朝日新聞 ホットキャスト 皆さんこんにちは。朝日新聞の寺尾佳恵です。今日は読者が選ぶ一押し記事を紹介する「推し記事」、5月分の3本をご紹介します。MCを降矢慶子さんから私寺尾が引き継ぎ、皆さんおなじみのこの方とお届けします。こんにちは。朝デジ事業センターの小林です。
小林さん、よろしくお願いします。よろしくお願いします。改めて、この「推し記事」どんな企画なのか教えていただけますか?本企画は、各月で開催している朝日新聞デジタル版の有料会員の方から、おすすめの記事タイトル、推し理由、キャッチコピーを教えていただき、ご応募いただいた方の中から3名様のご意見を掲載している企画です。
今回は5月26日から6月1日に募集した3本ということで、早速1本目の紹介をお願いします。はい。1本目は「贋作の絵画、無料公開始まる 「良い絵」と説明してきたが…」です。これはあれですよね、徳島県立近代美術館が所蔵する作品のお話で、
フランス人画家ジャン・メッツァンジェが描いたとされる油彩画「自転車乗り」という絵が、実は贋作。贋作ってあまり耳にしない言葉ですよね。偽物だったっていうのが分かったというお話です。贋作と判断した経緯を含めて報告展示として作品を無料公開したというニュースでした。記事の中では、購入に関わった学芸員さんのお話や来館者の感想なども紹介されていますよね。
読者の方からはどんなお声が届いたんですか?はい。お声としては、60代男性、無職の方から届きました。キャッチコピーは「学芸員はつらいよ 贋作とわかっていても展示し解説までするなんて」。贋作といえば本物が必ずあると思っていたが、そうでもないこともあるとわかって興味深く読んだ。贋作として集客につなげればいいといった肯定的な意見も寄せられているという。
購入を決断した専門職員である学芸員がこの贋作と今後どのように向き合っていくか、苦悩している様子を伺うことができた。記事では画材の科学分析や画商への損害賠償請求の検討に言及されており、その後の経過について続報を期待しますとのことです。
小林さんはこの記事を読んでどんなことを感じましたか?そうですね。贋作と聞くと、本物がまるで実在するように感じてしまって、本物はないんだなということに正直驚きました。確かに、私はその贋作を書く人の心理というのが、どういう心理で書いてるんだろうというのがすごく気になってしまいましたね。確かに気になりますよね。
今回の作品はドイツ出身の画家、ヴォルフガング・ベルトラッキ氏が描いたものとされているんですが、実は今日、この「天才贋作師」と呼ばれたベルトラッキ氏を取材した方にお越しいただいています。
ゲストの玉川徹さんです。よろしくお願いします。よろしくお願いします。玉川さん、普段ちょっとどんなことされてるのか自己紹介いただいてもよろしいですか?GLOBE編集部というところにいまして、GLOBEって毎月2回ですね、朝日新聞の本誌に織り込む形でやってる横書きの媒体なんですけど、そこで毎回特集を組んでます。
このベルトラッキさんに会ったっていうのはですね、その中の「美術犯罪」という特集で取材しました。「美術犯罪」、ちょっとキーワードだけでも気になるテーマですけれども、そもそも
そもそも美術における贋作っていうのはどういったものなんですか?これもね、調べてみると、私素人だったんですが、面白くて。やっぱり皆さんのイメージだと、全く同じもの、本物と同じものを作ったのが贋作と思うじゃないですか。実は、例えばレンブラントという有名な画家の弟子が師匠の絵をモデルにして描いた絵にレンブラントがサインをしたものも贋作の範疇に入ったりするんですよね。へー。
だからそういうものを全部含めると、人によっては美術史上30%ぐらいは贋作なんじゃないのっていう人もいるぐらいです。ただこのベルトラッキさんの場合、非常にユニークで、さっきも小林さんおっしゃってた通り、本物がないのに、その作家があたかも書いたんじゃないかと思わせるような贋作を作るんですね。うん。
つまり、もともと似せるものがないのに似せ物になってるっていう珍しいケース。そうですよね。架空のものを自分で作り出して、
別人の作品だというふうにしたっていうことですよね。ちなみに、どうして贋作やベルトラッキ氏の取材を今回しようと思われたんですか?最初この「美術犯罪」で注目したのは、ルパン三世みたいに美術品を盗み出す泥棒さんに着目したんですけど、調べてみると美術犯罪の半分はやっぱり贋作なんですね。で、
たまたまなんですが、2024年の夏に四国の徳島と高知で続々とこの贋作事件騒動が持ち上がったとして、よくよく調べるとこのベルトラッキさん、取材に応じてくれそうだというのでメールを出したら「来なさい」みたいなことになって取材に行った。
そこにたどり着くのは割と容易だったんですか?ベルトラッキさんにたどり着くのは正直ダメだろうなと思って、ホームページや何やらで調べるとメールアドレスが載ってたんですよね。これはと思ってメール(英語で)出したら、結局2、3日のうちに「いいね」みたいなことになりました。ポンポンとアポが取れました。もちろん取材テーマもお伝えしてるわけですよね。そうですね。それを踏まえてもいいよ、「喋るよ、お話しましょう」と。ほう。
すごい。そう思えるメンタルがすごいですね。これ会ってみるとやっぱりそうだろうなと思うような感じの人ではあったんですけど、どういうところでそう思われたんですか?実際は去年の11月ですかね、スイスの本当に綺麗なアトリエに行ったんですが、ストローハットにピンクのストロー巻いたちょい悪のおじいさんが出てきてですね、「よく来たね」って。
むしゃむしゃクロワッサンを食べながら3時間以上にわたってお話ししてくれました。へー。
じゃあ、その会ってみてやっぱりこの方なら話してくれそうだなっていうのはどういったところから感じたんですか?なんていうかですね、その明らかにしてるっていうか、話聞いていくとわかるんですけど、自分のやったことがそんなに悪いことじゃないっていう信念みたいなものを持ってるんですね。もちろん法律の範疇からすれば悪いことしたなと思ってるけど、「贋作」っていうものが美術市場においてどういうものかっていうのを根本から説明してくれました。へえ。
詳しくはベルトラッキ氏の取材の様子や贋作の手法については、GLOBEの記事「日本の美術館も被害か 300点の偽物を作った「天才贋作師」の男が問う名画の価値」でも詳しく書かれているかと思います。
ここでも書いてあると思うんですけど、簡単に、なんでこう贋作を書くようになったのかとか、そのあたり教えていただけますか?この方自身はお父さんが教会の美術修復士というのをやってて、美術に関係のあるお仕事なんでもともと才能があったんですけど、11歳の時に大きな美術館に行ってある絵を見たんですね。そしたらなんかこう、その絵の中に吸い込まれるような感覚があって、
それ以降、その絵の前に10分経っただけでもともと書いた人のタッチとかですね、筆使いとかが自分でもできるようになっちゃったっていうんですね。しかも元々才能もあったんで、練習を重ねているうちに、その方だったらこんな絵を書くだろうみたいな想像をして、オリジナルの贋作を作れるようになってしまった。
なんかまるでこう憑依したというか、まさに乗り移ってみたいな、そういう感じ。自分でもね、「トランス状態になった」って言ってましたけどね。で、贋作をどんどん作っていかれて、30年間かな、合計300点以上は作ったと
言ってます。ただやっぱ悪いことできないもんで、2010年に売る役割もしてた奥さんと一緒に捕まってしまうんですね。それはですね、30年も捕まらなかったというのは、逆にものすごいスキルが高かったということで、その描くスキルだけじゃなくて、その額縁だったりとか、キャンバスだったりとかも
古く加工する工夫をものすごい一生懸命したりとかですね、あとはお写真を、古い写真を撮って「この絵が例えば50年前の展示会に出てました」っていう写真を出したりとかですね、それ、こう犯罪者っぷりもすごいんですけど、そんな工夫もされてたんですね。だけどある時にですね、ちょっと油断したのか、
昔作られた時にはなかった素材成分が入った絵の具を使ってしまったんですよ。やっぱ絵の具も時代によって、同じ赤なら赤でもちょっとずつ違うっていうことですね。具体的にはチタンっていう成分が入ってるか入ってないかなんですけど、それが入ってるものを使ってしまったんで、それが成分分析でバレて、そこからも芋づる式に「こいつが作ってるやつは全部やっぱり贋作があるんじゃないかっていうのが明らかになっていく。
すごい。完全犯罪みたいな感じなんですね。そうなんですよね。巧みだ。これがまた300作ったって本人が言ってるんですけど、結局裁判で贋作と見なされたのは14点しかなくて。そうなんですよ。つまり残り280いくつあるだろうものはまだ世界のどっかに散らばっていて、そのうちの2つが今回の徳島と高知だったというわけです。
じゃあ、どこにあるかも誰が持っているかもわからない。本人もわからない。
売った先は追跡していない。そうですね。書いたものももちろん証拠として写真で自分で記録してたりもされない。この人面白い人で、自分が贋作やったっていうものは「こういうリストです」っていう一応本も出されているので、その気になって調べれば「うちの絵乗っとるやんけ」っていうのは分かるんですよね。ただ世界広いんでなかなか。高知と徳島の場合にはそこまでは行ってなかったということだと思います。こんな
今回の高知と徳島でこれが贋作ではないかって分かった経緯についても取材されていますか?そうなんですね。確か去年の6月だったかな、7月だったかな、アメリカのテレビ番組でこのベルトラッキさんを特集する番組がありまして、それをたまたま見た日本の視聴者の方が「あれこれ
日本で美術館に出てるやつ、リストに入ってるよね」と気づいて、各美術館に連絡してくれたのがきっかけだそうです。すごい視聴者の方のファインプレーですね。そうですね。まさにね。そうなんですね。じゃああれなんですね、今回のリストに入ってるものが日本にもあるぞっていうのを気づかれた視聴者の方っていうのがいて、
要はそれって視聴者の方がやっぱり美術に詳しいからわかるってことなんですか?そうですね。造形に詳しい方だったんでしょうね。そこらへんはあんまり美術館の方も明らかにはしてないんですが、逆に言うと美術館の方はもっと詳しい方がたくさんいるはずだったんですけど、そこには気づかれなかった。それぐらい成功なものだったということなんですね。
買うときやっぱり専門の方はこの絵はどういう来歴があって、どういうオークションでどういう鑑定士がついたのかという鑑定書をちゃんと確認して買えますんで、その時点で安心しきってるし信頼してるっていうのがあるんですよね。だからそういう鑑定書もちゃんとつけられるぐらい成功に作られていたということになります。
なんて才能がもったいないんだろうって聞いてて思ってしまいました。本当ですね。本当なんですよね。その才能が自分でもあるって分かってるところがベルトラッキさんの犯罪のゆえんの一つでもあるんですけどね。
今回この取材を通して、要は自分は犯罪をしているわけじゃないですか。偽物の作品を作っていると思うので、それに対してなんか罪悪感だったりとか、どっかでもうやめなきゃいけないみたいな気持ちが生まれたりとかはしないもんなんですか?これはね、結構あのしつこく聞いたんですけどね、まあ気持ちがいいぐらい罪悪感はないですね。印象的だったのは、そのやる、こう贋作
っていうものを作った時にオークションに出すわけですよね。そうすると「これはすごい、そんな有名な作家が作ったオリジナルで、今まで未公開だったのをよく見つけましたね」って言って高値がつくわけですよ。マスコミとか他の専門家も賞賛の嵐なわけですね。ところがこの方が2010年に捕まって、その途端になんだこれ贋作じゃん。
これやっぱりちょっとどっかおかしいと思ったんだよねとかですね、値段もやっぱりこれはありえないねっていう風なことがこう巷に広まるじゃないですか。それを見たベルトラッキさん曰く「絵っていうものはその贋作バレる前もバレた後も変わってないのに、変わったのは世間の見方だけなんだ。つまり芸術ってそういうもんですよね」っていう問いかけをするんですよね。はい。
じゃあ、その問い自体を作品にしようとしてるってことなんですか?その美術市場に何かを問いたかったんだと思います。彼自身美術市場っていうのは、彼は曰くですけどね、あの
マフィアの組織みたいなもんだと。なんでかっていうと、彼がいわば200万円でオークションで売ったものが10年後には今2億円になってると。この2億円の差、お金どこに行ったと思う?これは途中にいろいろ開催してる人がみんなちょいちょいピンハネしてるからなんだ、と。だけど絵の物質的価値って何も変わってないでしょ。これってマフィアの組織と一緒だよねっていうふうに彼は言ってました。
それが彼の贋作に対する思いとか貫いているところっていうことなんですかね。
価値については後でもうちょっと詳しく話したいと思いますが、美術館の学芸員さんのコメントなんかもあったと思うんですが、そのあたりを本人に伝えたときはどんな受け止めでしたか?そうですね。事前にベルトラッキさんのところに行く前に、徳島の県立近代美術館竹内俊夫さんという学芸員の方にお話聞きまして、とても印象的なことをおっしゃってたんですよね。「その贋作っていう犯罪は、
愛とか美意識とか、一人一人の人格の礎、そのものを踏みにじるような犯罪なんだ」と。
例えばそのお客さんっていうのは家族とか恋人とか友達とかで、「今日はちょっと美術館行ってみようか」って言って見るわけですよね、作品を。「いい絵見たよね」って思い出を作って帰ってくるけれども、それが後で贋作っていうふうに分かったら、「じゃああん時言ったあの思い出って何だったんだろう」っていう。そこから地盤沈下を食らうような、そういう人間の尊厳を踏みにじるような犯罪なんですよね、おっしゃったんですね。
これはまさにその通りだなと思いまして、最後にこうベルトラッキさんに「日本の学芸員がこういうことを言ってました。どう思いますか?」って率直に聞きました。彼はしばし考えて「かわいそうだなとかね、悪いことしたなとはちょっぴりは正直思うけど、両親が痛むかって言われると痛まない」だって。
「人生ってそういうもんだよね」っていう風に彼は言ってました。なるほど。その両者の意見を聞いて、玉川さんご自身はどんな風に感じましたか?竹内さんのおっしゃることもまさにわかるんですけど、さっき前半にお話ししたベルトラッキ氏の芸術に対する考え方っていうのはわからないではないですよね。だけどなんか、
その、その贋作っていうものがすごく根深いっていうか、我々がさらっと美術館に行って見ている絵に、なんかそういういろんな思いが込められてるんだなってところはすごく感じるものがありました。というのは、
仕事からよく外国の美術館に行かせてもらうことはあるんですけど、その時に私って絵を見て、その絵がすごい素晴らしいなって思ってるように自分では思ってるけど、実は左側に下にあるプレートの「いつ描かれたのか」「誰に描かれたのか」とか、あとは事前取材で「いくらで売れたのか」なんていうところが印象に残ってて、帰ってきてから「その絵ってどんなんだったっけ」っていうのはあんまり実は覚えてなかったりするんですよね。だからなんかこう、
正直皆さんも絵を見た時に何に感動したのかっていうのは、もう一回振り返ってみてもいいんじゃないかなっていうふうに思いました。まさに本当、芸術的な価値ってどこでつくんだろうって私も考えたことがあって、難しいなと思っていたんですが、小林さんなんかはご自分で美術館見に行ったりして、どんなところに価値を感じていますか?
私は美術が本当に詳しくないので、正直見てもわかんないんですよ。正直なので、見て「うんうん」ってうなずいてる人を見て「わかるふり」本当に自分は思ってしまっています。本音で言うとなので、よくすごくお金持ちの方が美術品を購入して、オークションで競りをしたり
とか、あとはなんだろう、その美術品を後世に残すためになんか頑張ってる作家の方とかもたくさんいらっしゃると思うんですけど、なんでそんな美術ってなんだろう、残していこうってなったり、高値でそもそも買い取られたりするものなんですか?
これが根底にあるのは、やっぱりアート市場っていう大きなビジネスになっているところが大きいんだと思うんですよね。これも取材で聞いたんですけど、オランダのエラスムス大学のフィリップ・フェルメイレンさんっていう先生がいまして、美術市場の歴史を調べている方なんですけど、
美術品がビジネスになったのっていうのは、17世紀の頃からオークションが始まったらしいんですね。ただ全ての人が美術品の、なんていうかこう、
いろんな学術的な意味とかですね、市場の価値とかを知ってるわけじゃないんで、代わりにいろいろ調べる専門家が必要になってくるそうなんですよ。例えば今で言うと画商だったり、キュレーターだったり、新聞なんかに寄稿してる批評家もそうなんですけど、そういうゲートキーパー、仲介者っていうものがいないと、美術品の価値がわからなくなってきちゃったと。
あまりに大きすぎて市場が。それでその人が「これは買い時ですよ」って言ったものが、どんどんどんどん価値が上がるっていう現象に変わっていったんだそうです。それでいうと、こうなんて言うんですかね、ある種権威のある人が認めたものが価値があるってみんなが思っていくというか、
なんて言うんですかね。「そう言われたから価値があると信じ込んでいる」というか。さっき玉川さんの話にもありましたけど、本来どうなんだっけっていうところを考えると、ちょっと今価格と価値みたいなところって必ずしも一致するかどうかわからないなって感じたんですが。そうですね。しかもその価格と価値って流行り廃りというのがあるそうで、本
本当の名作、我々が知ってるピカソだったりフェルメールだったりとか、ああいう方の書いた名作は時の試練というのをくぐり抜けなきゃいけないんですよね。そのキュレーターの方が「今買い時ですよ」って言って買ったものが、10年後20年後も買い時かどうかっていうのはわからないわけですよね。自然の市場でずっと買い時になっているものが、最終的に今名作と呼ばれているものなんだそうです。
その時の試練を乗り越えられる作品と乗り越えられない作品はどんな違いがあるんですか?これは難しいって言ってましたね。「それどうしたら見分けられるんですかって教えてもらったら、すぐ買いに行きます」って言ったんですけど、それ知ってたら俺買いに行くよってその方が言ってましたが、こればっかりは本当にわからないそうで、やっぱ流行り廃りの流行があるんですね。だからゴッホみたいに生きてるうちにそれが来なかった
有些人已经去世了,也有些人像毕加索一样赚得盆满钵满,正是因为有这些人的存在,这个行业才能成立。反过来,经受住时间考验的作品,其创作者大多已经不在人世了,也就是说,不会再有新作问世了。正因为数量有限,所以价值才会更高。
这用智能手机来解释就很容易理解了。智能手机会不断更新,电池续航时间更长,功能更强大,拍照效果更好等等,所以新款手机的价格会越来越高。而艺术品的情况则恰恰相反,由于时间的考验,它无法更新换代,市场份额会越来越小,价格却会越来越高。
这是一种特殊的商品或商业模式。是的,在商业领域,赚钱至关重要,所以未来价格是否会上涨是一个重要因素。但作为一个欣赏者,我想知道如何判断一件作品的好坏,这确实很难。
大家可能都知道,在《官邸谈话》节目中,有一位名叫中岛圣之介的小型美术品鉴定专家。我们在本系列节目中也采访了他。
他说,看到一件作品时,如果有一种“怦然心动”的感觉,那就说明这件作品很有价值,它会散发出一种“灵气”。他说,要培养这种鉴赏能力,就要多看那些被认为是好作品、真品的作品,久而久之,你就能分辨出哪些作品具有这种“灵气”。但是,
反过来说,外行人往往只关注价格,所以他认为,如果很有钱的话,与其买艺术品,不如去吃点好吃的。我也是这样想的,我对艺术不太了解,
这次的讨论让我想起了高三的时候,高考结束后,我花了四个月的时间,走遍了东京都和关东地区的各个美术馆,看了三四十件作品。当时我对绘画一窍不通,但我想,如果看了很多作品,也许就能有所领悟。所以,我去了很多展览,其中也有一些不太有名的艺术家的作品展。
我想,如果看了很多作品,也许就能了解一些东西。当时我对抽象画完全不懂,经常抓住讲解员问:“这画的是什么?”我当时真是个让人头疼的高中生。但你也是个很棒的高中生呢。
但是,看了几十件作品后,虽然我仍然无法判断作品的价值高低或好坏,但我开始有了自己的喜好,有些作品能打动我的心,而有些作品虽然评价很高,但我却并不觉得怎么样。即使是在同一个艺术家的展览中,也会有一些作品更受关注。
但出乎意料的是,我更记得那些不太起眼的小作品,这可能只是我个人的价值标准吧。我回想起了那段经历。
喜好确实很重要。回到之前对贝尔特拉奇先生的讨论,贝尔特拉奇先生伪造的作品大多不是我们熟知的超级名作。他本人说,他主要伪造的是那些世界知名的50位画家之外的,所谓的“二流”画家作品。
原因之一可能是,他本人很喜欢这些“二流”画家的作品。在他看来,这些作品应该得到更高的评价,但在一般的艺术史中却并未得到应有的认可。
这其中就包括了这次在德岛和高知发现的梅兹·安热尔和坎彭东克等画家的作品。他伪造这些画家的作品后,在拍卖会上卖出了很高的价格,而这些“二流”画家原作的价格也同时上涨了。这
是不是很了不起?他问我。我的理解是,他想表达的是:虽然在艺术界没有得到普遍认可,但我通过自己的伪造能力,让这些应该受到赞扬的作品再次焕发了光彩。我觉得他是一个非常孤独的人。
是的。我去过他的工作室,他现在画了很多原创作品。他说,最近他的原创作品价格比伪造作品还高。但从他的经历来看,他多次想要放弃伪造。
有一次,在他年轻的时候,他的原创作品卖出去了,画廊的人想和他签约。但他毫不犹豫地拒绝了。原因是,如果和画廊签约,画廊就会
要求他按照当前流行的风格和笔触作画。这就像漫画家或小说家被编辑要求那样,如果被束缚住,他就无法自由地发挥自己的才能,创作各种各样的作品,所以他拒绝了。
他的妻子,一位名叫“変なさん”的女性,知道他伪造作品的事实后仍然嫁给了他。她曾多次劝他放弃,但由于他太有才华了,她觉得不能扼杀他的才能,所以最终没有阻止他。
我想,如果想靠自己的能力生存下去,这条路确实很难。
与其被束缚,不如选择自由。他真是个天才。他的伪造手法多种多样,很有挑战性。他使用各种不同的手法,比如,通过笔触判断画家的惯用手,然后自己也用左手作画;他还用一根根黑色的粉笔绑在手指上,像弹钢琴一样用十指作画。你见过他作画吗?我见过。
作画时是什么感觉?他为了给我看,特意作画给我看,就像一场表演。但实际上,一旦进入那种状态,他就会不吃不喝地画上几个小时,体重会明显下降。他说,他每天作画的数量是有限制的。是的。
听了你的讲述,我想到一个问题:贝尔特拉奇先生从事伪造活动,这是一种犯罪行为,虽然我认为这是犯罪行为,但他似乎对世间的某些不公正之处感到不满。当他被问到为什么会有这种想法时,
我猜想,可能是因为他过去的经历很糟糕,受到了残酷的对待,所以这是他的复仇。但他实际上过着不缺钱的生活,他的妻子也结过三次或四次婚,是一个很受欢迎的人。怎么说呢,他过得很幸福。
当被问到赚了多少钱时,他说,当他赚到足够不用去上班的钱后,他就对赚了多少钱不再关心了。他显然是一个非常随性的人。
所以,他犯罪并不是出于某种怨恨,而是因为他不想被世俗的规则和观念束缚,他想自由地生活,结果就走上了伪造的道路。我明白了。
但正如你刚才所说,伪造作品并不仅仅限于他一个人,伦勃朗的作品也有很多伪造品,在艺术界,伪造作品可能占30%左右。在我们周围,真品和赝品都很常见。那么,
我们应该如何看待伪造作品呢?你在这次采访中有什么感受?是的,真品和赝品的区别是什么呢?前面提到的鹿特丹大学的教授说,
如果追溯到古代,在希腊,那些著名雕塑家的作品很快就会被复制,也就是伪造。这是为了让更多的人欣赏到这些作品。这种做法在罗马时期也很常见,人们对伪造作品的态度比较宽容。
这是一个有趣的玩笑,伦勃朗的作品在19世纪被广泛收藏于美国,其中包含许多伪造品。据说伦勃朗创作了800幅作品,但美国却收藏了3000幅伦勃朗的作品。
作品数量比实际创作的数量还要多。这种情况是由于艺术市场的发展,人们开始关注作品的作者是谁。这位教授说,直到17世纪拍卖行出现后,“天才画家”的概念才出现。
事实上,在印度等西方拍卖文化并不发达的地区,
有一种叫做“马杜巴尼画”或“米蒂拉画”的传统绘画形式,这种绘画从古至今都没有重视作者是谁,也没有签名。但一些西方商人注意到这一点,开始收购这些作品,并要求在作品上签名。当作者的身份与商业联系起来时,它就变得重要了。
这说明,伪造作品的产生背景以及与商业的联系是一个关键因素。小林先生,您怎么看?真品和赝品充斥在我们周围。例如,
苹果的AirPods耳机出现时,由于苹果的产品价格昂贵,很多人使用假货。同样,在时尚领域,爱马仕或香奈儿等奢侈品牌的假包经常出现。我觉得在我们生活的周围,
赝品比我们想象的要多。是的,说到包包,我妻子很喜欢名牌包,
而我本人对名牌包完全不感兴趣,我觉得用外观相似的假货,价格低很多,也挺好的。但对于喜欢名牌的人来说,他们会说,一定要买正品,即使价格很高,这也是他们努力购买的喜爱之物。
这取决于人们喜欢什么,以及他们重视什么。是的,如果说包包的话,如果款式相似,用假货也无所谓。虽然从规则上来说,这是不允许的,但从使用者的角度来看,有些人觉得无所谓,有些人则觉得不行。我个人很喜欢漫画,
如果漫画作者去世了,就会有其他人继续创作,这就像出版社为了生存一样。但如果原创作者还在世,我更想读他的作品。这只是因为我喜欢这个漫画,而我妻子则觉得无所谓。
在这篇文章中,德岛县立美术馆的竹内俊夫馆长说,他作为一名专业人员,对这幅被认为是好画的伪造作品感到心碎和沮丧。另一方面,也有人认为,既然大家都认可这幅作品很好,那么它就有价值,把它作为伪造作品来吸引游客也是可以的。
美术馆认为,公立美术馆不能为了赚钱而使用为了欺骗他人而创作的伪造作品。但作为一名普通的欣赏者,我们应该如何看待伪造作品,这取决于每个人的价值观。小林先生,您怎么看?是的,
正如文章中提到的那样,如果大家都认为一件作品有价值,那么它就是好的,即使是伪造作品,只要能吸引游客,也是可以的。我不太赞同这种观点。我刚才提到我喜欢漫画,
我也喜欢看书、看漫画、看电影,我会花钱去书店买书,去电影院看电影,而不是买二手书。这是为了表达我对原创作品作者的尊重,只有通过正当的付费,才能保证他们的生存。
只考虑自己,似乎是件好事,
但从作者的角度来看,情况并非如此。玉川先生,您怎么看?是的,首先,贝尔特拉奇先生做了坏事,受害者很可怜,竹内先生也很沮丧。这是大前提。
贝尔特拉奇先生的行为,虽然与他的本意不同,但却像是一个巨大的恶作剧。人们只有在对常识产生怀疑时,才会感到震惊,才会去质疑。
他的行为虽然是错误的,但却让我们思考真品和赝品到底是什么。我认为,这对他来说是一个警示。是的。希望各位听众借此机会,思考一下真品和赝品,以及伪造作品的问题。
玉川先生撰写的《环球》杂志文章链接已放在说明栏中。在“让我们谈谈可持续发展目标”的另一个播放列表中,我们以“美术犯罪系列”的形式,详细介绍了被称为“天才伪造者”的贝尔特拉奇先生的故事。请大家也收听这个节目。玉川先生,今天非常感谢您。谢谢您。我们是传递契机的团队。
创造新的早晨,朝日新闻社,松下光平、三上爱出演的短剧《创造新的早晨》正在朝日新闻社品牌网站上公开。通过报道进行对话,通过对话进行报道,报谈。大家都不习惯这种辩论。是的,也许吧。习惯了也没用。没错,如果总是完全一致,那就太奇怪了。是的。
情况在变化,这就是政治。但是,我们已经提前进行了采访,并且已经到了可以谈论的阶段。公司的高层,请不要干涉。如果干涉的话,我们就无法自由地行动了。来自新闻现场的自由谈话,来自“自由谈话”播放列表。请在应用程序中搜索“自由谈话”。
接下来,请介绍第二篇文章。好的,第二篇文章是《天声人语》的文章《在杜鹃花前驻足》。这是5月7日的《天声人语》。是的,文章从盛开的杜鹃花开始,延伸到帮助杜鹃花授粉的昆虫。
文章从世界各地昆虫数量减少的问题,谈到气候变化等全球性问题。这篇文章的视角很广阔,就像从昆虫的视角到鸟的视角一样。读者的评论是什么样的呢?标语是“我不禁停下了脚步”,是一位10多岁的女学生提供的。她不知道“驻足”这个词的意思。
文章开头和结尾都出现了“驻足”这个词,但含义不同,文章内容流畅自然,非常优美。她说,她读了三遍左右。对于一些比较难懂的话题,如果只是简单地阅读,可能无法理解。如果不懂就停下来,就能发现一些令人眼前一亮的文章。
这是我们第一次收到10多岁读者的评论。
通常情况下,在征集评论的截止日期之后,我们不会查看投稿者的年龄,而是阅读所有收到的文章,然后决定发表哪些文章。读到这篇文章时,我被“不懂就停下来阅读”这个简单的道理所打动,这篇文章让我醍醐灌顶,所以我选择了这篇文章。
这是我们第一次收到10多岁读者的评论,他们的评论很纯粹,让我们也感到了震撼。寺尾先生,最近您在遇到不懂的事情时,有没有停下来思考,或者有什么让你眼前一亮的事情呢?这
个表达是否准确,我不太确定。昨天晚上,我在准备今天的录音时,一直在想如何用语音表达“杜鹃花”这个词。首先,这个
天聖神護の記事って「筒字」っていうのが漢字で書かれているわけですよね。すごく難しい漢字じゃないですか?すごく難しいですね。記事の中ではもちろん文字なので「筒字の一文字目は「敵」、二文字目は「直」で読みます」っていうふうに書いてあるんですけれども、じゃあこれポッドキャストで音声で伝えようって思った時に、
なんて伝えたらいいんだろうってふと立ち止まったというか、私は思いつかなくて立ち尽くしたっていう感じだったんですけれど、いろいろ考えて分解すれば言えるかなと。この一文字目の漢字って「足」へんに「亭」とか「浄」って読む漢字なんですけれども、「亭」とか「浄」って言われてもピンとこないじゃないですか。さらにその漢字を分解すると、
「関」の数字の「8」に「鳥」の「鳥」、「酒」の「酒」の作りですね、に「大将」の「大」と書いて、右側に「大」を里と書くっていう感じなわけです。「直」はこれまた「足」へんに、
中国の三国志の「義」の「義」、「語」の色って言ったら分かる方いらっしゃるかもしれないんですが、これも分解すると「関」の数字の「4」の「下に俳句の句の中が口ではなくて虫になった漢字」を書くんですけれど、
これ難しいなって説明するの思いました。ちなみに漢字検定何級だったら書けたり読めたりするか知ってますか?ちょっと当てに行ってみてもいいですか?はい。2級。2級。小林さんは漢字検定お持ちですか?はい。2級。2級出てきました。いや、なんか2級ってこういうちょっと難しい感じをなんだろう、
街中にあるちょっと難しい漢字を読ませるみたいな問題よく出てきません?何十年も前に取ったか忘れちゃいましたけど、答えはですね、私が調べた時と変わってなければ漢字検定一級の漢字らしいんです。
私も学生時代2級までは取った記憶があるんですが、これ書けって言われても書けなかったんで、きっと2級以上だろうなって思ってました。鋭い!なかなかね。弱めでも書いてって言われると、とっさに書くのは難しいんじゃないかなって思います。もう一つは今回この「ツツジ」というお花の発音でもちょっと私は旗と立ち止まりまして、これなんて
って呼びますかこの花?私は最初「ツツジ」だと思ってました。上に上がるイントネーションだと思ってました。「ツツジ」って上がりますか?そうです、そうです。私は昨日まで「ツツジ」だと思ってたんですよ。で、ふとちょっと不安になったので、家にあったですね、
日本語発音アクセント辞典っていうものでちょっと調べてみたんですけれど、そもそもなぜその辞典が家にあるんですか?アナウンサーを目指していたとか?違うんです。あの動画とか音声を担当するようになって、このポッドキャストまさにそうですよね。でもう一つ私あの動画も担当しているんですけれど、
声で伝える。今まで文字で伝えてきたのに声で伝えるっていう場面が増えて、急に自分の発音というかイントネーションが不安になりまして。真面目だ!素晴らしい!たまたまこの辞典を買っていたんですが、それで調べてみると、「ツ」の後に右に下がる線が引いてあって「ジ」になっていて、この発音っていうのは、
「棒でつつく」とかの「つつく」と同じ記号なんですよね。なのでおそらく「つつじ」が正しいのではないかと思ったんですが、ちょっと自信がありません。わかります。私もその記号を聞いても全く想像できない。もしかしたらリスナーの方で「いや、ツツジだよ」とかいい発音がわかる方はコメント欄に教えてください。
本当に皆さんが普段この花を何と呼んでいるのか、発音されているのかもちょっと聞いてみたいなと思いますが、本当に普段と違うというか、逆にこれだけ喋っているのにあまり意識してなかったんだなっていうことに気づかせてもらって、ちょっとハッとしたということがありました。小林さんはどうですか?
そうですね。私はちょっと前にNetflixで配信している「セックス・エデュケーション」という1本60分で4本ぐらいのドラマを見たのですが、そのドラマの中で3話の中ですごく印象的なシーンがあるんですね。そのシーンは犯罪を犯してしまった青年と心理師がお話しするっていう場面
があって、その青年と心理師の場面のようなことが仕事とは関係なくプライベートでちょっとあったんですね。はい。で、青年は青年ってこともあると思うんですけど、感情処理が苦手だったり、
するので、そもそも犯罪を犯してるからってのもあると思うんですけど、その心理師との会話の中で、心理師に対して「僕のこと好きだと思ってるみたいな、なんか犯罪を犯しても僕のこと嫌いにならないみたいないろんな角度からなんか試し行動をしたりとか、攻撃的な振る舞いをしたりしてしまうんです」と。詳しくは見ていただくのが一番早いと思いますし、それに対する記事みたいなのもデジタル版の中にあるんですけど、私はその
青年が心理師に対する振る舞いを見た時に、自分がその場にいたような感覚にドラマを見ても思ってましたし、それに近いことがちょっと最近あったので、
こういう時ってどういう正しい関わりをするのがいいのかなっていうのが分かんなかったんですね。なので今回の「立ち止まる」とはちょっと違うかな、違う気もするんですけど、青年期ってホルモンバランスが安定していなかったりとか、周りに影響を受けやすくて、周りの目が気になってしまう繊細な複雑な時期だと思うんですけど、一応青年期を経験して成人になった私でも、なんかそういう繊細で複雑なものって見落としがちだけど、なんか
何だろうな、「立ち止まってちゃんと考える」ってことができなかったなと思ったりしたので、もしリスナーの方で「セックス・エデュケーション」見られた方いらっしゃったら、なんかその時どういうこと思ったかとか、自分だったらどういうふうに対処したとか教えていただけると嬉しいです。
なるほど。私はちょっとこのドラマ見ていないので、今パッとシーンがわからないんですけれど、でもそういう青年の対応に対して当時の自分だったらどうかなとか、逆にその青年と対峙する側の大人になった自分だったらどうなんだろうとか、そういうところでちょっと立ち止まって考えられたっていうことですよね。そうですね。ちなみにこのドラマは、
ちょっと今正式な国の名称が出てこないんですけど、イギリスかなんかで授業の一環で見させてるみたいなのがあるぐらいすごく話題になったドラマで、Netflixの歴代のドラマの中でかなり上位ぐらい見られてるみたいですね。そうなんですね。ちょっとじゃあ契約してる方はぜひご覧になってみてください。私が記事の中で気になった
書かれている文章がありまして、「世界各地で虫が静かに姿を消している。イギリスでは先月飛ぶ虫の数が2021年から昨年までで6割減ったという発表があった」との内容が書かれていますと、私は虫があんまり好きじゃないんで、ちょっとその文章を読んだ時「やった!」と思っちゃったんですけど、寺尾さんはこの虫が減ったという実感はありますか?虫が減った…どうですかね。確かに、
1年半前に東京にもう十数年ぶりに戻ってきまして、この1年半あまり虫を意識することはなかったなと思います。私東京生まれなんですけれど、小さい頃は通学路に畑とか草むらが多かったともあって、結構バッタとかチョウチョとかハチなんかを見た気がするんですが、最近はあまり見ないですね。小林さんどうですか?
そうですね。今寺尾さんが東京出身ってなって、私も東京生まれ東京育ちなんで「イエイ!」って…リスナーの方にはどうでもいい話だと思うんですけど、私は通学路に畑や草むらがなかったので、
あんまりそのイメージはないんですけども、エリア的にお祭りがすごい多いエリアで育ったこともあったので、お祭りって基本公園とかの近くでやるじゃないですか。公園に大量の蚊がいたなっていうのは覚えていて、すごい蚊のエピソードなんですけど、私蚊がマジで嫌いで、蚊って腕とかに止まるじゃないですか。腕に止まるときに蚊が針を腕に刺してるわけだと思うんですけど、
その刺した針を抜けなくさせるために、まず筋肉に力を入れるんですね。なんかその採血をするときに親指を中に入れて握りしめるみたいな…そうです、そうです。グーで力入れるみたいな感じで力を入れて、で、そうすると針が抜けなくなるんですね。蚊がこうやってブンブン振り回しても動けなくなって、そこからバシッて叩いてちゃんと顔を仕留めるっていう
ことをやっていたっていうのを思い出して、こう話して自分が意地悪なやつだなと思ってきたんですが、それって痒くはならないんですか?そういうなんか「仕留め方」という言葉がいいかわかんないですけど、そうやってやるとその後の痒さはどうなんですか?痒いです!痒いんだ!痒くなることより顔を仕留めることを優先してるので、
そうか。私もそれで言うと蚊にどうやら刺されやすい体質らしくて、同じ場所にいても隣の人が刺されてないのに私だけ刺されてるみたいなことが結構ありまして、さらにこう悪いことに刺された跡が治らないんですよ。2年も3年も跡が残ってしまっていて、なので、
蚊ね、私もいなくなってほしい虫の一つだなとは正直思いますけれど、最近だと万博の会場でユスリカが大量発生なんていうニュースもありましたけれども、なかなか虫減らないのかななんて思いながらニュースを見てました。そうですね。なんか、いざ自分が生活してると虫って本当に減ったのかなって思っちゃうように思うんですけれども、「6割飛ぶ虫の数減った」ってなると、
なんかちゃんと考えなきゃいけないなっていう人間の傲慢さ出ちゃってるなっていうのは思ったりしました。そうですよね。動物の食物連鎖というかの中で考えると、やっぱり虫がいなくなることでその先の動物も生きていけなくなったりっていう風につながっていくので、「飛ぶ虫が減ってる」っていうのは一概にいいこととは言えないですもんね。はい。
こんなツツジの花から世界の虫まで視野が広がる天声人語を、もしまだご覧になっていない方はぜひ読んでみてください。はい。では続いて3本目の記事の紹介をお願いします。3本目の記事は「ZARAやSHEINの服の行き着く先 チリの砂漠は洋服の墓場」です。この記事は南米チリの砂漠に、
各国のアパレルブランドの服が捨てられて山のように積み上がっている場面が出てきます。で、その「洋服の墓場」と呼ばれる場所をサンパウロ支局長の川崎裕子記者がルポした記事でした。「洋服の生産・消費・廃棄の流れが世界規模で動いている」っていうのを実感するような内容でしたよね。うんうん。
普段自分が洋服を手にするまでとか、手放した先を考える人は少ないと思いますけれど、この記事を読んでファストファッションの負の連鎖について気づかされたという方も多かったんではないでしょうか。読者からのお便りはどんなものがありましたか?この記事のキャッチコピーは「生産者・消費者も広い視野に立ち、責任ある行動を」とのキャッチコピーで、50代女性会社員の方からいただきました。
「私が勤める会社もインバウンド需要の急増にあり、近年生産量を増やし続けているので強い関心を持って読ませていただきました。ここ数年、転売目的で商品を大量に買い付ける動きが顕著です。購入された商品がいつかは余り、どこかで大量に放棄されることもあるのではと懸念しており、他人事ではないと思いました。
生産する側も消費する側も、環境への影響など広い視野を持って責任ある行動選択を行うことが大切だと思いました」とのことです。この方、お洋服の会社かどうかはわからないですけれど、何かやっぱり生産する会社で働かれているということですよね。はい。
今回実は最も読者として集まった記事がこの記事なんですね。そうなんですか?50代女性の会社員の方以外にもこの記事を選ばれた方が結構たくさんいらっしゃいました。私はこの記事を読んだ感想として「良くない消費者の代表例だな」って思って、ちょっとちゃんと考えなきゃいけないなと思ったんですけれども…ご自分がですか?そうです。私は流行の
「このタイミングでしか着ない」なって服は結構ZARAのセールで買っちゃうんですよ。ZARAって毎年6月にセールをやっていて、オンラインでも実店舗でやってるんですけど、買うかどうかは別として、多分今回も店舗に見に行く予定で、この記事を読んだ際に、私自身もこの問題に加担してるうちの一人なんだなと思って反省しました。やっぱ自分が可愛いお気に入りの服を身につけることしか考えていなかったので、
寺尾さんはこの記事を読んでどう思われましたか?そうですね。
今の小林さんの話を聞いて、私は流行とかを全く追わない生活をしているんだなっていうのに気づかされたというのが一つと、素晴らしい記事を読んでっていうことで言うと、この記事結構写真もたくさん載っているんですよね。大量の服が積み重なった写真と、あと衛星写真で2007年4月時点のものと2025年2月時点の写真が並んでいる
並べて掲載されていて、サイト上ですとバーを動かすと同じ位置の写真の違う年のものが見られるっていうような仕掛けがあったりするんですけれど、この写真を見てすごく衝撃を受けました。
どうしてかというと、2007年には何もない本当に砂漠が映っていたところに、2025年にはもうたくさんの捨てられた服とか燃やされた服が映っていて、宇宙から見ても見えるレベルでこんなに服が廃棄されてるんだっていうことが視覚的にわかるっていうのはすごく衝撃でしたね。うん。
で、私も含めて人って自分の目に見えている範囲のことにしかなかなか想像って及ばないと思うんですよ。だけど、こうやって記事でとか写真で伝えてもらうことで、ぐっと目に見えない範囲の解像度は上がるなっていうふうに思います。あと個人的な経験で言いますと、子供の頃から何でしょう、
親と一緒に衣替えとかをした後に「これもう着ないよね」ってなった服は古着の回収の日に出してたんですよね。古着の回収、資源回収の日みたいな日になってることが多いと思うんですけれど、燃えるゴミとは別に出すじゃないですかなので、子供ながらに「燃えるゴミと違う日に出す」ってことは、
なんかこの服はいったいどこかの誰かの元に行くのかなみたいな、どこに行くんだろうみたいなことは考えたことがあったんですけれど、具体的にその先を想像したことっていうのはあまりなかったんですね。で、少し点と点がつながったなっていうのは、ちょっと記憶が定かではないんですが、確か南米のボリビアを旅した時に市場にたくさんの服が市場で売られていて、
で、その中にあの絵に書いてある体操着みたいな服があったんですよ。胸のところに名前が書いてあって、それを見たら手書きハングルで手書きの文字でお名前が書いてあったんですよね。なので、それはそういう商品として売っているものではなく、どこかの誰かがきっと学校か何かで着た服が回収に出されて、行き着く先がここなのかもなっていうことに気づきました。
あと作る方に関しても、以前はタグとかを見ると「メイドインチャイナ」っていうのが多かったけれど、ある時から「メイドインカンボジア」とか「ベトナム」っていう表記が増えたなっていうふうにも感じています。小林さん、そういう自分が手にする前後のイメージとか想像ってされたことありますか?恥ずかしい話、ないですね。
なので、今お話を聞いていて、自分が昔出した古着の回収の話がボリビアに行った時に繋がったっていう風になんか伏線が回収されましたみたいなストーリーですごーっていうことを聞いていて思いました。なので、私は先ほどもありましたけど、本当に自分の目の前のことにしか服を手に取るとき、
なんだろう、自分のことしか考えられてなかったんだなって思っていて、私がお店に行って商品を手にしてる間っていうのは、例えば今ってワイドのジーンズがちょっと前まですごく流行ってて、そうやってバレンシアガがそのワイドのジーンズを流行らせていたんですけども、流行としてだったりとか、最近はミュウミュウが
すごく30、40代の女性の中では特に流行っていて、別にミュウミュウは買えないんですよ、高いから買えないんだけども、そのミュウミュウのカラーとかデザインとかがいろんな
ルックに反映されてるなーっていう、めちゃくちゃ流行の消費者の視点でしか見ていないっていうのが、私も古着の回収には出したことがあるので、そういうのを考えるきっかけとして素晴らしい記事だなと思いました。確かに。
いや、なんか多分ファッションに対して私たちが真逆すぎて、どちらかと言えば小林さん側の方が多いと思うので、私の話は何の参考にもならないんですけど、なのでね、こうやって真逆の視点でお洋服を
購入している人がいると、全然違う視点でお話できたりするので、こういうのがやっぱり推し記事のいいところかなって思ってます。そうですよね。ちなみに寺尾さんは…私はさっきから流行のことばっかり服では考えてないですけれども、お洋服を買うときに意識していることなどありますか?そうですね。さっきも言ったようにあまり流行を意識していないので、自分の体型に合うかと、
色ぐらいですかね。意識してることって言ったら。その流行を気にせずお洋服を買う場合、長く使えるかどうかとかが重視されるんですか?それもありますね。今は私そんなにたくさん服を持っていなくて、フランス人みたい…フランス人10着だけ持ってるみたいな…ちょっとさすがに10着は
昨日の夜、今日の話に備えて家の服を数えてみたんですよ。真面目ですね!
すごい!そしたらトップスもボトムスも合わせてオールシーズン入れて、多分50前後…これが多いのか少ないのか分かんないんですけど、多分50着ぐらいで。で、こんだけ興味ないと言っておきながら、私も実は洋服に散財した時期はありまして…そうなんですか?山口総局時代に、
買い物になかなか行けなくて、県内の方でも洋服とかって広島とか福岡に買いに行くみたいなことを言っていたんですけれど…そうなんですか?やっぱりそっちの方が都会というか、いろんなお洋服があるということだと思うんですが、やっぱり記者って県外に出るときに許可申請が必要なんですよね。で、
わざわざ洋服見に行くのに「広島行きますか?福岡行きますか?」っていうのはなんとなく当時言いづらくて…気持ちわかりました。インターネットでポチッとしたら買えるじゃないですか。ちょっとストレス発散というか、それで買ってしまって、
だけどやっぱり試着とかしてないので、届いても体型に合わないこととか、ちょっとサイズが合ってないだったり、デザインが合ってないっていうことがあって、結局買ったけど着ないっていう服が溜まってしまって、多分当時数えてないですけど、2、300着くらいは…昔からの服も私結構あって、高校生ぐらいからの服も全部あったんです。すごい!サイズが変わってないんですね。確かにそうかもしれないです。なので…あったんですけれど、
我从许多失败中学习,并且由于从山口调到大阪工作,房子变小了很多。山口的房子很大,大阪的房子很小。所以,我必须减少物品的数量,否则东西放不下。因此,我减少了很多东西,现在每年……
文章里写到平均每年18件吧?环境省2022年的调查显示,日本人每人每年购买衣服18件,丢弃15件,未穿的衣服有35件。我……
大概7、8年没买过10件衣服了。买衣服的时候,我会淘汰一些旧衣服,所以是替换的概念。这可能是我有意识在做的事情。只有在淘汰或旧衣服不能穿的时候,才会买新的。一件衣服的价格……
有时会觉得有点贵,但是如果18件衣服每件3000日元,和买一两件好衣服的价钱差不多。所以我逐渐转向少买精买,买好一点的衣服。我觉得自己真是个大人了。
也许可以说我对时尚不感兴趣。但是,刚才说到美术,我曾经觉得美术(这么说不太好),是只有特权阶级才能享受的消遣。因为我觉得如果不了解美术史……
如果不了解绘画的历史背景,就很难理解画作。所以我去美术馆,虽然能感受到乐趣,但我觉得自己并没有真正理解。从这个意义上说,衣服就轻松多了,我可以直觉地觉得这件衣服好看。美术是不是也一样呢?
嗯,现在话题有点跑偏了,但是美术和服装都会受到流行趋势的影响,这一点是一样的。我没想到我选的三篇文章会和流行趋势联系起来。是的,我也没有很高的意识,但是通过这篇文章,我意识到……
我意识到有必要考虑废弃物最终的归宿。回想起来,我的关注点不在环保,而在其他方面。我比较关注衣服的产地。顺便说一下,我今天穿的上衣和裤子都是日本制造的。但是,日本的……
日本的缝纫工厂逐年减少。这不仅限于服装行业。我在地方采访时,发现许多小型工厂倒闭,传统工艺的工匠也因为没有继承人而面临失传的风险。
我意识到日本的手工艺正在消失,这让我感到危机感。从那以后,我会特别留意并购买日本制造的产品。虽然这和我的想法有点不一样,但如果我知道某个品牌的产品是日本制造的,我就会购买。
太棒了。嗯,怎么说呢,购物某种程度上是一种投票行为,一种支持……
支持自己喜欢的事物。我认为通过购买商品,我们也可以支持某个品牌或公司。虽然我不会总是这么想,当然,有时可爱或时尚才是最重要的,但我认为每买几件衣服,可以尝试这样买一件。
在丢弃衣服的时候,也可以想象一下它的最终归宿。读了这篇文章后,我再次思考了这个问题。是的,我们介绍了5月份的三篇文章,小林,你对5月份的文章有什么感想?通过大家的推荐文章,我拓宽了自己的视野。我意识到自己……
我意识到自己只关注对自己有利的事情,只关注自己想看到的世界。通过这个企划,我拓宽了自己的视野,希望以后能继续下去。希望大家能通过邮件或Discord分享你们的感想。小林,谢谢你的参与。谢谢。
点击或滚动节目,就会出现简介栏。今天介绍的三篇文章的链接已放在简介栏中,请大家阅读。小林,有什么要补充的吗?是的,朝日新闻数字版目前正在进行活动,首次注册的用户可以免费试用一个月,之后5个月每月200日元。之前注册过的用户可以享受6个月300日元的优惠。
这次活动不仅包括朝日新闻数字版,还可以阅读纽约时报。详情请参考简介栏中的活动说明。感谢各位听众收听。朝ポキ在Discord上进行交流,有一个“节目感想”频道,欢迎大家投稿。
也欢迎大家提出想听的节目类型。朝日新闻寺冈绘报道。我们下次再见。我们是传递契机的团队。创造新的早晨,朝日新闻社松下光平、三上爱出演的短剧“创造新的早晨”正在朝日新闻社品牌网站上公开。