕気にしますか後書きとか前書きかっこいいのを探しちゃうもんやっぱり純粋理性はめっちゃかっこよくて人間の理性はその認識のある種類において奇妙な運命を持っている
すなわちそれが理性に対して理性そのものの本性によって課せられるのであるから拒むことはできずしかもそれが人間の理性のあらゆる能力を超えているからそれに答えることができない問いによって悩まされるという運命である
人間の理性は自分が分かんないことに悩みがちである能力を超えてるみたいなそういうことかしかもそれは拒むことができない理性の本質としてそういうことを考えちゃう例えば神っているのかなとかさ人生の意味ってなんだろうみたいなことを考えちゃうんだけども俺らの手に負えないことを考えちゃう考えちゃうけどもそれは理性でどう考えても答えが出ないうん
問いであるという奇妙な運命があると
答え出ないのに考えちゃう宿命を追ってると宿命を追ってるというのが純粋理性批判の一番最初の文章でしてこれは現象とか物自体みたいなのが分けられてる中でアプリ寄りな認識の形式をあらかじめ持ってるからある程度現象というのを自分の中で組み立て直したりとかできるんだけども積み重ねていくと物自体知れるんじゃないかみたいな感じに思い込んでしまう
合理論の人たちやんはいということなんです難しい
今までの話を最後にまとめてですねはいぜひカントがどういう風に認識とか経験とかができますかみたいなことを言ったかというのをオフィスビルで例えたいとオフィスビルで例えますかちょっとねぜひぜひ聞かせてくださいまずはちょっとカント用語を使ってですねこれが理解できたらすごいぞというところをやると物自体に感性が触発されますと感性は純粋直感による表彰というのを生み出してそれが総合された現象というのを次に生み出しますと
これら現象というのは語性による思考で純粋語性概念というのが適用されて認識というのが出来上がりますなるほどわかんないですよ何言ってるんですかこのですね関東の認識のあり方を自社ビルにお客さんがちょっと訪れてくるという想定ですね自社ビルで仕事してます 15 時から来客だったなみたいなそろそろ来るかなみたいなところでちょっとわかりました窓口担当からまだメール来てないかなとか言ってます
ありますよね通知来たりしますからねまずね外からね人が来ますはいはいはい自動ドアのウィーン開きますよねちなみに僕ね自動ドア開きにくい人なんですよ開くかなと思ったらぶつかるみたいなことがたまにいらっしゃいますね最近あるんですがまあ普通のね自動ドアだったらセンサーが上の方についててさあ人来たなって分かれば
開くじゃないですか受付に向かいますよね受付はどうもみたいな感じで株式会社ゆる生体学ラジオの吉野部と申しますけどもその受付の人は来客リストみたいなのもらってるんで
あーじゃあ 15 階の平田さんですねと言ってまあ電話してで僕があー今行きますとか言うわけじゃないですかはいはいはいエレベーターそちらですとか言ってはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはい
それはそれでいいんですけどまず自社ビルがありますこれが心ですね言うたら人間は頭の中と言ってもいいし心と言ってもいいですよ心ビルジングがあります歴史を感じるビルジングという表現でねビルジングですはいテイストが
昭和何年とかあるでしょうね外から人が来ると言いましたこのビルの外というのは物自体です心の外ですねオフィスビルにいるから外にはいけないんですよ窓とかもないんで外も見れない外には到達できませんその物自体から人が来るわけですね自動ドアこのセンサーが完成です
我々で言うと目とか鼻とか口とか手とかね舌とかそういう感性があって人が来るとセンサーが人来たと触発されます物自体だと物自体だとって言ってまずですねその人の空間とか時間何時何分何秒に来たなとか
これぐらいの物体の大きさだなみたいな熱を持っててみたいな 36 度 8 分でみたいな感じセンサーに映る程度の大きさではあるしね絶対ありとかだとね多分通らないもんね通らないけど
センサーがこれは人ですねという風に触発されてウィーンと開きますでここ入ってくるじゃないですかこの人物は来た時は人なんですけど入ってしまえばもう来客なんですようんうんうんうん属性が変わりますねこれが物自体が次減少になった時なんですうん
認められて関西で認められて入ってきたからねこれをですね簡単表彰表彰表の像とかで表彰なんですけどでこのビルの中で行われている全部が現象ですで受付の人これが知性ですこの人のところに表彰たる来客が来るんですよそれで知性は渡されたリストの来客リストこれが純粋誤性概念というあらかじめ渡されたリスト
アプリオリに渡されたリストですこれでは吉野部さんですね 12 種類のユール生態の吉野部さんですね仕事できないらしいですねみたいなこと書いてあるそんな分類がアプリオリな感じなんですか仕事できるかできないかってアプリオリな感覚なんですが悲しいですね仕事できない人が来ましたよって言って分かりましたと言って私が送ると認識が成立しましたこの人は
人でもなく来客でもなく吉野部さんですねという認識が出来上がるこれがですねカントが言った認識の出来方とアプリ寄りなセンサーとリストというのが経験とかには必要ですよねという風に言ったことでございますだからボルフ学派は受付だけでなんかどうにかできちゃうと思ってるし
ヒュームとかはそれを認めてないからお客さんだらけみたいなもうザーザーってきていっぱいお客さんがビルの中に入ってきたって誰が誰ですかみたいなどれがお客さんでどれが部外者でどれがテロリストですかみたいな
だってわかんないじゃん本当にテロリストかどうかなんてみたいな感じで溢れてる感じでボルフ学派はいやもうお客さんなんて必要ない受付だけいればいいみたいないう考え方なんですよ受付外じっと見てあれ客かなとか一瞬でわかるようになるみたいなこと思ってるのかななんならもう受付が客のフリして電話してくるみたいな
それぐらいですよボルフ学科がやろうとしたことは受付で受付の経験を積み上げていけばもはやこれから来る来客が何をしようとするのかも分かるはずだから私がもう通話してやろうとそういうことです神が分かるってそういうことだからね全てが分かる
ということで自社ビルの例えでですねカントの認識論をそういうプロセスをねそういうプロセスを経てるんじゃないのっていうのがカントの考えでございますということでですねちょっとカント回以上でどうでしたかいやー難かったですし今もね理解してるかといったら言葉では分かった気になってる
なってるけど腑に落ちてない感じがずっとしてるのでそれね多分ね今度ヒュームもやりますヒュームの深掘りもやりますのでもしかしたらそこでヒュームに親近感を湧くかもしれないそれは結構こういう哲学の話っていっぱいいろいろあるのでこの人に親近感覚えるなっていうのって結構バラバラなんですよまちまちなんですよ
もしかしたらヨシノブはヒューム大好き人間かもしれないかもしれないしボルフ学派かもしれないライプニッツの方が好きとかかもしれないそれはちょっとねこの哲学誌をやる中でやっぱ好みの哲学者をちょっと見つけていただきたいなという風に思いますいいねそれちょっと
ちょっと今画面の外からですねドゥルーズ語りをやりなさいという指令が来ましたのですごい有能な受付担当ですね今週のドゥルーズ語りはハト的衝動です衝動あれ衝動外とかですねハトはまあ何バトでもいいですドバトでもツチバトでもヨコバトでもいいです白いハトでもねいいですし白いハトがダブで茶色いハトが茶色というか灰色いハトがピジョンみたいな
えーそうなんだ 話が悲しいですねなんかそうなんだ はいということで波と敵衝動どんなワードなのか ダブなのかフィジョンなのかもあなた次第ですよ はい教えてくださいベストアンサーはですね雑談会で触れたいと思います うんということで以上でですねゆる哲学ラジオ今週は終わりにしたいと思います高評価コメントチャンネル登録よろしくお願いいたしますありがとうございました ありがとうございました