朝日新聞の神田大輔です。今回はですね、2人の方にゲストに来ていただいております。ポッドキャスト「ほんのれんラジオ」からですね、お二人。じゃあ、ちょっと一人ずつご紹介ね、自己紹介していただけますか。「ほんのれんラジオ」から来ました、はるにゃと言います。編集工学研究所で仕事をしているんですけれども、その中でやっている「ほんのれん」というサービスの
前回の続きからお届けします。
なんか以前、佐藤優さんもあの「ほんのれんラジオ」にも1回出ていただきました。いきなり出てきてびっくりしました。同じようなことをおっしゃってました。やっぱり今のロシア・ウクライナ戦争の情報とか、全部やっぱ外務省とかに情報は出てるし、それを見る目があれば
ちゃんと客観的にとか冷静に状況は判断できるけど、今全員ほぼほぼその能力を失っているっていう。そこはインテリジェンスの問題だと思うんですけど、そこにすごく警鐘が鳴らされていて。ただやっぱり全員がそれはできないので、やっぱり新聞記者さんとか、そういう分析ができる方が
専門職としてやっていただいているんだなっていう。それでいうと、だからお二人は本ってね、この世の中にもあふれんばかりにいっぱいあって、しかも古典からずっと積み上がってるんで、じゃあ俺たちはいつアリストテレス読むんだみたいな話あるじゃないですか。ってなってきた時にお二人がやっているようなこと、つまり今はこの本を読む瞬間、本という言い方をしてますけれども、「瞬断本」ですよっていう
のを選んでもらうっていうのは、逆に言うと本の宝探しみたいな感覚ですかね。まさにそうだと思うし、全員が宝探しに出る必要もないと思うんです。純粋に池袋書店の1階から8階まで駆けずり回って、この一冊みたいなのは結構大変なので。私、そういうところを選んでるんですけど
そこから選んできたお宝をみんなで聞こうねってできるのが「ほんのれんラジオ」だし。スピードスター梅子さん、本屋を回るのも早いんですか?多分集中力が持たないので、バーって見て面白そうなのを見たら、それは向こうから目に飛び込んでくる感じなんですか?
どうなんでしょうね。知ってる本は多分目に入るんです。すでに例えば出版社のメルマガとかを大量にこう読んでいるので、なんかこれ見たことあるみたいなものは多分パッと察知するし。あとは私、そのテーマ、問いを決めているので。「次だったら戦争について使わないといけない」みたいな時に、「戦争のこういうのが欲しい」「国家についてもうちょっと
優しく扱った本が欲しいね」みたいな問いを頭に置いておいて本屋に行くと、これみたいなに出会いやすくなる。自分の中に一個軸みたいなの持っておくと、それに勝手に引っかかってくるみたいな感じと思いますね。アンテナを立てておくと、その感じありますよね。そういう意味では私たちが本を見つける手前で、やっぱり本屋さんが編集作業してくれてるっていうところがすごく多いのね。確かになんか面陳してある本はやっぱり
面陳とは何でしょうか?表紙を向けて陳列している。面陳と言います。表紙を向けて。普通は本棚っていうのは何ですか?背表紙を指してある。指しは背差しと言います。表紙を面積としては大きいところを占めることになるわけですよね。あれは押しってことですか?押しっていうことだと思います。ちょうど目線の高さに来るように面陳が並んでいる
じゃないですか。だいたい本屋さんってすごいですね。麻雀の話かと思いました。あと平積みとかもありますね。平積みね。やっぱりそれは推しですよね。手に取りやすいってことですもんね。それは新聞の多分紙面と同じじゃないかなと。一面のここにあるんだから大事だみたいなのは多分本屋に行って目立つところにあったら、今来てるんだろうな
って思うので、それはネットで見るよりかはリアルの書店に行った方が分かりやすいですね。おそらくそれが講じる形になって、本屋対象とかね、いろんなものもあるんでしょうけれども。でも本当にこれだけ情報が爆発的に増えちゃうと、取捨選択もすごい大変だなと。やっぱり聞いてらっしゃる方の中にもですね、自分の読みたい本を見つけられないなんていう声もあるわけなんですよ。
多分そういうことをたくさん聞かれているお二人だと思うんですが、どういうふうに本を選んだら、探したらいいのかっていうところで何かアドバイスありますか?
私がやってることとしては、人と本の話をするか、人との話から本につなげていく。「誰も本読んでないわけじゃないです」かなるほど。それはじゃあ本屋さんに行くのが一番いいかもしれない。「今日神田さんと喋って宝探しの話したな」「冒険者になる人ってどんな人なんだろうな」例えば思ったら、その感じを持ったまま本屋さんに行くと
ただ疲れたな今日も仕事って思いながら本屋さん行くのと結構違う体験感にはなると思います。なるほどね。あとはもうデザインが好きな本だけ探すとか。ジャケ買い。そう。「ほんのれんラジオ」の編集長は割とジャケ買い派。インスタで本屋さんとかを出版社とかフォローしていて、いいやつをピッ
スクショしたりして、それがSlackに流れてきたり。「ほんのれんラジオ」編集部のあれもね。確かにものすごいいろんな方が関わって、どのどういう表紙にしようかとかも考えてるんでしょうからね。そういう買い方っていうのも全然想定されてるんでしょうからね。やっぱりその想定って違う感じですけど、表紙のね
デザインとかにすごいやっぱり愛情がある本って、誰かがすごく大事にしてる本なので、それはもう基本的に外れはないなって思います。うん。
自分に合う感覚なんてそこにはあるでしょうしね。そうですね。どういう絵を使ってるかとか、白黒写真なのかとかでピンとくるものは自分に合ってる可能性は高いですよね。本のタイトルの大きさとかもね、活字の大きさとかも全然違ったりしますもんね。想定によって本当に明朝体なのかゴシック体なのかで多分雰囲気は違うでしょうから。うん。
それで言うと、自分の読みたい本を見つけられない、それは当たり前だろうなっていう気はしていて。私、旅行が苦手なんですけど、でも知らないとこに行くのは好きなんですよ。どっち?旅行って知らないとこに行くもんじゃないですか。これ旅の回で「ほんのれんラジオ」で話してるんですけど
でも知らないところに行くとしても、私は多分イタリアに行きたいと思ったら、イタリアって検索して、イタリアにはどんな都市があって、どこに空港があって、どこにホテルがあってみたいな、調べないといけないじゃないですか。完全なる未知の状態ではなくなっちゃう。自分にもう知ってるものしかアクセスできなくなってるわけじゃないですか。そうなります。
たぶん本も一緒で、自分の知ってるものを検索しようとしたりするとか。でも自分が何が欲しいかって、たぶん自分にはないから欲しいんでしょう。ってなると、本の海とかにダイブするとか、なんか違うものが入ってくるようにしておくとか。
この前万博に行きましたけど、万博の広場を歩いているだけで、タイのムエタイの人たちが演舞してるみたいなのがあって。そう、こういうのがあるなみたいな。全く知らないインディアンっぽい人たちがテクノに合わせて何かフラフープをめちゃめちゃ回してるみたいな。そういうのを見ると
全く知らないものに出会うのは、やっぱり自分が動いていて、そこにダイブしていくしかないんだろうな。「万博行きました?」「行きましたよ」「私も行ったんですよこの間ね」「春にゃん行きました?」「行ってないです」。あれ本当におっしゃる通りで、事前の予約の何回かチャンスがあるんですけれども、それ全然当たらなかったんですよね。実際行ってみると、何にもその情報がなかったんだけれども、いろんな人が歌ったり踊ったりしてるみたいなのとかに出くわすっていうね。
もっと告知するのもいいと思うんですけど、それも実際その博覧会の協会もあんまり把握してないので、それぞれの国でやったりしているっていうね。そういうしかし無目的的なことっていうのが意外と我々できなくなっているところはあるかなと。
旅行なんかに行ってもですね、じゃあモナリザ見るぞとルーブル美術館行くぞって言うと、そのためにお仕事をするんですよね。どの地下鉄のメートルに乗ればいいのかとか、何時から空いてるのか、行列に並ばないようにするためにはどうすればいいのかとかっていう。それは疲れちゃうじゃないですか。万博もまさにそうだったなと思うんですけど
本なんかもそこで疲れちゃうと、読む前に記録が失くなっちゃいますよね。なので手前味噌かもしれないですね。なので多分「ほんのれんラジオ」とかがあるんだろう。そこをやってくれるからってことですね。そうです。そこで行列並ばずに並んできたからっていうのは本当に新聞とかに似てますね。結局ニュースって山ほどあって、根拠はこれ読んでおくといいですよっていうのをね、選書するみたいなことが新聞ですからね。
そういうサービスって実は結構あるんですかね?どうなんでしょう。なんかでも朝日新聞さんのアプリって、ちょっとニュース拝見してる時に、やっぱりトップに何を置いてあるかと、なんかそのこの記事を届けてくれている記者さんの顔が今見えるじゃないですか。写真が載ってるじゃないですか。あれがすごくやっぱり新鮮でしたね。なんか昔の子供の頃新聞に触れてた頃の体験と結構違うなっていうのは感じます。
新聞読んでくれてるんですか?ごめんなさい、今日のためにダウンロードしたんですけど。いいんですよ。全然それはもうありがたいですし。子供の頃読んでらっしゃった…子供の頃家に届くものに読んでたとは言えないと思うんですけど、見てはいましたけど。一応うちにあった。今本当にご家庭でも新聞を取ってらっしゃる方って本当に少なくて…神田:そうです。高齢の方が多いんですけれども、あの
お二人のような世代の方、30代ですよね、の方とかだと本当にもう読んでらっしゃる方少ない。子供時代にも少ないんですよね。そうなんですね。子供時代もみんなね、テレビでニュース見られるんで、うちに新聞があっても読んでない人多いんですよね。
そう。でも確かに署名すら昔は入ってなかったんで、今顔写真まで入ってますよね。それを昨日私は春にゃんに聞いて、そんなことになってるんだってびっくりしました。記者の方では抵抗感ある記者もいるんですよ。とりわけ女性に多いんですけど。「なんでそんな顔まで出さなきゃいけないの」みたいな。その辺ってどうなんですかね?
やっぱあった方が安心できます。安心というよりは温度を感じる感じがしました。「人間が書いてるな」と。人間が書いてるし、測定の方じゃないですか。ただの人間じゃなくて、「うぞうむぞうの朝日新聞さん」っていう集団としてじゃなくて、その人のそれまでの人生があって、今ここに関心が向いてて、この情報に出会ったからみんなに届けたいっていう、そこの
やっぱり今AIとかが出てきた中で、誰かが伝えたいと思って伝えてくれてるっていうところは、なんかちょっと言語化できないんですけど、すごい違うなっていう感じは受けます。それは本当に全然違うと思って。それを聞いて私は新聞読みたいなってちょっと思ったんですけど、今までの感じとか私の子供の頃のイメージだと、無名の人が無名の人に向かって書いてる
すごいなんか枯れさせたみたいな文章みたいな、筋肉質な文章って感じがします。ああいうのだ人が書いてるんだろうか、これは誰が読むんだろうかみたいな感じの。「私に向かって書かれていないよね」っていう感じで、やっぱりこの新聞は私は結構怖いものだった。今もありそうなんですけど。そうですよね。
世界は私の預かり知らぬところでもうすでにできていて、なんかそれが知らん間に動いていて、しかも私はそれに関与できない。だって新聞読んでもわかんないんだからみたいな。だったんだけれども。そう。私も神田さんのところにお邪魔するっていうのを聞いて「朝ポキ」を聞き始めたら、それがめっちゃ面白くて。「本当ですか?」ありがとうございます。「めっちゃ面白くて」本当におべっかではなく。「朝ポキ」前「朝ポキ」後でちょっと
変わったかも。だって新聞記者の人で、「そうか」とか「ソロバン」の歴史とか調べるんだとか。ああいう系。食品サンプルの歴史を訪ねに行くの。あの照沼真理子記者はまたちょっと特殊な人だと思いますけど。そうですね。「北海道物産」って押しかけてる人がいるんだみたいな。ああいうのを、しかもそれに情熱を燃やしてる記者さんがいるっていうのに知れると
生きてる同士、仲間だって感じ。意外と別に政治経済社会とかばっかりじゃないっていうことはありますよね。
朝日新聞ポッドキャスト「メディアトーク」。私、ハワイ行ってきたんだ。「インチキ」…インチキしてないけど。「違う違う、インチキって沖縄の言葉でいいなって意味でしょ」「そうそう。インチキハンチキシーチキンって言葉もあってさ」「なんで知ってるの?」「こないだ朝ポキの楽屋裏で聞いたんだ」。他にも左利きあるあるとか、語学の暗記法とか面白かったよ。「メディアトーク」では記者の素顔に迫る楽屋裏も配信しています。君を立てる感覚でお楽しみください。
まあそれで言うと、でも本も真羅万象をそれこそ扱っているわけですから、いろんな本がありますもんね。ありますね。だからまあ「ほんのれん」編集部としてはみんなで共通の本読んでるんですけど、多分そこから外に出た時に読んでるものそれぞれ違うと思うので、全然同じ編集部の中でも
普段読んでる本が違う。普段読んでる本は全然違うと思うので。春にゃんが漁師系のなんか複雑系に詳しいとか…詳しくはないんですよ。「漁師ってどの漁師ですか?」「漁師力学の漁師」「漁師コンピューター、魚釣る人じゃなくてね」「そっちもでも興味あります。長崎住んでるし、そう」
漁師力学の漁師全然わかんないけど、そういうのに興味はあって。でも多分うめちゃんが読んでるものとか触れてる情報とか、猫の生態にすごい詳しいとか、そういう全然違う世界観がやっぱり同じ場所で出会うことに意味があるかなと思うので。うん。
なんかその朝日新聞さんの記者さんもそれぞれのやっぱり感性界というか、興味関心で出来上がっている世界が出てるのが今すごい面白いなって思います。で、なんかあれですよね。たまにあるんですけど、その自分のその好きなもの
全然知らないものがつながる時があって。僕例えば仏教、まあまあ好きなんですよ。そんな詳しくないんですけど、仏教と量子力学って結構つながってるんですよね。「今ホットなのが一番いいですよね」「ホットなんですね」。演技っていう考え方ってすごい量子力学っぽいし
あとね、兄弟の餅月教授の「宇宙祭大秘密ラリロン」とかありますけれども…わかんないです。あるんですよ。僕も全然わかんなかったんですけれども、それなんかもう餅月さんとお母さん的人物が匿名で書いているブログとか読んでると、結構やっぱりその何て言うんですかね
あの数学ともそも学問の社会自体が欧米中心にできている中で、まあ結構日本人として、その世界でやっていくこと自体の大変さみたいなとかもにじんでいるような文章だったりする中で、なんかその見方だから「宇宙祭対比ミラー理論」みたいなできるのからみたいな…まあ完全に私のね、一人よがりなんですけれども。ただ
理解するってそういうことなのかなっていう気もしてるんですよ。自分に引きつけるというか。そうだと思います。今「独りよがり」って神田さんおっしゃいましたけど、多分それこそが読むっていう行為なんだと思うんです。単に情報を注入されるではなくて、自分
本がこう読むんだっていう何か仮説なりを立ち上げるっていうことが、多分本来の読むっていうことなんだろうなと思う。「一人よがり全然いいんだ」と思う。それでも梅子さん、やっぱりね、そこに我々の躊躇があるというか、やっぱり本があるからには筆者の方の言いたいこと、主張みたいなのを正確に読み取らなきゃいけないっていうところがどっか頭にあると思うんですよ。
だって国語のテストってずっとそれだったから。だけどそうじゃなくてもいいってことですかね?多分それは戦後の国語教育の敗北だと思いますよ。これは松岡さんもよく引いている「江戸の読書会かな」っていう本があって、江戸時代の人はどうやって本を読んでいたのかっていうのをまとめた本があるんです。「どうやって本を読んでいたと思います?」「江戸時代の人ですか?」「寺小屋とかで、例えば反抗とかで」
あれですよね。だって江戸時代にもいっぱい流行本ってありましたよね。「奇病史」みたいな。「奇病史」ってですか?「公職一代女」みたいな。「そうですそうです」「あれ歌詞本とかじゃないんですか?」「歌詞本」そうですね。そういうのは多分娯楽として読まれる本ですね。学校で読む本みたいなやつ。そんなんだって印刷の技術とかも当時なかっただろうから、筆で書き写すとかいうのを読んでたってことですかね。社教みたいにして
私の理解だと。春にゃん、間違ってたら教えてください。「いやー、どうぞどうぞ。分かんないからみんなで読んでいた」
1個の本かどうかはちょっとわからないんですけれども、みんなで。しかも声を出して読んでいた。そういうことですね。そうすればみんなわかりますもんね。そういうことがわかるし、例えばいろんな方法があったらしいんですけれども。例えば「田島商人」という池田さんのなんとか書院では「円管」という方法があったらしくて、本を開いたら途中まで読んで伏せて、何が書いてあったかを思い出すみたいな方法
方法とか。あとはみんなで話し合って読む、解読っていう方法があったりとかっていうので、筆者の書いていることを正確に理解し、それを30文字で書きなさいみたいなものをずっと昔からやっていたわけではもちろんなくて、一冊の本を読んで、じゃあ自分がどう思うかまでちゃんとやっていったんだと思うんですよ。本来はそういうことですね。
あと多分黙読の前に音読があったっていうのは江戸時代もやってたと思うんですけど、その本に書いてあることを理解する前に、まずとりあえず読み続ける。声を出して読み上げ続ける。意味が分からなくても論語の疎読をしてみるみたいな
なんかそれってその今の読書って意味から入るじゃないですか。そうですね。「この文章何書いてるかわけわかんないけど、とりあえずわかるまで読まなきゃいけないかな」みたいな。でも以前は多分そういうことにぶち当たる手前で、まずなんか体に音として入れちゃうみたいな。その身体化させてから後から意味が自分なりについてくるっていう
読書だったのかなとなんとなく思ってるので。それ聞くとやっぱりあれですね。僕は頭に思い浮かぶのはお経なんですよね。あれサンスクリット語なんで誰も意味わかってないじゃないですか。「いや、あるんですよ。お経の中には日本語のお経もあるんですけれども。だけど基本的に般若心経とか有名なやつはサンスクリット」
それをしかし読むっていうことをみんなやってるわけですよね。何かしらそこで霊感、新たな気持ちになるみたいなのあるわけじゃないですか。それは別に嘘ってことでもないですもんね。ないですよね。だから言葉以上に伝達されるものって絶対あると思うんですけど
0 现在,文字文化占据主流,我们总是用眼睛阅读,用大脑理解,以至于忽略了身体和声音的共享,这大概也是松冈先生一直以来关注的问题。编辑工学研究所制作音频内容,或许正是在此背景下具有其意义。
这与阅读和写作的关联性有关。两者原本是紧密相连的,但在某个阶段分开了。正如松冈先生在《江户读书会》中所写,人们认为书只是用来读的,但事实并非如此。书不仅是用来读的,也包含了写作的过程。作者所写,也只是他想读的东西。
既然作者可以自由写作,那么如何阅读就至关重要。然而,现在人们不再重视如何阅读了,这正是他所关注的问题。
这与很多事情都有关联。我觉得现在的人们都在追求正确答案,比如寻找最有效率的方法,各种人生技巧,看电影时也会看各种解说视频,YouTube上有很多。也就是说,人们依赖于那些能提供正确解读的人。
其实,每个人都可以按照自己的喜好来,但人们似乎缺乏自信。
是啊,人们害怕犯错。人生中很多事情都是如此,比如选择无痛分娩,就要提前找到合适的医生,错过时机就来不及了。
从选择哪个幼儿园,到小升初、高考、就业,处处都有所谓的正确答案,人们都在竞争。这其实是个人主义的问题,即人生由自己决定,自己选择,自己负责。
这种想法让人感到痛苦。但人们真的不想自己选择自己的人生吗?
这是一个两难的问题。我们经历了争取自主选择权的历史,但随之而来的压力也让人疲惫不堪。或许,我们应该认识到,这仍处于过渡时期,社会未来的走向仍未可知。比如,我个人支持婚姻自主选择姓氏,但另一方面,
这都是选择的问题。以前,选择哪个姓氏无需多想,社会也比较轻松。现在,职业选择也相对自由,想当艺人,可以先从YouTube、TikTok开始。
如果做不到,就归咎于自己。我们之前也讨论过,神死了这个问题很重要。
以前,人们认为是神决定的,在日本可能是天照大神。但现在很少听到天照大神了。
以前,如果遇到不好的事情,人们会认为这是神决定的,而不是自己的责任。人们相信神,相信某种超越自身的力量。但现在,人们不再相信神,一切都要靠自己。
所以,人们可能感到痛苦。或许,人们需要某种“小神”,比如追星族眼中的偶像。为了偶像的演唱会而活,也体现了这种心态。
这或许是一种回归,或者本来就是如此。美国是一个非常宗教化的国家,最近的调查显示,约90%的人相信神或某种超越的存在。
这在欧洲就不一样了,世俗化程度越来越高。人们相信神,并把特朗普视为神的化身,尽管大家都知道,
从虔诚的基督徒的角度来看,特朗普所做的事情都是不好的,比如贬低他人、婚外情等等。但人们认为,让特朗普当总统是符合神的旨意的,所以投票给他。我读到过一个这样的采访。
看来人们都渴望神,渴望权威,这与追求正确答案是一样的,都希望依靠别人来获得安全感。这让人感觉像是对历史的失败,欧洲一直以来都在克服宗教的影响,从法国大革命开始。
“上帝死了”是尼采的名言,我最近读到了一些相关内容。尼采认为,上帝死了,人必须成为超人,追求完美的人性。他是典型的近代欧洲人。
福柯也提出了一些有趣的观点。他认为,人类的概念即将消失。因为“人”这个概念是在近代欧洲(16或18世纪)才出现的,
只有几百年的历史。福柯认为,“人”这个概念最终会像沙滩上的文字一样消失。人类这个词可能存在,但客观地将自己视为人类,更多的是近代以后的事情。
这很有趣。福柯认为“人”的概念即将消失之后,我们仍然存在。如果回到“上帝死了”之前,
那就等于否定我们努力奋斗的历史,这太可惜了。为此牺牲的人也很多。我们不断犯错,才走到今天,忽视这一点,未免有些懒惰。
很有趣,但时间差不多了,我们来总结一下。其实也不用总结,大家听到的都是重点。阅读书籍或新闻文章时,不要给自己设限,要保持自觉。
希望大家多读书,我也会多读书。收听“本のれんラジオ”就足够了,不用读书也没关系。春谷先生,接下来是广告环节吗?稍等一下。梅子小姐、春谷先生,谢谢你们。谢谢。
接下来是“本のれんラジオ”的梅子小姐和春にゃ小姐。我们聊了很多,现在来做一下节目的宣传。谁来介绍呢?
春谷先生来介绍吧。“本のれんラジオ”每周三更新,有时也会在周六更新。我们“本のれん編集部”会设定一个月的主题,选择五本书来探讨,并进行讨论。
我们介绍书籍,也包括不同的阅读方式,就像闲聊一样。希望大家喜欢。梅子小姐,你有什么想说的吗?我们在阅读中,会深入探讨一些我们认为理所当然的事情,可能会很混乱,希望大家一起参与。
我听的时候,都觉得这么好的节目免费收听真是太好了。非常有价值的节目,推荐大家收听。再次感谢羽根小姐和梅子小姐。谢谢。
谢谢。感谢各位听众收听。朝日新闻播客也会制作更多节目,也希望以后能有更多这样的合作。如果大家想推荐一些播客节目,欢迎随时联系我们。
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松下光平、三上爱出演的短剧《创造新的早晨》正在朝日新闻社品牌网站上公开。